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Episode2 #とんこつのギトギトがドキドキに変わる魔法

 駅で友人と別れて、電車に揺られること五駅。

 そこから我が家までは、徒歩で十五分かからないくらい。

 自転車に乗るほどの距離じゃないし歩いているけど、ここがアメリカならスケボーで車の後ろに掴まるやつを一度はやってみたいよね。


 でもスケボーって、自分が転ぶだけならともかくボードがどっか飛んでいってピタゴラ事故ったら怖すぎて絶対乗れない。

 専用スペースもあるらしいけど、憧れるのはやっぱり街乗り。


 そんなどうでもいい事を考えながら、まだ明るいけど陽が傾き始めて、少しだけ柔らかくなった光の中を歩いていく。


 家の前の道路が桜並木なんだけど、春になると街灯にライトアップされて、めちゃいい感じなんだよね。

 姉が、駅前のコンビニでお酒を買うだけで帰り道でお花見気分に浸れるとか言ってたっけ。


 自宅マンション前についたわたしは、エレベーターをスルーして外階段に向かう。


 マンションのエレベーターってそんなに広くないし、閉じ込められたら絶対泣くからなるべく階段使うようにしてるんだけど、三階って階段でのぼれるギリギリだと思う。


 家の前についたわたしは、前に誕プレリクエスト権を消費して作ってもらった、お気に入りのアンティーク調の合鍵を取り出す。


 これすごいんだよ、ちゃんと使えるし。


 色は古びたゴールドで、持ち手にはハートモチーフの細工があって、透明感がある深緑色の石が埋め込まれてるんだけど、いつかわたしの物語の扉も開けそうな、そんな気にさせてくれるんだよね。 


「あれ、ただーいま」


「よっ、おかーえり」


 帰宅したわたしを出迎えてくれたのは、割ともう家族感のある姉の彼氏さんだった。


「もう来てたんだ? おー、いつもありがと!」


「ついさっきね。すき焼きお呼ばれしにきたぜ」


 身長高めでなかなかのイケメンメガネ男子だけど、わたしの視線は掲げられた製菓店の手提げ袋に釘付けだ。


 彼はラーメン屋で半熟煮卵を注文するか迷いまくってた姉に「あちらのお客様からです」って煮卵を奢ったという伝説の人で、ナンパというより自分が好きな半熟煮卵を結局頼まなかった姉へのサービスアンドボケーだったらしいけど、そのあと意気投合したんだって。


 わたしはこのエピソードが好きすぎてこれだけで卵かけご飯三杯はいけるし、付き合ってくれた店員さんにいつか助演賞をあげたい。


「お姉ちゃんは?」


「クレソン買いに行った。今日は良い肉だから春菊には任せられないってさ」


 どういうこと?

 名前のオシャレ加減?

 春菊とかすき焼きにしか出番ないのに、可哀想に。


「時期的にクレソンの方が旬なんだと」


 わたしの頭の上のハテナが見えたらしい。


 というかクレソンもステーキの付け合わせでしか見たことないけど、つまりお肉に合うってことか。

 でもなんで急に旬にこだわりだしたんだろ。


「ちょうど動画で見たんだと」


 ハテナを見逃さないね、この人は。


 それにしてもラーメン屋で煮卵かぁ。

 運命的な出会いといえばそうだけど、どちらかというと積極性の賜物だよね。


 というか半熟煮卵って、あんな味がしみしみになるまで煮たら半熟じゃいられないのでは。


 そもそも実は半熟漬け卵なのでは?

 これは本物の煮卵ではない?

 女将を呼べえ!?


「女将……じゃなかった。お母さん達は?」


「親父さんはすき焼きの仕込みしてて、ママさんはコンボトライアルしてる」


 今日は父が料理担当らしい。

 というか一応お客さんが来てるのに、格ゲー練習してる母のフリーダム加減にちょっと笑った。


「今いいところらしい」


 父が格ゲー大好きで、その影響で家族は多かれ少なかれみんなやってるんだよね。


 ちなみに両親とも彼氏さんとの仲は良好で、こないだも俺より弱いやつに娘はやらんとか言って父と二人で対戦してた。

 うちは二人姉妹だから、多分初めて息子が出来たみたいで楽しいんだろう。


 わたしは受け取った製菓店の袋の中身をあらためて、予想通りプリンであることを確認してから冷蔵庫に仕舞い込んだ。


 彼氏さんがくる時は毎回何かしらお土産くれるんだけど、わたしがプリンに大はしゃぎした時から、だいたいプリンにしてくれてるんだよね。


「プリンは食後に取っといて、コーヒーでも淹れるね」


「おもてなしの心あざっす」


 わたしも飲みたいし、そんな大したもんじゃないけどね。

 すき焼きに備えてまずはコーヒーで心を落ち着けよう。


 お湯が沸いたらカップとコーヒーサーバーに注いでしばらく温めておく。

 サーバーにドリッパーとフィルターをセットして、姉ブレンドのコーヒー粉を二杯分。


 あとは口の細いポットからお湯を回しかけるように、なるべくゆっくりと注ぎ入れる。

 抽出したコーヒーをカップに注いで、わたしの分は砂糖と温めたミルクを注いでカフェオレに。


 それっぽく淹れてるように見えたかもだけど、コーヒーの香りは好きだけど甘いカフェオレこそ正義だと思ってるし、なんならコンビニのコーヒー牛乳で全然良い。


 味の違いがわからないっていうのは、つまりなんでも美味しいからお得なんだよね。


 彼氏さんはとりあえずブラックで楽しんで、半分くらいになったらどかっと砂糖を入れて飲んでる。

 イタリア人もエスプレッソに砂糖を入れまくるらしくて、なかなか通っぽい飲み方だよね。


 姉に至っては生のコーヒー豆から焙煎して熟成して手回しのコーヒーミルで挽くところからやったりしてるけど、本人いわく割と雰囲気らしくて違いがわかる訳ではないらしい。


 でも、いつも楽しそうにやってるのを見ると、わたしも何かこだわりの趣味を探そうかなという気持ちになるよね。


 なんかこう女子高生ぽいのが良いなと思いつつ、スマホでコンボルートとか調べてるうちは、まだまだ遠い話かもしれない。



           ◇◆◇



「というわけで、ワインとクレソンで洋風すき焼きにしてみた」


 コンロにすき焼き鍋をセットしながら、父が説明してくれた。

 クレソンに合わせて、割り下にワインを使ったレシピなんだって。


 うちは共働きだし、そもそも父が料理好きだからよく作ってくれるんだけど、今日は久しぶりのすき焼きに張り切ってるらしい。


 お肉もいい感じにサシが入ってるし、卵も殻が薄紅に色付いてて、なんか可愛い。


 やっぱりすき焼きはちょっと良いお肉が美味しいよね。

 でも肉うどんだと硬めの安そうなお肉の方が何故か美味しい不思議。


 ちなみに卵の殻は鶏の飼料の違いなだけで、別に色付きが高品質とかじゃないらしいね。

 でもそれを知った今でも、なんか色付きだとちょっと嬉しくなる不思議。


 とかくこの世は謎だらけってやつだね。


 自分では簡単なものしか作らないけど、こうやって料理している所を眺めてるのは結構楽しい。

 特に料理動画と違ってその後食べられるっていうのがいいよね。


 鍋が温まってきたら牛脂を引いて、斜め切りのネギを炒める。

 香りが立ったら牛肉を入れて片面に軽く焼き色が付いたらすぐに割り下を投入。

 エノキ、シイタケ、豆腐、白滝を入れて煮込む。煮立ってきたら別茹でしたクレソンを入れて、蓋をしてもうちょっと。


「どうせ追加の肉はそのまま煮込むけど、気分気分」


 ということらしい。

 さて、わたしも準備しよう。


 卵はちゃんと両手で割って、口当たりが悪くなるからカラザは取り除くこと。

 黄身と白身のあいだにある白いやつね。

 あとは器の底にお箸をあてて、白身を切るようにしっかり混ぜる!

 軽く混ぜて黄身とのコントラストを楽しむ人もいるけど、わたしはあのどろっと感がちょっと苦手なのでしっかり派。

 

 まずは牛肉を溶き卵にくぐらせて、ご飯にワンバウンド。

 肉のうまみと割り下の甘じょっぱさ、それを包み込む卵の優しさが口いっぱいに広がったところでご飯で追いかける。


 うーん! これが長年ごちそうの地位を築いているすき焼きの力だよ。


 クレソンも春菊よりクセがなくて、全然合うね。


 うちは別に食事中のおしゃべり禁止とかないけど、暫くはみんなが「うぅーん」とうなる声と、すき焼きのぐつぐつというご機嫌な音だけが響いていた。



           ◇◆◇



「ねぇねぇ、お父さんとお母さんって、どんな馴れ初めだった?」


 すき焼きを満喫して宴もたけなわの最中、ちょっと気になって聞いてみた。


「ヤバいな。お姉ちゃんのエピソードが強すぎて、ちょっと分が悪くないか?」


 締めのうどんを準備してた父がそうボヤいてるけど、いや別におもしろエピソードじゃなくてもいいんだけど。


 ちなみに姉カップルはレイトショーを観に出かけた。

 姉いわくポップコーン分の余白の為に、締めは食べないでおくんだとか。

 その前のご飯大盛りおかわりは大丈夫なんだろうか。


「馴れ初めっていってもなぁ。気付いたらよく一緒にいたというか。家も真向かいだったし」


 そう、仲のいい幼馴染がそのまま結婚したんだよね。ちなみに実家に遊びに行く時はどっちにも寄れてお得感があるよ。


「えぇー? なんかこう、恋に落ちたきっかけとかないの?」


「きっかけっていうか、中学の修学旅行中に男子で恋愛トークした時に母さんが結構人気あったんだよな。それで母さんが他のやつと付き合うって考えてみると、いやそれはないなってのは思ったかもなぁ」


「それで中学卒業の時にお父さんから告白してくれたんだけど、なんか幼馴染はそのうち負けるっていう風潮があるとかで、事あるごとにそれでからかわれたの思い出したわ」


 シーザーサラダをつつきながら母が引き継いで教えてくれた。


 シーザードレッシング最強だよね。

 クルトンはコーンスープにでも浮かんでるといいよ。


「うち男子校だったのに、誰に負けるんだよ」


「うーん、教育実習生とか?」


「いいね! 痛い痛い!」


 父が教育実習生にイイネしました。

 字面がちょっとダメかも。

 そのあと母に両手でポカポカされてた。


 じゃれ合う二人を横目に、すき焼き色に染まったうどんを頬張りながら考える。


 何かがあったというか、いつの間にか恋に落ちていて、それに気付いたって感じだよね。


 わたしの恋も、いつか始まるのかな。

 すき焼きにお餅を入れるのって、邪道なのかな。


 ふと窓から見やった空はいつの間にか深い青で、街灯のオレンジ色が辺りを薄く照らしていた。

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