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誰が英雄を殺したか — 竜殺しの英雄 —   作者: 神凪 浩
第二章 軍神の鉄槌
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第十五話 軍神との対峙

 アイアンフォートの最上階、ヴァルガスの玉座の間は、彼の精神を体現したかのような、武骨で殺風景な場所だった。

 磨き上げられているはずの大理石の床は、無数の傷跡で覆われ、壁には彼が討ち取ったとされる竜や強力な魔獣の頭蓋骨が、虚ろな眼窩を玉座に向けて飾られている。

 その中央に、巨大な黒鉄の玉座が鎮座し、部屋全体に冷たい圧を放っていた。

 その圧の中心に、「軍神」ヴァルガスは座っていた。

「…来たか、リアム。そして、世界の理を捻じ曲げた者どもよ」

 ヴァルガスはゆっくりと立ち上がった。

 その巨体は山のように大きく、その瞳には、竜への消えることのない憎悪の炎が燃え盛っていた。

 彼は、玉座の横に立てかけてあった、人の身の丈ほどもある巨大な戦斧「竜殺し(ドラゴンスレイヤー)」を、軽々とその手に取った。

 部屋の空気が、彼の闘気によって震え、重くなる。

「貴様らの戯言に付き合う気はない」

 ヴァルガスは、地響きのような声で言った。

「王都の甘言も、竜の誘惑も、この俺には届かん。俺は、俺の正義を、この鉄槌で執行するだけだ。力こそが秩序を生み、憎しみこそが明日への道標となる。貴様らのような弱者が作り出す、脆く、偽善に満ちた平和など、俺が根こそぎ破壊してやる」

「ヴァルガス!目を覚ませ!」

 リアムが叫んだ。

 その声は、怒りよりも悲しみに満ちていた。

「お前の憎しみは、他の英雄たちに利用されているだけだ!お前が作っているのは秩序じゃない、ただの恐怖だ!このままでは、世界が滅ぶぞ!」

「黙れ、裏切り者!」

 ヴァルガスは咆哮した。

「俺は、妻を、娘を、この手で瓦礫の中から掘り出したのだ!竜の炎に焼かれ、炭になった二人を!その悲しみが、その絶望が、貴様のような裏切り者に分かってたまるか!」

 ヴァルガスの巨体が、床を蹴った。

 人間業とは思えぬ速度で三人に迫り、大上段に構えた戦斧を一直線に振るう。

 轟音と共に、戦斧は三人がいた場所の床を粉砕し、大理石の破片が弾丸のように飛び散った。

 三人は辛うじてそれを避けるが、頬を掠めた風圧だけで肌が切れそうだった。

「散開しろ!」

 カイルの指示で三人は距離を取る。

 リアムがヴァルガスの正面に立ち、カイルとリィナは柱の影を縫うようにして側面へと回り込んだ。

「小賢しい!」

 ヴァルガスの次なる一撃は、リアムめがけて横薙ぎに振り下ろされた。

 リアムは白銀の剣を交差させてそれを受け止める。

 キィン、という甲高い金属音が鼓膜を突き刺し、凄まじい衝撃がリアムの両腕を駆け巡った。

 腕の骨が軋み、膝が折れそうになる。

 疾風の剣技をもってしても、軍神の純粋なパワーはあまりに規格外だった。

「どうしたリアム!その程度か!お前の剣は、平和な世で錆びついてしまったようだな!」

 ヴァルガスはリアムを力で押し込みながら、さらに戦斧に力を込める。

 ミシミシと、リアムの白銀の剣が悲鳴を上げた。

 一歩、また一歩と後退させられる。

 このままでは押し切られるのは時間の問題だった。

「リアムさんから気を逸らす!」

 カイルが柱の影から数本のナイフを投擲する。

 ナイフはヴァルガスの分厚い鎧に弾かれ、火花を散らして虚しく床に転がるが、その金属音が彼の注意をわずかに逸らした。

 その隙に、リアムは後方へ大きく跳躍し、間合いを取り直す。

「カイルさん、彼の左足!」

 リィナが、ヴァルガスの動きを食い入るように見つめながら叫んだ。

「古い傷があります!大技のあと、体重をかける時に動きが僅かに鈍い!」

 彼女の瞳は、恐怖に揺れながらも、戦場の些細な変化を見逃さなかった。

「分かった!」

 カイルは、冷静に戦況を分析する。

「だが、どうやってあの鉄壁の守りを崩すか…」

 ヴァルガスの猛攻は休まることを知らなかった。

 戦斧が振るわれるたびに、玉座の間は破壊されていく。

 砕けた柱が倒れ、壁の竜の頭蓋骨が床に落ちて砕け散った。

 リアムは防戦一方で、カイルとリィナも迂闊に近づくことができない。

 このままではジリ貧だ。カイルの脳裏に、最悪の結末がよぎった。

「私が隙を作ります!」

 リィナは覚悟を決めると、柱の影から飛び出し、ヴァルガスの死角へと走り込んだ。

 彼女の手には、父から譲られた護身用の短剣が、頼りなく握られている。

「小娘が!」

 ヴァルガスはリィナに気づき、その巨大な戦斧を、虫けらを払うかのように彼女めがけて振り下ろそうとする。

 しかし、それは彼女の狙い通りだった。

 巨体をひねったことで、彼の古傷がある左足が、一瞬だけ無防備に晒される。

「リアムさん!」

「もらった!」

 リアムは、床を蹴って矢のような速さで踏み込み、その白銀の剣を、ヴァルガスの左足へと閃かせた。

 剣は鎧の僅かな隙間を正確に捉え、深く突き刺さる。

「ぐおおおっ!」

 さすがのヴァルガスも、古傷を的確に攻められ、大地に片膝をついた。

 その巨体が、初めて大きく揺らぐ。

「終わりだ、ヴァルガス!」

 リアムの剣が、ヴァルガスの心臓めがけて突き込まれようとした、その瞬間。

 ヴァルガスは、信じられないほどの力で、地に突き立てた戦斧の柄を蹴り上げた。回転した戦斧がリアムの体を強かに打ち、彼を壁まで吹き飛ばした。

 リアムは壁に叩きつけられ、口から血を流しながら崩れ落ちる。

「まだだ…!俺は、軍神ヴァルガスだ!」

 彼は、血を流しながらも、再び戦斧を構える。

 その姿は、まさに鬼神だった。

 だが、彼の瞳の奥に、一瞬だけ、深い悲しみの色がよぎったのを、カイルは見逃さなかった。

「ヴァルガス!」

 カイルは叫んだ。

 それは、ただの挑発ではない。真実を抉り出す、鋭利な刃のような言葉だった。

「その傷を押してまで戦うのか!アルドゥスに何を約束された!?死んだ家族を蘇らせるとでも言われたか!?その甘言を信じ、お前は友を殺し、民を狂わせ、世界を滅ぼす化け物に成り下がった!お前が瓦礫の中から掘り出したのは、お前の家族の亡骸だけではない!お前自身の心だ!今のその姿を、お前の妻が、娘が見たら、果たして喜ぶとでも思うのか!?」

 その言葉は、ヴァルガスの心を、確かに揺さぶった。

 彼の脳裏に、優しかった妻の笑顔と、無邪気にはしゃぐ娘の姿が、鮮明に蘇る。


『あなた、無茶はしないでくださいね』


『お父さん、だーいすき!』


 守りたかったもの。

 取り戻したかった、温かい日々。


「う…うるさい…」

 ヴァルガスの動きが、完全に止まった。

 憎悪に燃えていた瞳から力が抜け、焦点が合わなくなる。

 握りしめられた戦斧が、わずかに緩んだ。

「黙れえええええっ!」

 心の迷いを振り払うように、ヴァルガスは、天に向かって戦斧を大きく振りかぶった。

 だが、その一撃は、誰に向けられるでもなく、ただ虚空を斬ろうとする、魂の絶叫でしかなかった。

 その隙は、ほんの一瞬。

 しかし、仲間を信じる者たちにとっては、十分すぎる時間だった。

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