第9話 復活の予兆
ポルデュラがマルギットの中に眠るもう一人のマルギットを鎮静してから2年、マルギットは第三子を無事に出産した。
第一子と同じく夫のハイノと同じブロンズ色の髪、灰色の瞳をした男子であったから己と同じマデュラ子爵家の特徴である赤い髪、緋色の瞳でない子が生まれたことにマルギットは胸をなで下ろした。
第三子の名は亡くなった第二子ルシウスの名が引き継がれた。
第三子として生まれたルシウスであったが、第二子が亡くなっていることから第二子として扱われる。
シュタイン王国では第一子が家名を承継し、第二子は各貴族に設置が義務付けられている騎士団団長を承継することが定められている。
第二子となるルシウスは将来騎士団団長となるため生後一週間で王都城壁にある騎士訓練施設に乳母と護衛兼教育係と共に移された。
同じころ5歳になった第一子アルノ―に王家星読みによる縁が結ばれた。アルノ―と縁が結ばれた婚約者は王国の習わし通り、マデュラ子爵家に居を移していた。
一気ににぎやかになったマデュラ子爵家は2年前の出来事が嘘のように明るい光が満ち溢れ、マルギットは今までにない穏やかな日々を夫のハイノと共に送っていた。
幸せとはこのような穏やかで暖かい感情に満たされていることを言うのだろう。マルギットは生まれてはじめての幸福な時を味わっていた。
そんな幸せな日々から1年が経ったころ、マルギットは第四子を授かった。
第四子懐妊の知らせを聞いた夫のハイノは人目も憚らずマルギットを抱き上げ喜んだ。
「ハイノっ!もうそろそろ下して下さるかしら?アルノ―とフレデリカが笑っているわ」
マルギットを抱き上げクルクルと回るハイノを窘める。
そんな両親の幸せそうな姿をアルノ―と婚約者のフレデリカは微笑み見つめていた。
「アルノ―、フレデリカ、父と母が仲が良い事を笑うのか?」
ハイノが嬉しそうに2人に訊ねる。
「いいえ、私たちも父上と母上のように仲睦まじくありたいと思います」
「そうであろう?マルギット、アルノ―とフレデリカはこう申しているぞ」
ハイノは抱き上げたマルギットをゆっくり下すと額に口づけをした。
「そなたが赤子のころから傍にいた。傍にいる事しかできなかった。今、やっとそなたと心から通じ合えていると感じている。マルギット、愛しいマルギット、我らの子がまた生まれる。感謝するぞ」
ハイノは震える声でそう言うとマルギットを抱きしめた。
マルギットは胸に込上げてくる熱い何かを感じていた。少し苦しく、それでいて甘美な何とも言えない感覚にハイノの胸にそっと左頬を寄せる、ホロリと暖かい涙がこぼれた。
「ハイノ・・・・感謝するのは私の方です。ハイノがずっと傍にいて下さったからこその今ですわ。感謝するわ」
そんな両親の姿にアルノ―とフレデリカは手を繋ぎ、微笑み合いながら2人を見守った。
ホンギャー
ホンギャー
マルギットは無事に第四子を出産した。4人目にして一番元気な産声だった。
「マルギット様、元気な男子でいらっしゃいます」
取り上げた産婆が産湯を済ませた子をマルギットの隣に寝かせた。
「・・・・」
マルギットは嬉しさと哀しさとが入り交じった思いで我が子の額にそっと口づけをした。
マルギットと同じ赤い髪の男子であった。瞳の色も恐らく緋色であろう。
『すまぬ・・・・許して欲しい。私と同じ赤い髪、緋色の瞳に生んでしまい・・・・すまぬ・・・・』
心の中で隣に眠る我が子に詫びた。
マルギットが第四子を出産してから一週間、当主代行として王都に出向いていたハイノがマデュラ領に戻ってきた。
ドカッドカッドカッ!!!
バンッ!!!
いつもは物静かなハイノが大きな足音と共にノックもせずにマルギットの寝室に飛び込んできた。
「マルギット!!!」
ガバッ!!
ベッドで横になっているマルギットに勢いよく抱きつく。
「うっ・・・・ハイノ、苦しいわ」
サッ!!
ハイノは無事に出産したマルギットの顔が少しでも早く見たかったのだと息を切らし言い訳をした。
「マルギット!よかった。どこも痛みはしないか?食べることはできているか?あぁ、マルギット、もう少ししっかりと顔を見せてくれ」
ハイノはマルギットの両頬を両手で包みこんだ。
「ハイノ、大事ないわ。産後の肥立ちも申し分ないと医師も産婆も言っていたわ。安心して」
マルギットはハイノがするようにハイノの左頬にそっと右手を添えた。
「そうか!産後の肥立ちも申し分ないのだな。よかった。して、我らの子はどこにいるのだ?」
「沐浴をしているわ。ハイノ・・・・あのっ・・・・」
マルギットはハイノの頬から手を離すと自身の頬に添えられているハイノの手を握った。
「解っている。マデュラの印を受け継いだのであろう?何も恐れることはあるまい。これから我らはエステールのハインリヒ様が目指す理想を成し遂げるのであろう?マデュラの印も子が大きくなるころには美しさの印となろう。大切にしてやろう。我らの手で」
ハイノはマルギットの不安そうな緋色の瞳を見つめると瞼に口づけをした。
「ハイノ、感謝するわ。ハイノには助けられてばかりね。ハイノ・・・・」
じっとハイノの灰色の瞳を見つめる。
「うん?どうした?マルギット。まだ、不安なのか?何事もなるようにしかならぬぞ。己でできうることには限りがある。後は天に任せるより道はなかろう?
案ずるな。我らであれば何事も受け入れることができる。おっ、そうだ。名はイゴールでよいか?男子であればイゴールと決めていたがその名でよいか?」
ハイノはマルギットへ微笑みを向けた。
「ええ、名はイゴールのままで。100有余年前の因縁を乗り越える偉大な子に育って欲しいわ」
マルギットはハイノの左頬へ右手を添えて
「ハイノ・・・・私、ハイノにずっと伝えたいことがあったの。今まで、どうしても伝えられずにいたわ。今、伝えても?」
ハイノは首をかしげる。
「うん?なんだ?私に伝えられずにいた事がまだあったのか?全て伝えたと申していたであろう?申せばよいぞ、マルギット。そなたの言葉はどんなことでも受け止める。私にはそれしかできぬからな」
ハイノはふっと笑った。
「ええ、ハイノ・・・・」
じっと緋色の瞳でハイノの灰色の瞳を見つめ、
ハイノの左頬に添えている右手を後頭部に回すとぐっと引き寄せ唇を重ねた。
そっと唇を離しハイノの灰色の瞳を愛おしそうに見つめながら
「・・・・ハイノ・・・・愛している。あなたを愛しているわ」
ハイノは一瞬、驚いたように眼を見開いた。そして、直ぐに細められた灰色の瞳が潤んだ。
「マルギット、私もだ。そなたが赤子の頃からずっと愛している。マルギット・・・・」
ハイノはマルギットを抱きしめ熱い口づけを交わした。
マルギットが初めてハイノに告げた愛の告白、マルギットの本心だった。
生まれて一月が経ち、イゴールの瞳はマデュラの印を引き継いだ『緋色』だった。
それでもマルギットはハイノの言葉に救われ、イゴールを強く、逞しく、そして優しい心根を持つ子に育てようと思っていた。
この時のマルギットは己の中で覚醒の機会を窺っているもう一人のマルギットの存在を露ほども感じてはいなかった。
その日、マルギットは約二カ月ぶりに当主として王都で月に一度、開催される当主会談に出席していた。
議題は東の隣国シェバラル国の動向について。
この年は長雨が続いた。治水管理が脆弱なシェバラル国では河が氾濫し、収穫間近の作物が打撃を受け、シェバラル国からシュタイン王国へ食糧の救済依頼があったのだ。
そんな渦中にある中でシェバラル国の一部の貴族がシュタイン王国東の領地を所領とするクリソプ男爵とベリル男爵に擁護を求めてきた。
自領地の復旧もせぬまま逃げ出したのだ。
貴族の役割を全うすることなく、安易に他国へ救済を求める行為にシュタイン王国の貴族当主たちは不信感を抱いていた。
「我らとて、食糧が有り余っている訳ではありますまい。自国での被害状況の把握と各貴族領地の復旧目途を立てた上で我が国にいかほどの救済が必要かを求めてくるのが筋目でありましょう」
5伯爵家序列第四位のカーネリアン伯爵が眉根を寄せながら持論を展開していた。
「そっ、それでは遅いのです!今、飢えている民が大勢いるのですよ!復旧しようにも民が飢えていては何もできますまいっ!」
シェバラル国から逃げだした貴族を擁護しているクリソプ男爵が声高に叫んだ。
カーネリアン伯爵はクリソプ男爵をチラリと見る。
「ふむ、クリソプ男爵、そなたの居城にシェバラル国の貴族がお越しと伺いましたが、民が飢えで苦しんでいる所領を放置した者を救済するとはいかがなことですか?」
クリソプ男爵は言葉につまった。
「そっ、それは・・・・」
「そなたの黒い噂はここにいる皆が存じている。今、その様に他国の貴族を擁護する事がシュタイン王国のためとなりましょうか?そなたの黒い噂の利が損なわれる事をお考えなのでは?」
カーネリアン伯爵はここぞとばかりにシュタイン王国が禁忌としている奴隷の売買を密かに手掛けるクリソプ男爵を糾弾する格好の機会と捉えていた。
「そもそも治水管理を怠り、民の暮らしより己の暮らしを優先させたシェバラル国の王家と貴族の行いに天が罰を与えたのでありましょう?ならば罰を受け入れ、己の暮らしを改めることが先決ではありませんか?他国へ一目散に逃げ込むなど言語道断では?
クリソプ男爵が擁護されているシェバラル国の貴族の方々をまずは国へ還されるがよろしかろう?我が国王の耳にこのことが入ればそなたが所領を王家にお還しし、シュタイン王国から出ていかねばならなくなりますぞ」
カーネリアン伯爵は口調は穏やかではあるものの内容は厳しいものだった。
グッ!!!
クリソプ男爵は両拳を握り、怒りのあまりフルフルと震えている。
マルギットは二カ月ぶりに出席した当主会談で子どもの頃から心無い言葉を浴びせられていたクリソプ男爵が糾弾される場面に出くわすとは思ってもみなかった。
『天は見ているのですね。采配は天、是非は己、審判は他・・・・ポルデュラ様とハインリヒ様が申されている事ですね。憐れな・・・・』
マルギットが返答に窮しているクリソプ男爵へ目を向けるとクリソプ男爵が突然に顔を上げ、マルギットをギッと睨みつけた。
黒々とした黒い影がクリソプ男爵の瞳の奥で揺らめいている。
『・・・・何だ?あの黒い影は・・・・あれは・・・・』
マルギットは5年前に己の身体を包み込んだ黒い影を思い出した。
ゾクリッ!!!
ポルデュラに鎮められる前に感じた冷たい何かが背中を触った様な気がした。
ガタンッ!!!
クリソプ男爵は立ち上がると睨み付けたマルギットを指さし叫び声を上げた。
「魔女だっ!黒魔女のせいだっ!今回の長雨もマデュラの印が生まれた事で起きたっ!!私を糾弾する前にマデュラの印を殺すことが先ではないのかっ!
王国に禍が起きる兆しがあったのだっ!何年も前からっ!いや、マデュラの当主が生まれた事が王国に禍を招いたっ!当主もろともマデュラの印を持つ者を抹殺せねばならないっ!!」
ガタッガタッ!!!
「キャァ・・・・」
クリソプ男爵はマルギットへ手を伸ばし飛びかかろうとした。
パシンッ!!!
グルンッ!!!
グッ!!!
エステール伯爵ハインリヒがマルギットへ飛びかかろうとしたクリソプ男爵を捕え膝まづかせた。
「ぐわぁぁぁぁ!!!離せっ!離せっ!捕えるのであればマデュラの印であろうっ!」
フワリッ
5伯爵家序列第二位のコンクシェル伯爵が突然の事に驚き振えるマルギットを守る様に抱え込んだ。
マルギットは口元を両手で塞ぎ、震えを抑えるに必死だった。
「マデュラ子爵、大事ございませんか?」
「・・・・うっ・・・・は・・・・い・・・・大事・・・・ございません・・・・」
震える声でコンクシェル伯爵へ呼応する。
「はっはっ!!!黒魔女めっ!その様にか弱い素振りをしていられるのも今の内ぞっ!!マデュラの印を色濃く引き継ぎ、青き血が流れるコマンドールとシュタイン王国を滅亡の危機にまで陥れた黒魔女めっ!
赤き血、赤き髪、赤き瞳を持つマデュラの印っ!そなたがシュタイン王国に禍を起こすのだぁ!私ではないはっ!滅んでしまえっ!黒魔女めっ!黒魔女に永遠の滅びを与えよっ!」
クリソプ男爵の瞳の中にうごめく黒の影が勢いを増すと背中から黒い影が湧き上がった。
マルギットはクリソプ男爵の背中で徐々に形を成す黒い影を凝視した。
『言わされている・・・・あぁ・・・・私と同じ・・・・』
パタンッ・・・・
「マデュラ子爵!!!!マルギット殿っ!!!しっかりなされよっ!!」
己に向けられた悪意に満ちた言葉、クリソプ男爵の背中で形を成す黒い影、それは己の中で鎮静された黒魔女の復活の予兆だと感じたマルギットは気を失った。