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誰が英雄を殺したか — 竜殺しの英雄 —   作者: 神凪 浩
第四章 終焉の賢者
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第二十八話 神との戦い

「…解せぬ。その非論理的な『絆』が、私の(ことわり)を上回るとは。良いだろう。ならば、見せてあげよう。本物の『神』の力を!創造の次の段階を!…『無』を!」

 アルドゥスの宣言が、最後の引き金となった。

 彼の背後で、『世界の心臓』が、それまでとは比較にならないほど、激しく、そして禍々しく脈動を始める。

 アルドゥスの体が、まばゆい光に包まれ、その輪郭が、人の形を失い始めた。

 彼を包んでいた光が、一度、極限まで収縮したかと思うと、次の瞬間には、神殿全体を揺るがすほどの衝撃と共に、無限に拡散した。

 そこに立っていたのは、もはや賢者アルドゥスではない。

 それは、幾何学的な光の紋様が幾重にも重なり合い、常にその形を変え続ける、巨大なエネルギーの集合体だった。

 それは、見る角度によって、十の翼を持つ天使のようにも、千の眼を持つ悪魔のようにも見えた。

 その中心には、かつてアルドゥスのものだった黄金の瞳が、星のように無数に輝いている。

『我はアルファにしてオメガ。始まりにして、終わり。この世界の、唯一の法にして、絶対の真理なり』

 その声は、もはや一人の男の声ではなかった。

 何百、何千もの声が完璧に重なり合った、感情のない、美しいコーラスとなって、三人の魂に直接響き渡った。

 神と化したアルドゥスとの戦いは、これまでの戦闘とは次元が違った。

 彼はもはや魔法を「詠唱」しない。

 思考するだけで、世界の法則を書き換えるのだ。

不確定要素(ノイズ)を検出。これより、論理的矛盾を内包する存在を、この時空から削除する』

 アルドゥスが、リアムに意識を向けた。

 その瞬間、リアムの体が、陽炎のように揺らぎ、透け始めた。

「なっ…!体が…!」

「リアムさん!」

 リアムの存在そのものが、この世界から消されようとしていた。

 アルドゥスは、彼を「罪を犯しながらも前に進もうとする、不合理な存在」と定義し、その存在を許さなかったのだ。

 それだけではなかった。

 カイルの記憶から、「リアム・ブレイド」という名前の輪郭が、急速に薄れていく。

 リィナの心にも、彼と共に旅をしたはずの記憶に、霞がかかっていく。

「リ…誰だ…?」

 カイルが、激しい頭痛に耐えながら眉をひそめる。

(違う!忘れるな!あの不器用な笑顔を!背中を預けてくれた、あの温もりを!)

 リィナは、消えゆく記憶の断片を、必死に手繰り寄せた。

 そして、彼女は叫んだ。

 それは、リアムの名を呼ぶための叫びではなかった。

「カイルさん!思い出して!嘆きの川で、たった一人で狂戦士の群れに飛び込んで、釜を破壊してくれたのは誰!?ヴァルガスの城で、傷つきながらも私たちの盾になってくれたのは誰!?」

 その言葉は、カイルの脳内で、絶対的な論理によって破壊されつつあった記憶の回路を、強引に繋ぎ止めた。

 そうだ、あの男がいた。

 非論理的で、感情的で、しかし、確かに俺の隣にいた存在。

「リアム!」

 カイルは、その名を、自らの存在を確かめるように叫んだ。

 二人の声が、二人の「彼を忘れない」という強い意志が、錨となって、リアムの消えかけていた存在を、この世界に強引に繋ぎ止める。

「…てめぇらが、俺を覚えている限り…俺は、ここにいる…!」

 リアムの体が、再び確かな輪郭を取り戻した。

『思考形式に、致命的な非合理性(エラー)を確認。これより、論理体系を再構築する』

 次にアルドゥスの意識は、カイルへと向けられた。

 途端に、カイルの脳内に、人間が到底理解できない、宇宙の真理そのものが、情報の奔流となって流れ込んできた。

「ぐ…あああああっ!」

 カイルは、頭を抱えてその場に崩れ落ちた。

 彼の武器である論理的思考が、絶対的な論理そのものによって、内側から蝕まれていく。

「カイル!」

 リアムが、その体を盾にするように、カイルの前に立ちはだかった。

「聞こえるか、カイル!難しいことは分からん!だがな、お前がどんなにややこしい顔で考え込んでいても、俺たちは、お前を信じてる!お前が『行け』と言えば、俺は行く!それが、俺にとっての唯一の真実だ!」

 リアムの、どこまでも単純で、しかし揺るぎない信頼の言葉。

 それは、絶対的な真理の奔流の中に打ち込まれた、不合理だが、強靭な楔だった。

「カイルさん!」

 リィナも叫んだ。

「あなたがどんなに難しい顔をしていても、私には分かります!あなたは、誰よりも優しい人です!それが、私が知っている、本当のあなたです!」

 二人の声が、情報の奔流に溺れるカイルの意識を、現実へと引き戻す。

 そうだ、真理だけが全てではない。

 この、不合理で、非効率で、しかし温かい絆こそが、俺が守るべきものだ。

 カイルは、目から血を流しながらも、顔を上げた。

 その瞳には、もはや論理の光ではなく、仲間を守るという、ただ一つの、燃えるような意志が宿っていた。

『「感情」という名の不純物(ノイズ)を検出。これより、浄化を開始する』

 最後に、アルドゥスはリィナを見た。

 彼の周囲に、無数の光の球体が現れ、それぞれが、リィナがこれまでの人生で感じてきた、全ての「悲しみ」の記憶を映し出した。

 戦場で救えなかった兵士の顔。

 破壊された村の惨状。

 仲間たちの苦悶の表情。

「やめて…」

 彼女の心を、純粋な絶望が覆い尽くそうとしていた。

 だが、その時、彼女の肩を、二つの手が、力強く支えた。

 リアムと、カイルの手だった。

「下を向くな、リィナ」

 リアムが言った。

「お前が救った命も、俺は知っている」

「君がいたから、我々はここまで来られた」

 カイルが言った。

「君の優しさが、俺たちを繋ぎとめた。君は、我々の希望だ」

 二人の言葉が、二人の温もりが、彼女を苛む絶望の幻影を、打ち払っていく。

 そうだ、私は一人じゃない。

 この二人と共に、未来を作るために、ここにいるんだ。


 三人は、再び立ち上がった。

 その体は傷つき、疲労は限界を超えている。

 だが、その心は、かつてないほど、固く、一つに結ばれていた。

『…解せぬ』

 アルドゥスの声に、初めて、困惑の色が浮かんだ。

『なぜ、汝らは、互いを参照することで、自らの存在を定義できる? なぜ、非論理的な感情が、絶対的な論理を退ける? それは、この宇宙の法則における、致命的な欠陥(バグ)だ…!』

「違うな、アルドゥス」

 リアムは、剣を構え直した。

「それこそが、俺たち人間の、最も強い武器だ。お前には、決して理解できない力だ!」

 リアムが背後のカイルに叫ぶ。

「カイル、奴の核はどこだ!」

「奴自身が核だ!だが、奴と『世界の心臓』を繋ぐ、あの光の奔流…あそこに、力の循環の僅かな『揺らぎ』がある!そこを叩けば、奴の支配を、一瞬だけ乱せるかもしれない!」

「よし、道は俺が開く!」

 リアムが、槍の穂先のように、アルドゥスめがけて一直線に駆ける。

『愚かな』

 アルドゥスは、リアムを迎え撃つために、神殿全体の魔力を、一つの点に収束させ始めた。

 それは、星すらも砕く、純粋な破壊のエネルギーだった。

 リアムの命が、風前の灯火となった、その時。

 リィナが、アルドゥスでも、リアムでもなく、祭壇の中心、巨大な『世界の心臓』に向かって、一直線に駆け出したのだ。

「リィナ、よせ!その力に触れれば、お前の精神が持たない!」

 カイルが叫ぶが、彼女は止まらない。

 彼女は、脈動する巨大な結晶体に、そっと、両手で触れた。

 その瞬間、リィナの意識は、この大陸の、数十億年の記憶と一つになった。

 生命の誕生、進化の喜び、絶滅の悲しみ。

 火山の怒り、大地の温もり、風の歌、水の涙。

 そして、この星に生きる、無数の命の、名もなき営み。

 愛する喜び、失う悲しみ、憎しみの愚かさ、そして、許し合うことの尊さ。

 膨大な感情の奔流が、彼女の魂を押し流し、その自我を消し去ろうとする。

 だが、彼女は耐えた。

 そして、その全ての感情を、一つの祈りとして、『世界の心臓』へと注ぎ込んだのだ。

 それは、言葉にならない、魂の歌だった。

(お願い…!理解し(わかっ)て…!傷つき、間違い、それでも、明日には何かが変わるかもしれないと信じて、手を伸ばす。喜びも、悲しみも、全てを抱きしめて、それでも生きていこうとする。その不完全さこそが、私たちの、かけがえのない、たとえ脆くても確かな希望なの…!)

 純粋な力と、論理だけで構成されていた『世界の心臓』にとって、リィナが注ぎ込んだ、矛盾に満ちた、しかしどこまでも温かい「感情」は、初めての経験だった。

 『世界の心臓』の、機械的だった脈動が、初めて、リズムを乱した。

 ドクン、ドクゥン、と、まるで、本当の心臓のように。

 その表面を覆っていた純白の光が、リィナの祈りに応えるかのように、温かい黄金色へと変わっていく。

異常(エラー)異常(エラー)。論理体系に、未定義の変数(カオス)を検出。理解不能。理解不能…!』

 『世界の心臓』と一体化していたアルドゥスの精神が、その予期せぬ変化に悲鳴を上げた。

 彼にとって、「感情」は排除すべき誤り(バグ)であり、理解を超えた脅威だった。

『やめろ…!私の完璧な世界が、汚染されていく…!』

 『世界の心臓』は、アルドゥスという異物を、自らの内側から拒絶し始めた。

 彼が吸収した膨大な魔力が、制御を失い、彼の神なる体の中で暴走する。

『なぜだ…!?なぜ、世界は、矛盾(かなしみ)を、非効率(あい)を、不合理(きぼう)を、選ぶのだ…!完璧こそが…救済、なのに…!』

 神になろうとした男の、最後の、そして唯一の、感情的な叫びが、神殿に響き渡った。

 次の瞬間、アルドゥスの体は、内側から溢れ出した光によって、跡形もなく消滅した。

 彼がいた場所には、ただ、静かに、そして温かく脈動を続ける、『世界の心臓』だけが残されていた。

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