クリスの戦い
零霊院・西回廊。
灰の霧が立ちこめるその空間に、鉄塊のような気配が立ち現れた。
「……カイル・セレスティア、だな?」
響いた声は低く、重く、地面すら震わせるような圧力を伴っていた。
修律会・武闘部隊《灰鱗衆》の隊長、ゼクス・ギャロウ。
対演出者潰しとして知られる男。剣も術も使わない。使わないが――止められない。
その姿に、カイルの隣にいたクリスの顔が僅かに引き締まる。
「……ゼクス、あんたが来るとはな」
「来たとも。あん時と違って、今度は本気で潰しに来た。信頼? 感情? あんなもんで力になると思ってる奴らを、全部な」
ゼクスの視線はカイルを射抜くように突き刺さっていた。
「この拳で、その演出ごっこを粉々にしてやるよ」
空気が軋む。
まるで重力がねじ曲がるような感覚に、カイルが無意識に身構えた。
その時――クリスが一歩、前に出た。
「待て、カイル。ここは……俺が行く」
「……クリス?」
「こいつとは、過去がある」
クリスの瞳は揺れていなかった。
カイルの方を向くと、少年のような笑みを見せた。
「俺の修行がずっと笑われてた時代があった。誰にも認めてもらえなかった。でもお前だけは違った。すげえって言ってくれた。……それだけで、俺はずっと踏ん張ってこれた」
「だから、今度は――俺がその信頼に応える番だ」
カイルは数秒黙ったのち、ゆっくりと頷いた。
「行ってこい、クリス。その拳で、積み上げた努力を証明してやれ」
※※※
二人の拳が交差した瞬間、風が爆ぜた。
演出など存在しない。
ゼクスの攻撃はただの拳――なのに重い。速い。痛い。
「ぐっ……!」
クリスが吹き飛ばされ、壁に肩を打ちつける。
ゼクスはそれを追い打ちせず、立ち尽くしたまま言う。
「お前の拳、ちっとは鍛えてきたみたいだな。だが足りねぇ。甘ぇよ。修行なんざ拳を壊してなんぼだ」
「……黙れよ、筋肉の亡霊が……!」
クリスは立ち上がり、額の血を拭う。
「確かに、俺の修行は地味だった。演出もない。目立たない。
でも、積み重ねた分だけ、届く力になってんだよ!」
※※※
かつて、演出修行の講義でクリスは何度も否定された。
「魔導を使えない者の進路は限られています」
「体鍛えてどうするの? 魔法一発で終わりだよ?」
そんな声を、何度も聞いた。
でも、手を止めるのが怖かった。
止めたら、本当に自分が何者でもなくなる気がして――怖かった。
そんな自分を、笑って受け入れてくれた男がいた。
「クリス、すげぇな。演出ないのに、こんなに続けてんのか」
――カイル。
信頼なんて、他人から受けたことがなかった自分に、
最初に手を差し伸べてきた、火の人。
――だったら、今度は俺がその火を支える番だろ!
※※※
拳が交錯する。
ゼクスの一撃一撃が空気を歪ませ、壁を割る。
だが、クリスは退かない。
カイルが信じてくれたから、ここまでこれた。
だから、信じ返すだけじゃ足りない。
「俺が俺を信じる。信じさせてくれたお前のために!」
体を沈める。踏み込み、拳を握る。
《覚醒技:修練極拳・踏影烈道》
努力の結晶。積み上げてきた修行の全てをぶつける一撃。
その拳が、ゼクスの鉄の胸に――炸裂した。
「ぐぉっ……!」
ゼクスの巨体が浮き、後方の柱を巻き込んで倒れ込んだ。
静寂が戻る。
※※※
「……まいった。完全に……効いたぜ……」
ゼクスは苦笑して倒れたまま呟いた。
「お前の拳、修行の意味を……ちゃんと持ってたな」
「ありがとな、ゼクス。お前がずっと否定してくれたおかげで、俺、前に進めたよ」
クリスは血のにじむ拳をゆっくりと下ろした。
※※※
戦いが終わったあと。
カイルと合流したクリスは、満身創痍のまま笑っていた。
「カイル……拳、届いたよ。ちゃんと……修行で勝てた」
「見てたよ。お前の拳、すげぇって思った」
「……ありがと。信じてくれて」
カイルは静かに拳を合わせた。
「お前の信じた道は、もう誰にも否定させねぇよ」
「おう。……さぁ、次はどこだ。まだ終わっちゃいねぇんだろ?」
二人の足が、深層へと進む。
拳は、まだ止まらない。
修行も、信頼も、積み上げるためにあるのだから――




