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前日譚 賢者アルドゥス

 アルドゥスは、若き日、エレジア王国でも指折りの天才魔術師と謳われていた。

 彼は、魔法の力を、人を殺めるためではなく、人々の生活を豊かにするためのものだと信じていた。

 彼は、魔術の力を使って、痩せた大地を肥沃に変え、濁った川の水を清らかに戻し、人々の病を癒す研究に没頭していた。

 彼には、彼の研究を心から理解し、支えてくれる、優しく聡明な妻と、彼の無骨な手を握って笑う、太陽のような娘がいた。

 アルドゥスは、彼らがいた世界は、不完全ながらも、希望に満ちた、美しい場所だと信じていた。


 だが、その彼の信念は、ある日、あまりにも無力な形で打ち砕かれた。

 隣り合う二つの貴族が起こした些細な領地争いに、彼の故郷が巻き込まれ、彼の愛する家族は、その争いの火に巻かれて、無残に命を落としたのだ。

 彼は、燃え盛る屋敷の瓦礫の中から、愛する妻と娘の、もはや人の形を留めていない小さな炭の塊を掘り出した。

 その時、彼の心の中で、何かが完全に壊れた。

 彼を襲ったのは、憎しみや悲しみだけではなかった。

 それは、彼が信じていた世界の美しさや、人の心の温かさに対する、根本的な絶望だった。

 なぜ、人は、こんなにも無意味で、残酷なことをするのか?

 なぜ、愛や優しさといった不完全な感情が、こんなにも多くの悲劇を生み出すのか?

 彼は、その答えを求めて、この世界の理を根源から探求し始めた。

 彼は、愛する家族を失った悲しみそのものを、この世界から根絶するために、魔法の探求の道を歩み始めたのだ。


 探求の果てに、彼は、この世界の成り立ちの、あまりにもおぞましい真実にたどり着いた。

 この世界は、完璧な法則の上に成り立っているのではなく、混沌とした「感情」という不純物(ノイズ)に満ちた、不完全な織物(タペストリー)のようなものだった。

 そして、その不純物(ノイズ)こそが、人々を苦しめる、全ての悲劇の原因だったのだ。

 彼は、自らが信じていた「自由意志」や「感情」といったものが、この世界の根源的な欠陥であると悟った。

 彼は、愛する家族を殺した「感情」という名の怪物を、世界の織物(タペストリー)から完全に消し去ることを決意した。


 彼は、まず、同じように悲しみや絶望を知る者たちと手を組み始めた。

 復讐の念に駆られたヴァルガスには、家族を取り戻すという偽りの希望を与え、彼の憎しみを、自らの計画の力へと変えた。

 故郷を追われ、復讐に燃えるセレーネには、情報網と権力を提供し、彼女の謀略を、自らの計画の歯車として利用した。

 彼が彼らに与えたのは、彼らの絶望につけ込んだ、甘い嘘だった。

 だが、彼自身には、その嘘に何の躊躇も罪悪感もなかった。

 なぜなら、彼の心には、もはや感情というものが存在しなかったからだ。

 彼は、自らの家族を失ったことで、悲しみや憎しみといった感情を、自らの精神から完全に切り離すことに成功していたのだ。


 彼は、五人の英雄を創造した。

 伝説の騎士ガレス、剣士リアム、武人ヴァルガス、謀略家セレーネ、そして彼自身、賢者アルドゥス。

 彼らは、竜の討伐という共通の目的のために集められた。アルドゥスは、彼らのそれぞれの絶望と才能を利用し、「英雄」という物語を紡ぎあげた。

 それは、竜を討伐することで人々の心から不安を取り除き、自身の計画を秘密裏に進めるための、壮大な欺瞞だった。

 人々は英雄の凱旋に歓喜し、アルドゥスの計画は、その影で着々と進行した。

 彼は、竜の力を利用して、世界の地脈を自在に操る術を編み出し、人々の心を支配する『囁きの霧』という、究極の魔法を完成させた。

 彼は、自らの故郷に、悲しみも苦しみも存在しない、完璧で、永遠に幸福な『楽園』を創造した。

 そして、彼は、その楽園を、この世界全体へと広げようとしていた。

 彼は、自身を『新世界の神』と名乗った。

 その瞳には、もはや人間らしい感情はなく、ただ、世界の理を書き換えようとする、冷たい、絶対的な論理の光だけが宿っていた。

 彼がやろうとしていたのは、復讐ではない。彼が愛した者たちに捧げる、究極の、そして、あまりにも悲しい「愛」の顕現だった。

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