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誰が英雄を殺したか — 竜殺しの英雄 —   作者: 神凪 浩
第四章 終焉の賢者
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第二十七話 絆

「ならば、力ずくで理解させてあげよう。不完全であることの、無意味さを」

 その言葉が終わると同時に、神殿全体が、激しく振動した。

 『世界の心臓』の脈動が、急速に速まっていく。

 アルドゥスの背後にあった光の柱が、何倍にも膨れ上がり、彼の体を飲み込んでいく。

 もはや、そこに立っているのは、賢者アルドゥスではない。

 世界の法則そのものを、自らの意志で書き換え始めた、成りかけの『神』だった。

 彼が静かに片手を掲げると、神殿そのものが、一つの巨大な生命体のように呻き、その構造を変え始めた。

 三人の足元にあった水晶の床は、その固い実体を失い、粘性を帯びた液体のようにうねり始めた。

 瞬く間に足場は不安定な光の泥沼へと変わる。

 天井からは、鍾乳石のように鋭利な水晶の柱が、無数に、そして無慈悲に降り注いだ。

「散れ!」

 カイルの叫びと同時に、三人は散開する。

 リアムは、降り注ぐ水晶の槍を疾風の剣技で弾きながら、足場の安定した場所を探す。

 リィナは、持ち前の身軽さで、沈みゆく床を飛び石のように渡っていく。

 カイルは、冷静に周囲の状況を分析し、最も安全な退避経路を二人に叫び続けた。

「リアムさん、右手の柱の影へ!リィナ、そこから動くな!」

 カイルは素早く思考を巡らせる。

(何とかこの状況を打ち破らなければ…!)

 だが、アルドゥスの攻撃は、そんな生易しいものではなかった。


「第一楽章、混沌」


 アルドゥスがそう呟くと、神殿内の重力が狂い始めた。

 三人の体は不意に宙に浮き上がり、次の瞬間には、鉛を背負わされたかのように床に叩きつけられる。

 空気は(にかわ)のように粘りつき、呼吸すらままならない。

 それは、もはや戦闘ではなかった。

 世界の法則そのものを敵に回したカイルたちへの、一方的な蹂躙だった。

「くそっ…!これでは、近づくことすら…!」

 リアムは、何度も体勢を立て直そうとするが、そのたびに変化する重力に弄ばれ、思うように動けない。


「第二楽章、絶望」


 アルドゥスは、さらに三人を精神的に追い詰める。

 彼は、三人が乗り越えたはずの悪夢を、より悪質で、より現実的な形で、この空間に顕現させたのだ。

 リアムの目の前に、墨のような影が凝り固まり、親友ガレスの姿を形作った。

 だが、そのガレスは、リアムの記憶にあるどの彼とも違っていた。

 その瞳には光がなく、ただ、リアムへの軽蔑だけを浮かべている。

『その剣筋、俺が教えたものだな、リアム。だが、お前は俺を超えられなかった。いつまでも、俺の影だ』

 影のガレスは、リアムと全く同じ剣を構え、襲いかかってきた。

 剣を交えるたびに、その言葉がリアムの心を突き刺す。

 技も、速さも、力も、全てが互角。

 まるで、自分自身と戦っているかのようだった。

『お前はいつも一人だ、リアム。俺がいた時も、そして今も。その孤独がお前の弱さだ』

 自分の弱さと、罪と、後悔が、剣の形となって、彼を打ちのめし続ける。

 リィナの周囲には、彼女の故郷の村が、炎と黒煙の中に現れた。

 ヴァルガス軍の狂戦士たちが、アルドゥスの金色の瞳を宿して、村人たちに襲いかかる。

 幻と分かっているのに、その悲鳴はあまりに現実的(リアル)だった。

 さらに、幻影は彼女の記憶を(えぐ)る。

 狂戦士たちの顔が、次々と、彼女が助けられなかった王国兵の顔や、難民キャンプで死んでいった老婆の顔へと、おぞましく変化していくのだ。

「いやっ!やめて!」

 リィナは、それが幻だと分かっていながらも、叫ばずにはいられなかった。

 彼女は、幻の村人を守るために、父から譲られた短剣を握りしめ、狂戦士の幻影へと立ち向かう。

 だが、斬っても斬っても、狂戦士は煙のように現れ、彼女を嘲笑うかのように、村を破壊し続けた。

 そして、カイルの世界は、あの孤児院の薄暗い書庫へと変わっていた。

 燃え盛る本棚が、彼を囲むように壁を作る。

 炎の中から、幼い頃の自分の泣き声が聞こえる。

『助けて!怖いよ!なぜ僕を一人にしたの?』

 その声は、カイルの思考を麻痺させ、彼の冷静さを奪っていく。

 彼は、幻だと頭では理解しながらも、炎の中の子供を見捨てることができず、その場に釘付けにされてしまった。


 三人は、それぞれが作り出した絶望の牢獄に、分断され、囚われていた。

 アルドゥスは、その光景を、神殿の中心で静かに、そして満足げに眺めている。

「見ろ。これが不完全な魂の末路だ。個として存在し、個として滅びる。絆などという非論理的な幻想は、絶対的な真理の前では、何の意味もなさない」

(このままでは、全滅する…)

 カイルの脳が、焦りと共に警鐘を鳴らす。

(幻だ、これは幻だ…!だが、心がそれを現実だと認識している限り、この牢獄からは抜け出せない…!何か、何か方法はないのか…!)

 その時だった。

「カイルさん!リアムさん!私の声が聞こえますか!?」

 リィナの、悲痛な、しかし強い意志を持った叫び声が、神殿に響き渡った。

 彼女は、狂戦士の幻影に囲まれながらも、涙を振り払い、大地に手を当てていた。

 彼女は、自らの絶望を振り払うために、仲間との温かい記憶を、必死に手繰り寄せていた。

「思い出してください、ストーンハートの丘の夕日を!私たちが一緒に食べた、あのしょっぱい干し肉の味を!忘れないでください!私たちは独りじゃない!ここに一緒にいるんです!」

 彼女の祈りに応えるように、彼女が手を当てた場所を中心に、うねる光の床が、温かい土に変わり、そこから若草の芽が力強く芽吹き始めた。

 それは、この神の庭に打ち込まれた、生命そのものの(くさび)だった。

 その温かい力の脈動が、絆の波動となって、分断された仲間たちの元へと届いたのだ。

 その声と、波動が、リアムとカイルを悪夢から現実に引き戻すきっかけとなった。

「リィナ…!」

 リアムは、自分を苛むガレスの幻影ではなく、リィナの声に応えた。

 そうだ、俺はもう独りじゃない。

 目の前の亡霊は、俺の弱さが生み出した過去の幻影に過ぎない。

 今、俺が守るべきは、過去の自分ではなく、目の前にいる仲間だ!

「黙れ、亡霊が!」

 リアムがそう叫ぶと、彼の強い意志に打ち破られたガレスの幻影が、苦悶の表情を浮かべて霧散した。

 自らの幻影を打ち破ったリアムは、すぐさまカイルがまだ幻影に囚われていることに気づく。

「カイル、しっかりしろ!」

 リアムはカイルの肩を掴んで力強く揺さぶった。

 その現実の衝撃と、信頼する仲間の声が、カイルの心を縛る悪夢に亀裂を入れる。

「こいつは俺の相棒だ!てめぇらみてぇな過去の亡霊に、こいつの未来は渡さねぇ!」

 リアムの叫びをきっかけに、カイルは自らの意志で、燃え盛る書庫の幻影を内側から粉々に打ち砕いた。

「リアムさん…!」

 現実に戻ったカイルは、即座に状況を把握した。

 彼は、リィナを苦しめる幻影の群れを冷静に観察し、その魔力の流れの中心点を見抜くと、寸分の狂いもなくナイフを投げつけた。

 ナイフは幻影そのものではなく、幻影を映し出していた水晶の壁に突き刺さり、甲高い音と共に亀裂を走らせる。

「リィナ、それはただの影だ!君の悲しみが形を与えているに過ぎない!心を強く持つんだ!」

 カイルの論理的な言葉が、リィナの心の霧を晴らす。

 彼女が強く念じると、狂戦士たちの幻影は、砂のように崩れ去っていった。

 三人は、リィナが作り出した若草の「聖域」で、再び集結した。

「奴の狙いは、我々の分断だ」

 カイルは、息を切らしながらも、冷静に状況を分析する

「幻影を生み出しているのは、奴の周囲に浮かぶ、あの三つの光球だ。あれが、奴の作り出す幻影の源になっている。あれを同時に破壊すれば、術を破れる!」

「言うのは簡単だが、どうやって!?」

 リアムが言った。

「よし!カイル、お前は援護に回ってくれ!リィナ、頼む。俺の足元に、信じられる大地を、一瞬だけでいい、作ってくれ!」

「はい!」

 作戦は一瞬で決まった。

 リアムが、槍の穂先のように、アルドゥスめがけて一直線に駆ける。

 リアムが踏み出すその一歩先を、リィナの祈りが先導するように、不安定な水晶の床を、次々と固い大地へと変えていく。

「無駄なことを!」

 アルドゥスが、リアムめがけて無数の光の槍を放つ。

 だが、その全てが、リアムに届く前に、カイルが投げたナイフによって軌道を逸らされ、明後日の方向へと飛んでいった。

 カイルの投擲技術は、もはや予測と計算の域を超え、仲間を信じる心が、彼の動体視力と判断力を、極限まで高めていた。

 リアムの目の前に、再び影のガレスが立ちはだかる。

「二人掛かりか?それでも俺は、お前の全てを知っているぞ、リアム」

「ああ、お前は『俺』のことは知っているだろう。だがな…」

 リアムは、背後で自分を支援してくれる仲間たちの気配を感じながら、不敵に笑った。

「お前は、『俺たち』のことは、何も知らねぇ!」

 リアムの剣が、影のガレスを両断する。

 そして、カイルの指示通り、寸分の狂いもなく、三つの光球を、同時に、そして一閃のもとに切り裂いた。

 神殿を覆っていた悪夢が、ガラスのように砕け散る。

 三人の絆が、初めて、神の力に一太刀を浴びせた瞬間だった。


 アルドゥスの穏やかだった表情から、初めて色が消えた。

 そして、その代わりに、純粋な怒りと、驚愕が浮かび上がる。

「…面白い。実に、面白い。まさか、この私に、この神たる私に、傷をつけるとは。不完全性の極みだ。素晴らしい」

 彼は、まるで心から感心したかのように、そう言った。

 その声には、もはや憐憫の色はない。

 ただ、自らの理解を超えた存在に対する、冷たい好奇心だけがあった。

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