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第十話 新たな始まり

 数ヶ月後。季節は巡り、ストーンハート領には穏やかな秋風が吹いていた。

 竜の解放後、世界の「病」は劇的にではないものの、しかし確実に癒え始めていた。

 濁っていた川の水は澄み渡り、川底の小石がきらきらと輝くのが見えるようになった。

 病にかかっていた森の木々は、枯れた枝から力強い若葉を芽吹かせ、鳥たちのさえずりが再び森を満たした。

 そして何より、痩せていた大地が、ゆっくりと生命力を取り戻していた。

 今年の収穫はまだ全盛期には及ばないものの、農夫たちの顔には昨年にはなかった安堵と希望の色が浮かんでいる。


 カイルとリィナは、ストーンハート領の復興と安定のために奔走していた。

 彼らはその功績を称えられ、王都の治安維持部隊の要職を提示されたが、二人そろってそれを辞退し、全ての始まりの地であるこのストーンハート領に戻ることを選んだのだ。

 カイルは執政官アルベリヒの補佐として、領地の新たな法整備や、真実の歴史を伝えるための教育制度の構築に力を注いでいた。

 リィナは、その共感力と実直な人柄で、民と領主館の間の架け橋となっていた。

 彼女は各地の村を回り、土地の回復状況を調査し、人々の声に耳を傾けた。

 当初は「英雄の嘘」に戸惑い、混乱していた領民たちも、二人の真摯な姿に、次第に新たな未来への信頼を寄せ始めていた。


 ストーンハート領の練兵場では、かつてカイルと反目したゲルハルト隊長が、若い義勇兵たちの指導に当たっていた。

 彼はもう、過去の英雄譚を語ることはない。

 代わりに、不器用な言葉で、仲間を信じることの尊さと、過ちから学ぶことの大切さを説いていた。

 その厳しくも温かい眼差しは、カイルが最も信頼する右腕としての、新たな誇りに満ちていた。


 その日の午後、仕事を終えたカイルとリィナは、領地を見下ろす丘の上で、穏やかな風に吹かれていた。

 眼下には、収穫期を迎えた黄金色の畑が広がり、家々の煙突からは夕餉の支度をする煙が立ち上っている。

 それは、カイルがかつて悪夢の中で失った、ありふれた平和な光景だった。

「本当に、これでよかったのかな……」

 リィナが、ぽつりと呟いた。彼女の視線は、活気を取り戻しつつある町の姿を捉えている。

「人々が信じていた英雄像が、全て嘘だったなんて。彼らの心の傷は、まだ癒えていないはずです。私たちは、安定した嘘よりも、痛みを伴う真実を選んでしまった…」

「真実を知ることは、いつだって痛みを伴う」

 カイルは、眼下に広がる穏やかな街並みを見つめながら静かに言った。

「だが、偽りの上に築かれた平和は、所詮、砂上の楼閣だ。いつか必ず崩れ去る。それは、俺の村が焼かれたあの日に証明されている。あの平和は、偽りだったからこそ、簡単に崩れ、人々は死んだ。この痛みは…骨折した足が、正しい位置で再び繋がる時の痛みに似ている。痛むが、この痛みを乗り越えなければ、二度と自分の足で立つことはできない」

 彼はリィナに向き直り、その瞳を真っ直ぐに見つめた。

「それに、俺はもう一人ではない。君がいてくれたから、俺は真実から目を逸らさずにいられた。ありがとう、リィナ」

 彼の不器用だが、心からの感謝の言葉に、リィナは頬を染めながらも、力強く頷いた。

「私もです、カイルさん。あなたと一緒だったから、ここまで来られました」

 その時だった。

 二人が見つめる地平線の、はるか東の空に、一本の真っ直ぐな黒煙が、天を突くように上がるのが見えた。

 それは、他の三人の「英雄」たちの一人、ヴァルガスが治める領地の方角だった。

 偶然ではない。

 それは、世界の真実を認めず、自らの権力と偽りの平和を守ろうとする者たちからの、明確な反撃の狼煙(のろし)だった。

 二人が丘を駆け下りるより早く、王都からの伝令が馬を駆って現れた。

 伝令は息を切らしながら、一通の羊皮紙をカイルに手渡す。

 そこには、王の震える文字で、絶望的な知らせが記されていた。

「他の三英雄、王の勅命を無視し、反旗を翻す。『竜を崇める背信者』として、王家並びにストーンハート領への宣戦を布告せり…」

「始まった、か…」

 カイルが、鋭い目つきで東の空を睨みつけた。

「ええ」

 リィナも、彼の隣で頷く。その表情に、もはや怯えはなかった。

「でも、もう私たちは一人じゃありません」

 カイルはリィナの手を固く握った。その手の温もりが、これから始まる戦いへの覚悟を彼に与えてくれる。


 エレジアの空の下、真実が明かされた世界は、新たな夜明けを迎えると共に、まだ見ぬ嵐が吹き荒れようとしていた。

 彼らの本当の戦いは、まだ始まったばかりだった。

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