第11話 初めてについて
朝四時。太陽が、うっすらと世界に顔を出したころ。
帝国軍補給基地の見張り兵士は、もうすぐ来るだろう交代を待ちわびて欠伸をした。
ここは前線も遠い長閑な田舎だ。この二か月ほど、襲撃どころか敵兵の姿を見たことすらない。危険もない楽な仕事である。
だから、彼らは油断していた。
大砲の音でさえ、最初は雷か何かだと思ったほどに。
はじまりはアーデルクラ村の西側の丘の上に築かれた、基地防衛砲台への攻撃だった。
累の指示を受けた連隊砲兵が、装填された八ポンドカノン砲に仰角を取らせる。
砲兵は四人一組で一門の砲を担当する。つまり合計六門二四人の連携が火を噴いた。
最初の一発は丘の下に外れた、二発目が丘の中腹、命中は三発目だった。
轟音とともに、天に向かって真っすぐに突き立つ弾着の土煙を皮切りに、鉄球が次々と丘の上の砲台に着弾し、積まれた土塁を崩して仮眠中の砲兵を生き埋めにする。
そして。
第十六独立歩兵連隊、千人の男たちが雑木林から飛び出した。
戦闘の最初は、砲撃から始まる。
それは大砲が武器の中で最も射程距離が長く、最も威力が高いからだ。
何事も第一印象は強いほど良い。つまり最初に敵軍に強力な一撃を与えれば、そのまま勝敗を決められる可能性が高い。
だから始まりは、いつだって号砲なのだ。
大気を震わせる味方の砲撃音を小柄な背中で聞きながら、累は兵士たちの先頭に立って走っていた。
驚き逃げ惑う見張りの敵兵を部下に任せて、敵の基地の中に乗り込む。
同時に、味方の砲撃音が控えめになる。前奏は終わった。
ここからは本格的に、敵味方の歩兵同士がぶつかり合うのだ。
――アーデルクラ村補給基地の東側には、帝国兵たちが寝泊まりする天幕が密集していた。まだ早朝、兵士たちのほとんどはそこで寝ていた。
そんな状況で、することなど一つしかない。
「整列! 撃て!」
基地に雪崩込んだ、累の率いる公国軍兵士たちが横一列に銃を構え、天幕もろとも就寝中の帝国兵たちに銃弾を浴びせる。
横一列の銃声。そして悲鳴。そして運よく無事だった帝国兵たちも、音に驚きテントから出てきたところに銃弾を受けてバタバタとそのまま永眠する。
だが、流石にこれで全滅させられるほど帝国兵は少なくない。最初の射撃から逃れた帝国兵たちは、テントから脱出しながらどうにか状況を把握しようとした。
「て、敵襲! 敵襲だ――ぐあっ!」
「な、何で急に! どっから来たんだよっ⁉ 昨日まで影も形もなかったじゃねえか!」
「くそ、くそくそ! 畜生! 死にたくねえ――頼むやめて……ああっ⁉」
だが。
「ルイ大佐の命令だ! 火をつけろ!」
「流石の名案だぜ! 焼き殺せ!」
累の指示により、公国兵たちは酒瓶の口に油を浸み込ませた紙を詰めた火炎瓶を投げつけ、天幕への無差別放火を開始する。
炎は乾燥した秋風にあおられ、次々と燃え広がっていく。たちまち、黒煙と炎が辺り一面に広がった。
そして、この猛烈な炎と煙が、反撃しようとする帝国兵たちの集結を妨害した。
「集まれ! 俺たちも戦列を組んで反撃するぞ!」
「む、無理です。炎と煙がすごくて、味方が見えない……集合できません!」
「くそが……!」
個人個人が、銃をバラバラに撃って反撃しても意味はない。
横一列に並んで一斉射撃を行う歩兵の戦列には、同じく横一列に並んだ一斉射撃でしか対抗できないのだ。
結果、風下に立たされ炎と煙に巻かれた帝国兵たちは統率の取れないまま、第十六連隊の一斉射撃によって倒れていった。
そんな戦況を見て、累は満足げに頷く。
すると、その隣に半透明のターチャが出現した。
『ルイ様……』
「ああ、おはようございます。ターチャさん。襲撃、はじめてますよ」
『見ればわかります……』
ターチャの顔は青白く、唇は固く結ばれている。まるで耐え難いものを見るかのように。
それは無理もない反応だったが――累はどうしてだろうと首を傾げた。
こんなに興奮する景色はないというのに。まあいいか。趣味は人それぞれだ。
「第一、第二中隊はこのまま宿営地の敵を殲滅しなさい! 他部隊は基地の司令部を制圧します!」
高らかに、累は指揮官用のサーベルを振り上げた。
命令を受けた兵士たちが、累の周囲から動き出す。
その時だった。
『――ルイ様っ!』
ターチャの警告に、累ははっと振り返る。
すると十人ほどの帝国兵が、累に向けて銃を構えているのが見えた。
周囲の公国兵士に釣られるように、累は咄嗟に地面に伏せた。
そして銃声。
だが体に痛みはない。累は呆然と考えた。
こいつらは多分、炎と銃弾から運よく逃がれた敵兵だろうか。少人数ながら集まって、反撃をしかけてきたのか。そのまま逃げればいいのに、なんて勇敢な人たちだろう。
よし、むかついたから殺そう。
累は咄嗟にサーベルを捨ててマスケット銃に銃剣を装着して持ち替えようとした。
接近戦ならサーベルよりも銃剣の方が強い。リーチがあるからだ。先端に銃剣の付いたマスケットは約二メートルの槍に等しい。
しかしそこで、たった十人ばかりの敵兵たちが一斉に突撃してきた。
累の周囲にも十数名の兵士たちがいた。しかし全員最初の射撃によって反射的に伏せた姿勢になっている。だから立ち上がって抵抗するまでにタイムラグが生じる。
その隙に、決死の敵兵たちが襲いかかって来たのだ。
『ルイ様! 逃げて!』
「……っ⁉」
ここにはいないターチャの悲鳴が聞こえた。
瞬間、累は白い軍服の帝国兵から、痛烈なタックルを食らった。
吹っ飛ばされ、後ろに倒れて後頭部を打つ。鈍い痛みが脳天を突き抜ける。
「がっ――ぁ!」
そのまま覆いかぶさってきた兵士は、マスケットの先についた銃剣を累の胸に突き立てた。
体重を乗せられた切っ先が、容赦なく肉を破って奥へと差し込まれる。灼熱の痛みとともに、傷は累の心臓に達した。
「がっ、ぁ、ああああ、……!」
血を吐く。痛い。すごく痛い。死にそうというか死ぬ。
痛くて怖くて、涙が止まらない。
半透明のターチャが何かを叫びながら、触れられないはずの腕で敵兵をどかそうとしていた。
そこで累と目を合わせた帝国兵が、今更驚いたように手を止めた。
「お、女……っ⁉」
累は心臓を刺されたまま、自身に治癒の力を使用した。
緑色の光が、致命傷を即座に癒す。
異物が体に刺さったままだとそのまま一緒にくっついてしまうが、今は細かいことはどうでもいい。取り合えず力を使っている間は絶対に死なないのだから。
そして投げ捨てたサーベルでも、取り落としたマスケット銃でもない。
さっき銃の先端に装着し損ねた、小さなナイフのような銃剣を握りしめて――。
「っ!」
結果として一瞬の隙を晒したその兵士の喉に、累は銃剣を突き刺した
ごりっとした生ぬるいその感触が、何かを心に生み出す前に、累は彼の喉から銃剣を引き抜いた。
飛び散った飛沫が、空に赤いタッチを描く。
敵兵は何度か血のあぶくを吐き出しながら、糸が切れたように倒れた。
死体の下から這い出した累は、胸元に刺さった銃剣を無理やり引き抜いた。
すぐに、治癒の力が痛みと負傷を無かったことにするが。
「ううっ……が、ああ、でも、い、たい……じゃ、ないですか……」
大粒の涙をこぼしながら累は顔を上げた。痛みと死への恐怖は遠ざかったけれど、確かに心に消えない何かを残していた。痛い、辛い、怖い。許せない。
よし、殺そう。
累は取り落としたマスケット銃を拾い、近くで味方と取っ組み合っていた敵兵の頭に向けて、野球バットのようにフルスイングした。
腰が引けた典型的な女の子スイングだったが、鉄と硬い木材の塊にとっては、その遠心力だけで十分だった。
ごん、という音と同時に、鈍い衝撃が腕の骨を伝って累の胸に響いた。
それはきっと、いのちの感触だったのだろう。
無防備な側頭部を直撃された敵兵が、短いうめき声をあげて地面に倒れこむ。
その喉に、取っ組み合っていた味方の兵士が銃剣を突き刺した。
「た、助かりました……ありがとうございます――大佐!」
「……ええ」
はあはあと息を切らしながら、累は周囲を見回した。
すでに、襲撃してきた十名は全員倒れていた。やはり無謀な攻撃だったようだ。
負傷した味方を近くに呼んで、累は治癒の力で彼らの傷を癒した。
ターチャの声が聞こえる。
『ルイ様……あの、大丈夫ですか』
「……」
累はすぐには答えなかった。
生々しい感触が、まだ手のひらに張り付いていた。
殺した。生まれて初めて、人を殺した。
でも。
「ええ、大丈夫です」
『……』
累は、ずっと心配していたのだ。
もしも、自分に罪悪感があったらどうしようか、と。
仮に自分の感性が、間近で人の死を目撃することに耐えきれなかったとしたら、この先もう楽しんで戦争なんてできない。そんなことになったら最悪だ。
「……けど、ああ、よかったです」
累は安堵のため息を吐きながら、たった今自分が殺した二つの死体の前にしゃがみこんだ。
そして、息を引き取った彼らの顔を見つめた。
じっくり見つめた。しっかり見つめた。
血を流した肌は青黒く、濁った瞳はどこを見ているのか分からない。
そこからは何か決定的に、よく見慣れたはずの気配が欠けていた。
死んでいる。
画面の向こうではない、今そこに触れられる死があった。
累はしばし想像した。この二人の家族を。友人を、恋人を、遺族の悲しみを。そして自らの良心が痛みを訴える声に、しっかりと耳を澄まして――。
数秒後。何も聞こえなかったので、累は返り血を張り付けたままの笑顔で声を上げた。
「さあ皆さん! 勝利まであと少しです! 頑張っていきましょう!」




