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第八話 遺志を継ぐ者

 リアムの告白が終わり、洞窟のような隠れ家には、世界の真実という重すぎる沈黙が支配していた。

 ランプの炎が揺らめき、三人の顔に悲壮な覚悟の影を落とす。

「…行くぞ」

 最初に沈黙を破ったのはリアムだった。

 その声には、長年背負ってきた罪を告白したことによるわずかな解放感と、これから始まる本当の戦いへの決意が滲んでいた。

「奴らは、お前たちが真実に辿り着いたことに、もう気づいているはずだ。長居はできん」

 カイルも頷き、リィナはごくりと息を呑んで立ち上がった。

 三人は、一度だけ互いの顔を見合わせると、躊躇なく地下水路の闇へと再び足を踏み出した。

 目指すは、ガレスが最後の希望を隠したであろう、ストーンハート城の領主館。


 地上へ続く最後の梯子を登り、マンホールの蓋を押し上げて外に出た瞬間、リアムとカイルは同時に動きを止めた。

 夜明け前の薄暗い街に漂う空気は、彼らが地下に潜る前とは明らかに異なっていた。

 それは、狩人が息を潜めて獲物を待つような、張り詰めた殺気。

「…来たか」

 リアムが、獣のように低く唸った。

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、彼らがいた裏路地の両端、建物の屋根という屋根から、影そのものが形を持ったかのような黒装束の者たちが、音もなく姿を現した。

 その手には、月光を鈍く反射する投げナイフや、不気味な紫色の液体が塗られた弓矢が握られている。戦略家セレーネの「影の手」だ。

「散れ!」

 カイルの叫びと同時に、無数の凶器が雨のように三人に降り注いだ。

 リアムは驚異的な反射神経で剣を抜き、そのほとんどを打ち払う。

 カイルはリィナの体を庇いながら、物陰へと飛び込んだ。

「奴らの狙いは、俺たちをこの路地から出さないことだ!」

 カイルが、冷静に戦況を分析する。

「多勢に無勢。正面からやりあうのは愚策だ」

「分かっている!」

 リアムは、次々と現れる刺客をいなしながら叫んだ。

「だが、こいつらは陽動だ!本命は別に来るぞ!」

 リアムの予測は正しかった。

 三人が影の群れに気を取られた瞬間、正面の石壁が轟音と共に内側から破壊された。

 瓦礫と粉塵の中から現れたのは、熊のように巨大な体躯を黒鉄の鎧で覆い、巨大な戦斧を肩に担いだ、一人の狂戦士(バーサーカー)だった。

 ヴァルガスの手下だ。

 その瞳には理性の光はなく、ただ純粋な破壊衝動だけが渦巻いている。

「グオオオオオオッ!」

 獣の雄叫びと共に、狂戦士が振るった戦斧が地面を叩き割り、石畳を砕きながら三人に迫る。

「こいつは俺が引き受ける!」

 リアムは、伝説の「疾風」の名に恥じぬ速度で狂戦士に肉薄した。

「お前たちは、他の敵に備えろ!」

 リアムの剣と狂戦士の戦斧が激突し、凄まじい火花と衝撃波を散らす。

 その間隙を縫って、カイルはリィナと共に、建物の影を伝って領主館への道を探る。

 だが、彼らの行く手を阻むように、建物の屋根から第三の刺客が姿を現した。

 深紫のローブをまとった魔術師。

 賢者アルドゥスの息がかかった者だ。

「逃しはしない、『世界の秩序を乱す者』よ」

 魔術師が杖を掲げると、カイルたちの足元から、鋭い氷の槍が何本も突き出した。

 カイルはリィナを突き飛ばしてそれをかわすが、体勢を崩したところに、今度は灼熱の炎球が迫る。

「きゃっ!」

 絶体絶命。

 リィナは恐怖に目を閉じた。

 しかし、衝撃は来なかった。

 彼女が恐る恐る目を開けると、カイルが投げたナイフが魔術師の詠唱を妨害し、炎球が逸れて石壁に激突していた。

「リィナ!怯えるな!」

 カイルの声が、彼女の心に突き刺さる。

「君は特殊な能力があるだろう!風を読め!土の匂いを嗅げ!奴が魔法を放つ前には、必ず空気中の魔力が震え、僅かな匂いの変化があるはずだ!」

 その言葉に、リィナははっと我に返った。

 そうだ、私はこの土地で育ったのだ。

 彼女は恐怖を押し殺し、五感を研ぎ澄ませる。

 魔術師が次の詠唱を始めた瞬間、彼女は確かに感じ取った。

 空気が乾燥し、オゾンのような匂いが立ち込めるのを。

「カイルさん、次に来るのは雷です!」

 リィナの叫びを聞いたカイルは、躊躇なくその場を飛び退いた。

 直後、凄まじい稲妻が先ほどまで彼らがいた場所を直撃し、石畳を黒く焦がした。

 一方、リアムも狂戦士を圧倒していた。

 力では劣るものの、その剣筋は流水のように相手の猛攻を受け流し、的確に鎧の隙間を突いていく。

「終わりだ!」

 リアムは狂戦士の体勢が崩れた一瞬を見逃さず、その懐に飛び込むと、剣の柄で鎧の急所を強打した。

 衝撃で呼吸が止まった巨漢が膝をついたと同時に、カイルが放った最後の投げナイフが魔術師の杖を弾き飛ばす。

 全ての刺客を退けた時、東の空が白み始めていた。三人の服は土と埃に汚れ、体には新たな傷が刻まれていた。

「…見事な連携だったな」

 リアムが、荒い息をつきながら言った。

「感心している場合ではありません」

 カイルは、警戒を解かずに周囲を見渡した。

「これは、ほんの始まりに過ぎない。奴らは、総力を挙げて俺たちを潰しに来る。急ぎましょう」

 三人は、街の住人たちが騒ぎに気づいて集まり始める前に、その場を後にした。

 そして、夜明けの光に照らされたストーンハート城の領主館の門へと、息を切らしながらたどり着いたのだった。


 領主館の前に立つと、夜警の衛兵たちが三人のただならぬ様子に驚き、駆け寄ってきた。

 その中にいたゲルハルト隊長は、リアムの姿を認め、さらにその身なりが戦闘直後であることを察すると、驚きと敵意が入り混じった複雑な表情を浮かべた。

「リアム・ブレイド卿…!一体、何があったのですか、そのお姿は?」

「隊長、話は後だ」

 リアムは短く告げた。

「ガレスの執務室へ案内してもらいたい。彼の遺志を、確かめねばならん」

 ゲルハルトはなおも食い下がろうとしたが、カイルが静かに前に進み出た。

「ゲルハルト隊長。これは、ガレス様殺害事件の捜査の最終段階です。我々は、真犯人を突き止め、ガレス様が本当に伝えたかったことを明らかにするために戻ってきた。執政官閣下の許可も得ています」

 カイルの有無を言わせぬ言葉に、ゲルハルトは不承不承ながら道を開けた。

 三人は、重い沈黙の中、事件の始まりの場所である執務室へと足を踏み入れた。

 部屋の空気は、あの日から時が止まったかのように冷たく、淀んでいた。

「これだ…」

 リアムは、部屋の隅に置かれた古びた天球儀の前に立った。

 それは、ガレスが普段から触れることのなかった、単なる装飾品のはずだった。

 カイルとリィナが息を飲んで見守る中、リアムは天球儀に刻まれた星座にそっと指を滑らせた。彼の脳裏に、遠い昔のガレスとの記憶が蘇る。

『なあリアム、もし俺たちが王様とお供の騎士だったら、合言葉は何にする?』

『馬鹿言え。そんな子供みたいな遊び…』

『いいじゃないか。じゃあ、こうだ。俺たちの故郷の空に輝く「双子星」の名の下に。それが、俺とお前の絆の証だ』

 リアムは、ガレスとの他愛ない会話を思い出しながら、天球儀の特定の星座を、二人だけが知る順番で押し込んでいく。

 カイルが日記で読んだ「子供じみた暗号」、そしてフィオラが語った「星々の言葉遊び」が、今、目の前で一つの形になろうとしていた。

 全ての星座を正しい順で押し終えたリアムは、最後に静かに、しかしはっきりと呟いた。

「双子星の名の下に」

 その言葉が引き金となった。

 ゴゴゴゴ……と、重々しい石の擦れる音が響き渡り、壁一面を覆っていた巨大な本棚の一部が、静かに横へとスライドした。

 埃っぽい闇の奥から、ドワーフの工匠が作ったであろう堅牢な隠し金庫がその姿を現した。


 リアムが慎重に金庫の扉を開けると、中には二つのものが収められていた。

 一つは、羊皮紙でできた分厚い書類の束。

 カイルがそれを手に取り、蝋燭の光にかざして目を通すと、その顔が驚愕に強張った。

 そこには、他の英雄たちが竜から奪った力を利用して不正に富を蓄えていたことを示す詳細な帳簿と、真実を隠蔽するために「消えた村」の住民たちを秘密裏に処理したことを命じる、英雄たちの署名入りの指令書が収められていた。

 それは、彼らの大罪を暴く、動かぬ証拠だった。

 そして、もう一つ。

 金庫のビロードの上に、静かに横たえられていたもの。

 それは、深淵の青色をした、竜の鱗そのもので作られたかのような、奇妙な鍵だった。

 鈍い光を放ちながらも、まるで生きているかのように微かな温もりを持っている。

「これだ…」

 リアムは、その鍵を震える手でそっと握りしめた。

「ガレスが命懸けで遺した、最後の希望…。竜を解放するための、本当の鍵だ」

 友が遺した証拠と希望を手に、リアムは固く拳を握りしめた。

 彼の瞳には、もはや迷いはなかった。

 これから始まる、世界を欺いた者たちとの本当の戦いに、そして親友との最後の約束を果たすための道に、明確な光が差し込んでいた。

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