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「もしや、ブラックホール」と書かれた投稿には、長方形の黒い影が写っている。四時間で、二千十六件の「いいね!」と二百六十七件のコメントが付いた。
前園統吾は、小さなため息をついた。この無名の投稿者が自信と友達を手に入れるきっかけを掴めたとしたら、羨ましすぎる。
インスタグラムを見ていたiPhoneをテーブルに置くと、背もたれに寄りかかった。
二階にあるカウンター席は大きな窓に接している。統吾は終電間近の駅前に視線を向けた。バスロータリーでは、人の姿はまばらだ。タクシー待ちの列がゆっくりと伸びていく。
隣に、誰かが着席した。揚げたてのフライドポテトの香りが漂ってくる。横目で見ると同世代くらいの女の二人組だ。声を弾ませながら、大学のサークルや彼氏の話を始めた。
統吾は勢いよくメロンソーダを飲み干す。炭酸が抜けて甘ったるい。ハンバーガーの包装紙を丸めてから、トレーを持ち上げると、出口へ歩き出した。
飲食店が立ち並ぶ通りに出た。さっきまでの雨は上がっている。大きな水たまりがいくつもあった。じめっと湿った空気が肌にまとわりつく。
はしゃぐ男女の声が聞こえてきた。赤らんだ顔の男が、ニヤけた顔で何やら話している。すると、他の者達が「めっちゃウケる!」と手を叩いて笑いだす。彼らがカラオケ屋に吸い込まれると、再び静寂が訪れた。
統吾は、誰もいないアパートへの帰路を踏み出した。
統吾は、つまづきそうになりながら小走りで、諏訪湖の緑地に到着した。なんとか間に合った。
綺麗に整った青い芝生が広がっている。日傘と手持ち式扇風機を使う歩行者とすれ違った。
夕日が波のない湖面を赤く染めていた。周囲に深緑色の平べったい山が連なる。遠くの対岸に、密集した建物が小さく見えた。蝉の声が鳴り響く。
統吾は汗拭きシートで顔、首、半袖シャツの中を拭う。幾分か、不快感が和らいだ。
統吾は、ブラックホールを探し始めた。緑地を隅々まで見て回る。
ブラックホールを鮮明な動画で配信したい。たくさんの「いいね!」やコメントが欲しくて仕方なかった。
しばらくすると、分厚い雲が空を覆いはじめた。辺りは薄暗くなり、ひんやりとした風が吹く。草木の匂いは、さっきより薄い。
早く見つけなきゃ。統吾は、歩速を上げる。ブラックホールは夕方に現れ、暗くなった途端に消えてしまったらしい。
鼓膜を破りそうな落雷が、突如鳴り響く。思わず統吾は全身を震わせる。大粒の雨が降り出した。空を見上げ、手のひらで雨滴を確認する。
統吾は、うつむき肩を落とした。
背を丸め、急いで撤収する。全身がびしょ濡れだ。
駐車場まであと少しの場所で、統吾は急に足を止め棒立ちになった。自動販売機サイズの黒い物体がある。地面から少し浮いてる。
「ブラックホールだ!」
統吾は叫んだ。
防水ケースに収納したiPhoneを急いで取り出すと、録画を始める。脇を締め、手のブレを抑える。
全体から細部にフォーカスを当てていく。輪郭はぼんやりしているが、中心に近づく程に黒さが増す。落ちていた石を投げ込む。どこかに落ちた様子はない。
これ以上近づかずに、内側の様子を撮影したい。統吾は、五メートルの自撮り棒を取り出すために、リックサックを開いた。
何かの気配がする。
おかっぱ頭の女児がブラックホールに向かって、緑地を走っていく。焦った表情をしている。幼稚園生か小学生かの見分けがつかない背丈だ。
「危ない! 行っちゃダメだよ!」
女児は統吾を一目見たが、止まらない。
統吾は自撮り棒を手放すと、駆け出した。素早く手を伸ばし女児の半袖シャツを掴む。
「やだ!」「ママ! ママ!」女児は、統吾の手を振り払い逃れようとする。
ブラックホーはすぐ目の前だ。統吾の背筋が凍りつく。空が真っ黒に染まる。
女子を掴んだまま後退しようとするが、なぜか体が引っ張られる。ブラックホールがうずまきのように回転しながら、小さくなっていく。
やばい、そう思った瞬間、強い引力が発生した。二人の体は宙に浮き、あっけなく吸い込まれた。