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統吾は目を強くつぶると、肩を落とした。
ブラックホールなんて撮影しに来るんじゃなかった。人気の配信者になりたかったのに、このままじゃ行方不明者になってしまう。
「少し座って休憩しようか」
統吾は、ののかを水辺の木陰に連れて行く。日光が当たらず、少しだけ涼しい。水面が鏡のようになり、青空に浮かぶ入道雲を映している。
二人は古びたベンチに腰を下ろした。
板はひび割れ黒ずみ、パイプから錆びついた金属が露出している。
「ののかちゃん。今いる場所がどこかわかる?」
「諏訪湖だよ」
「俺の知ってる諏訪湖とは違うんだけど、何でかな?」
「わかんない」
ののかが、抑揚なく答える。
「どうして黒い穴に向かって走っていったの?」
「ママいないから戻ったの」
「どこに?」
「ここ」
統吾はひどく混乱した。ののかに質問を続ける。
「今の日付と時間わかる?」
ののかは、ピンク色の肩掛けポーチから何かを取り出す。透明なキャッシュカードのような物体だ。
「今は何月何日、何時何分?」と、ののかが話しかける。
「おはよう。ののかちゃん。2076年8月9日午前8時33分です」
女性の声が聞こえてくる。自然なイントネーションだ。透明な物体は電子機器のようだ。こんな小さいのにどこにマイクやスピーカーやバッテリーがあるのか。
統吾はポケットに手を突っ込み、iPhoneを取り出す。サイドボタンを押した。液晶画面は、2026年8月8日午後8時33分を表示している。五十年と十二時間の時差がある。嘘だろ。ありえない。
透明な電子機器がまた話しだす。
「ののかちゃん、健康スコアが下がっています。休みながら水分補給をお願いします。大好きなハムスターに癒されるのはいかがですか」
ののかが嬉しそうに「見たい!」と答える。統吾は、リュックサックから麦茶を取り出し、ののかに手渡した。
透明な電子機器が発する光の中にハムスターが現れた。まんじゅうサイズで白茶色の体毛をしている。毛並みだけでなく、揺れる髭まで鮮明だ。
ハムスターがおもむろに回転遊具を這い上がり、その中を走り出した。高速で回る羽車に爪が擦れる音がする。
ののかは膝から下をバタつかせ、しきりに「かわいい」「いいね」と言う。
統吾がハムスターに触れようとすると、手がすり抜けてしまった。
こんな精巧な立体映像なんて2026年には無い。やばい。どうやら本当に五十年後に来てしまったようだ。