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第10話 開戦について

 ハプストリア帝国軍総司令官、オットー=ポルトライヒ将軍は、野営用の天幕のベッドで目を覚ました。

 年齢にして五十五、太った大男である彼はベッドから身を起こすと、キャビネット上に置かれていたベルを鳴らした。


 ここは前線からやや後方に設えられた豪華な司令官用の天幕。オットー将軍は鈴の音で呼びつけた侍従官にコーヒーを淹れさせながら、純白の帝国軍将官服に太鼓腹を押し込んだ。

 それから鏡の前で、最近めっきりと薄くなった髪を大事そうに整えて帽子を被る。勲章と飾緒を着けて、淹れたてのコーヒーを飲んで鼻を鳴らす。


「朝食を持ってこい。肉だぞ。魚じゃなくてな」


 侍従官にそう命令すると、オットー将軍は肥満気味の体で椅子に悲鳴を上げさせた。


「まったく、田舎の弱小国家ごときが手こずらせおって……」 


 ぶつぶつとい言いながら、オットー将軍は丸い指でテーブルを叩いた。広々とした天幕の中は、ランタンの明かりでぼんやりと明るい。

 彼の不機嫌は朝に限った話ではなく、今に始まったことでもなかった。


 一か月前にハプストリア帝国皇帝から、ヴァイエル公国に対する軍事侵略作戦の司令官に任ぜられた時からだった。

 オットー将軍は、ほとんど帝国首都を出たことが無かった。彼は士官学校を優秀な成績で卒業してからいくつかの地方反乱を鎮圧し、とんとん拍子に出世した。それからはずっと首都の軍務省に勤務している。


 その実績に対して過大な人事評価には、彼が名門貴族の出身であるという事情が絡んでいたが、それはさておき、百年前に帝国から独立した田舎の弱小国家を再侵略するという戦争を任された彼はまず「面倒だな」と思った。


 ヴァイエル公国は百年前、継承権争いに敗れた当時の帝弟が、その領地であったヴァイエル公領を独立させたのが始まりだ。


 当時のヴァイエル公領は第二大陸貿易によりかなり発達した地方で、しかも山がちの地形が外敵を強固に阻み、ハプストリア帝国側は激戦の末に独立を承認することを余儀なくされた。


 だが今と当時はもう違う。帝国は公国を人口比や産業の発達具合などあらゆる面で上回り、両者の戦力差は大きく開いている。


 だからこそ、今回の再侵略戦争は帝国にとって、勝って当然の戦なのだ。

 そしてその通りに、宣戦布告からの侵攻開始からオットー将軍率いる帝国軍は勝ち続け、公国の東半分を占領している。


 しかし公国軍は旧式の要塞に退却し、そこで強固な防衛線を築いた。これによって、帝国の快進撃は待ったをかけられていた。

 とはいえ両者の戦力差は明らかだ。このまま攻勢を続ければあと1~2か月ほどで片はつくだろう。しかしながら。


「はあ……早く帰りたい」


 都会の貴族家に育ち、中年に入ってからはずっと内勤。そんな自分が、いきなり田舎で国家間戦争を指揮することになった。

 愛人は嫌だと言って一緒に来てくれなかったし、趣味の劇場にも行けない、友人宅でのパーティもできない。おまけに公国の秋は肌寒く腰痛に響く。かなりのストレスだった。


「まったく……これだから田舎は嫌なんだ……」


 そんな彼にとって、唯一の癒しの時間は。


「お待たせしました、閣下」

「おお! 待っていたぞ」


 侍従官の持ってきた朝食を、オットー将軍はワクワクと肥満体を揺らして出迎えた。

 鶏肉の蜂蜜がけローストとキノコのポタージュ、焼きたてのロールパンと年代物のワインが机に並ぶ。豪華な朝食だ。これは将軍の個人的な嗜好というより、ハプストリア帝国の貴族的習慣であった。

 将軍は香ばしく焼けた飴色の鶏肉にナイフを入れ、滴り落ちる肉汁ごと口に運んだ。


「うむ! 美味い!」


 しかしオットー将軍個人のこだわりもあった。それは腕のいいシェフをわざわざ個人的に雇い、戦場に連れてきたことだった。

 ほかほかのパンをちぎり、山の香にあふれた滋味深いポタージュを飲む。この食事があるからこそ、将軍は職務を放り出すことなく耐えてこられたのだった。

 その時だった。


「最高司令官閣下! だ、大至急のご報告があります!」


 そう言って、一人の伝令兵があわただしく天幕に入ってきた。

 オットー将軍は彼をじろりと睨んだ。彼が悪いわけではないが、面倒事を持ってきたなと内心うんざりしつつ、ナプキンで口元を拭く。


「何事だ」

「き、昨日の事です。こ、後方にある我が軍の補給基地が襲撃を受けたと連絡が……」

「なにっ。それは面倒だな。で、被害はどのぐらいだ? 数日は補給が遅れるか?」

「壊滅です」

「……は?」


 からんと、フォークの落ちる音がした。

 伝令の兵士は、震える声で言った。


「わ、我が軍の補給基地は、敵の奇襲により完全に壊滅し……集積物資とその輸送能力をすべて喪失しました。以降の補給の見通しは、絶望的です」


 オットー将軍は、まるで聞き返すように、もう一度言った。


「は?」


 ※ ※ ※ ※ ※


 時間はおよそ一日前に遡る。

 深夜二時。月の明るい夜だった。

 雑木林の中から、累はランタンも点けずに双眼鏡でそれを見つめていた。

 その村の周囲には大人の腰ほどの高さの木柵が立てられ、白い軍服を着たハプストリア帝国兵士が巡回している。多くの松明がたかれているおかげで、村の中の様子もよく見えた。

 ほとんどの人家は壊されたまま放置され、その代わりに真新しい倉庫のような建物が並んでいた。馬や人間が夜通しで作業をしている。

 そこは元ヴァイエル公国領アーデルクラ村。現在はハプストリア帝国軍に占領され、その補給基地として機能している場所であった。


「聖女様」


 落された小声に、累は振り返った。

 そこには馬から降りたばかりのヴラド大尉がいた。水色の騎兵服の上に黒いコートを着ている。ほとんど音も気配もなく、いつの間にか彼は愛馬とともにそこにいた。

 素人の累でも、その乗馬技術の巧さに舌を巻く。しかし素直に感心するのも癪なので、累はわざと不機嫌そうな声で言った。


「大佐と呼びなさい。大尉」

「こりゃ失礼。……さておき、ただいま偵察から帰りました。予想通り、敵兵の数は多くありません。襲われるとは思ってないんでしょう。ただ、防衛用の大砲があります。東の丘に十門ほど」

「じゃあ、まずはそこからですね」


 累は雑木林の藪から立ち上がると、笑顔で言った。


「夜明けとともに襲撃です。さあ大尉、兵士たちに準備をさせますよ」

「……」

「どうしました、大尉?」

「ああ、いえ、そのー」


 異常極まる二日間の行軍を経て、累の率いる第十六独立歩兵連隊はたった今さっき、ここに到着したばかりだった。今は雑木林の中に身を潜めている。

 確かに累には癒しの力がある。ヴラド大尉もその恩恵を受けたおかげか、体力的な余裕はかなりある。

 しかし丸二日で200キロもの道程を踏破した精神は、大分疲弊していた。

 だというのに。


「あの、大佐は……なんでそんなに元気、というか、楽しそうなんですか?」


 すると累はきょとんとした顔をして、答えた。


「だって、ワクワクするじゃないですか、大尉――これからあの基地を、ボナパルトしてやるんですから」


 そして午前三時半。累は仮眠をしていた木陰からのそりと身を起こした。

 雑木林の陰に屈むようにして、第十六連隊の兵士たちはすでに集結していた。

 誰も彼もが、五体満足で体調良好。

 だというのに、まるで死人のような目つきをしていた。


 約二日にわたる食事休憩睡眠排泄すべてを無視した強行軍を超えた強行軍。

 過労死に瀕しては復活を繰り返し続けた彼らの精神は、もはや致命的なまでに捻じ曲げられていたのだ。

 何でもいい。もう歩かなくて済むなら、何でもいい。

 何だってやる、誰だって殺す。

 血走った男たちの目つきが、雄弁にそれを物語っていた。

 

 そんな兵士たちの様子を見て、累はすでに遠い昔のような記憶を懐かしんだ。会社で深夜まで残業をしていた自分も同僚も、帰宅できるなら殺人も辞さない目つきをしていたものだ。

 士官の一人が、抑えた声で累に言った。


「歩兵約1024名。騎兵117騎、野戦砲6門。戦闘配置につきました」


 累はどうも、と返事をした。それからブーツの底で草木を踏んで兵士たちの前に進み出る。

 兵士たちの視線が集まる。

 累は人前でしゃべるのが苦手だ。注目を浴びるのも好きではない。しかし今は別だった。

 息を大きく吸う。森の朝露をめいっぱいに吸い込み、晴れ渡った頭で言葉を紡ぐ。


「皆さん」


 深呼吸の後、累は理想のナポレオンを己にインストールした。


「あそこは元々、平和な村でした。しかしある日、帝国軍がやってきました」


 その時ちょうど、一陣の風が累たちの間を吹き抜けた。

 地平から差し込んだ暁の光が、累の姿を照らす。

 なびく黒髪、満面の笑顔、そして二日に渡り千人の兵士たちの列を駆け回り、癒し励まし続けたせいで、この場の誰よりも薄汚れ擦り切れたボロボロの大佐服。

 兵士たちは目を見開いた。

 彼らはそこに、自分たちを導く聖女の実在を確かに見たのだ。


「彼らは畑を踏み荒らし、男を殺し、女を犯して殺し、老人を殺し、子供を殺して村を乗っ取り、そして今、同じように他の村々から略奪した食料物資をあそこに蓄えています」


 鼻をすする音が小さく響いた。つられて、何人かの男たちが涙を流す。

 すすり泣きは静かに連鎖した。そして誰もが泣きながら、食い入るように累の言葉を聞いていた。


「皆さんの故郷から奪われた物が、この国を侵略する4万の兵士を養うために使われています。皆さんの家族を殺し、故郷を踏みにじる連中の胃袋を満たすために使われています」


 そこで累は言葉を区切った。それから全身を使って背後を指さし。

 決定的な、事実を告げた。


「そして何より――あの基地の存在が、皆さんをここまで歩かせたのです。

 どうでしょう? 私たちは、彼らを許すべきでしょうか?」


 意図的に差し出された、その一瞬の沈黙を破るように、誰かが呟いた。


「許せねえ」

「ああ、そうだ」


 累は人差し指を頬に寄せて、小首をかしげて言った。


「では、どうしましょうか?」

「殺す」


 それは小さく絞り出すような声だった。同時に、断固とした決意だった。

 その一言がたちまち呼び水となって、兵士たちを殺意でつないでいく。


「ぶち殺す!」

「皆殺しだ!」


 口々に叫ぶ彼らの興奮はもう隠しきれず、遠からず敵に見つかるだろう。

 しかしもう十分だ。十分に士気は上がった。累はうんうんと、満悦の表情で頷く。


「では殺しましょう。皆さん、砲撃とともに――」


 累は雑木林からおおよそ二百メートルほど離れた先、帝国軍の補給基地を指した。


「突撃開始です」


 そして朝の木立を揺るがすように、砲撃の音が響き渡った。

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