ありがとうが言えなくて
現実を生きている2人の話。
「お、おはよう」
「おはよう」
登校中、私が挨拶をすると、その人は微笑んで挨拶を返してくれる。私は暗い顔で挨拶をしたのに。
そして、
「あ」
「うん? どうしたの?」
「あ」
「大丈夫?」
「な、何でもない」
顔を赤くして、私は首を橫に振る。
彼女は苦笑する。
言わないといけないのに、言えない。数日前、してもらったことについて。
たった一言なのに。
そして、授業中。
皆は、黒板に書かれていることをノートに写している。今は2025年だけど、黒板はまだ健在。
もちろん、あの同級生も。
私は、じっと、その同級生を見ている。若干、ドキドキしながら。恋、ではないはずだ。陰キャの私が、あの人に恋なんて、そんなことしていいはずがない。
教師は、私を注意しない。
壇上で皆に日本の歴史について教えているけど、頭の中はテレビやSNSのイイネでいっぱいなのだろう。
ゲーム、テレビ、SNS、皆はそれらに頭がいっぱいで、現実を生きていない。
でも、私とあの人は現実を生きている、今朝も挨拶をしたし。きっと、本が好きだから、だろう。多分。
放課後になった。
あの人は、寂しい教室の中、本を読んでいる。他の人たちは皆、スマホを無言でいじりながら帰っていった。
私は、
「あ、あの」
「うん? どうしたの?」
彼女は、こちらに顔を向けて、微笑んでくる。私は、顔が赤くなる。
意を決して、
「あ」
「あ?」
「な、何でもない」
また、今朝みたいに苦笑され、
「最近どうしたの? 大丈夫?」
私は首を縦に振り、返す。
「ありがとう」
が、言いたいだけなのに。
1人で下校中、私はため息を吐き、肩を落とす。
数日前、入学式の日。そのときに落としたハンカチを拾ってもらった。そのお礼を言いたいだけなのに。
ありがとう、が言えずにいる。
早く言わないと賞味期限が切れてしまう。お礼の賞味期限が。
わかってはいるけど、言えないでいるのだ。
ゲーム、テレビ、SNSで頭がいっぱいで、現実を生きることをやめた人類。
その中で、無視せず、ハンカチを拾ってくれた、あの人。
何よりも、尊い。
読んで頂き、ありがとうございました。




