第1話 祝福の影で
暗殺を企てる側の視点で辿る「とある騎士の遠い記憶:外伝」黒魔女の復活編です。
ゴーン・・・・
ゴーン・・・・
ゴーン・・・・
シュタイン王国王都の都城聖堂で祝いの鐘が鳴り響いた。
ザワッザワッ
ザワッザワッ
都城の大広間にはシュタイン王国18貴族の当主とその夫や夫人など家名の者が一堂に会していた。
国王ルドルフと正妃イリアナが玉座につくと大広間の重厚な扉が開かれた。
ガコンッ!
ギイィィィィ
扉が開かれると先程までザワついていた大広間は静まり返り、王座まで敷かれた真紅のカーペットの上を婚姻の儀を終えた新郎新婦が静かに進んだ。
スッ!
コツッコツッコツッ・・・・
サッサッサッ・・・・
背中まである金色の髪を蒼い紐で一つに束ねた深く青い瞳の新郎は白地に蒼色の刺繍が施された礼装であった。
金色に少し緑がかった腰まである長い髪、青灰色の瞳をした新婦は所々に蒼玉が散りばめられた純白のドレスの装いである。
「ほう・・・・」
静寂に包まれた大広間を玉座に向けて厳かに進む新郎新婦のその美しさに感嘆の声が漏れた。
大広間の中ほどで新郎新婦は歩みを止めた。
新郎が左腕を胸に置き、玉座へ向け口上を述べる。
「シュタイン王国国王、正妃に拝謁致します。エステール伯爵家当主ハインリヒとアレキサンドラは王都聖堂司祭と王家星読み立会のもと、婚姻の儀を執り行いました事、ここにご報告いたします」
新郎は口上を終えると軽く頭を下げた。新婦は新郎に倣い、膝を少し曲げると上体を前へ倒す。
国王ルドルフが新郎の口上に呼応した。
「エステール伯爵家当主ハインリヒとエステール伯爵夫人アレキサンドラ、婚姻のこと、誠にめでたい。今日はそなたらの美しさがひと際増して見える。これよりも王国の誉れとなるよう励んでくれ」
「はっ!あり難き言の葉、謹んで拝授致します」
ハインリヒとアレキサンドラは今一度、玉座へ向け拝礼をした。
国王ルドルフが立ち上がり号令をかける。
「皆の者、我がシュタイン王国5伯爵家筆頭第一位エステール伯爵家の婚姻の儀が整った。皆で祝い、我がシュタイン王国の繁栄を願おうではないか!2人へ祝福を!シュタイン王国に祝福を!」
「シュタイン王国に祝福を!」
大広間に歓声が上がった。
ギュッ!!!
赤い髪、緋色の瞳をした女性が国王ルドルフの祝いの言葉に薄い萌黄色のドレスを握りしめた。
(なぜ、あの場にいるのが私ではないのだ!!)
気付かれない様に8人が列する王家星読みを睨み付ける。
「マルギット、どうしたのだ?気分が優れぬのではないか?気分が悪い様であれば退席するぞ」
「いいえ、ハイノ。大事ありませんわ。長く立っていたものだから・・・・少し足元がふらついただけですわ」
マルギットは隣で体調を気遣う夫ハイノに穏やかに微笑みを向けた。
「そうか?大事ないか?腹の子に障りがあっては大変だ。陛下に許しをもらい退席しよう」
そう言うとハイノは玉座の近くで護衛にあたる近衛師団の騎士へ向けて歩みを進めた。
「ハイノ、感謝するわ」
夫ハイノの後ろ姿へ微笑むように礼を言う。
(忌々しい夫だこと!優しいだけの何の取り得もないつまらない男!そんな男の子を孕まなければならないっ!王国のしきたりがなければ!星読みがなければ!第一子が家名を継ぐしきたりと婚姻の星読みがなければ!あの方の隣にいるのは私だったはずだっ!)
ギュゥ!!!
マルギットは萌黄色のドレスを握る手に力を込めた。
シュタイン王国所領を預かる18貴族は完全な世襲制であった。第一子が家名を承継する。第二子が各家名に設置が義務付けられている騎士団を承継する。
そして、18貴族の婚姻は王家直属の星読みによって縁が結ばれるのであった。
結ばれる縁にも厳格なしきたり定められており、第一子が男子の場合、夫人となる家門は下位の爵位から迎えられる。
第一子が女子の場合、夫となる家門は同等かもしくは上位の爵位から迎えられるのだ。
これは婚姻により18貴族の力の均衡が崩れることを防ぐ方策の一つであった。
マルギットはふるふると震えながら真紅のカーペットを睨み付ける。
(なにがシュタイン王国に祝福をだっ!王国など滅んでしまえばいいっ!結ばれないのであればいっそ、あの方もいなくなればいいっ!!・・・・そうだ!王国が滅べばしきたりも滅びる!そうだ!王国を滅びの道へ誘えば・・・・はっ!私は何を思い浮かべた・・・・王国が滅べばいいなどと・・・・)
マルギットは無意識の内に頭に浮かんだ王国滅亡の己の言葉に驚いた。
(・・・・考えても、どんなに想いを募らせても叶わぬことはある・・・・諦めたではないか。私はマデュラ子爵家の当主なのだから・・・・)
呼吸を整え、頭に浮かんだ恐ろしい言葉を取り除こうとした。
「それは本心なのか?そなたの本心はそんなものなのか?」
ギクリッ!
背後から声が聞えた気がした。言葉にはしていないとはいえ、魔導士には感情の起伏が伝わる。マルギットは恐る恐る後ろを振り返った。
シーーーーン
誰の姿もない。ほっと胸をなで下ろす。
(・・・・空耳か?己の声が頭の中で響いただけか?)
そう思い至った所でまた声が聞えた。
先程よりも鮮明にそして深くずっしりとした冷たい何かを含んでいる声が耳元で囁く。
「どうした?己の本心もわからずにいるのか?情けない。それでも我の魂を引き継ぐ者か?マルギットの名を引き継ぐ者なのか?」
ギクリッ!
「誰だっ?!」
マルギットは誰もいない背後へ向けて声を荒げた。
「ふふふ・・・・その様な所におらぬはっ!我はそなたの中におる。いや、我はそなたそのものだ。そなたも気付いていたはずだ。幼き頃より我の存在に気付いていたであろう?気付かぬ素振りをしていただけだ。今、そなたが思い描いた事を我と共に果たそうではないかっ!
のう、マルギット。我が目覚めればそなたの手に入らぬことはないぞ。全てそなたの思うがままとなる。シュタイン王国も、そなたが幼き頃より想いを寄せるエステールの当主もな」
マルギットは自身の頭の中で響く声に呆然と聞き入った。
「どうした?我の声はそなたにしか聞こえぬ。安心致せ。時か来たのだ。避けられぬ時が来たのだ。そなた自身が待ち望んでいた時がきたのだ。我の目覚めに手を貸せ。我の封を解くのだ。なに、簡単な事だ。そなたが忌々しく思う夫を贄にすればよい。そうだな、少しづつ進めよう。我の考えに従え。よいな。今は退散するとしよう。いずれ、そなたの方から我を呼び出すことになろう。ではな」
「えっ!待てっ!そなたはっ!」
マルギットは誰もいない背後の壁に手を伸ばした。
「マルギット?大事ないか?どうしたのだ?誰と話をしていたのだ?」
国王から退席の許しを得て戻ってきた夫のハイノが、誰もいない所で珍しく声を荒げているマルギットへ心配そうに手を差し出した。
マルギットは夫の声に慌てて振り返った。
頭の中で聞えた声の主から『贄』にすればいいと言われたハイノが差し出した手を咄嗟に撥ね退ける。
パシッ!
ハイノは驚いた顔をマルギットへ向けた。
「あっ、ああ・・・・ハイノ、驚きました。突然に手を出されるものだから・・・・」
「・・・・いや、悪かった。驚かせるつもりはなかったのだ。そなたが誰と話しているのか気になっただけなのだ」
「誰とも話などしていませんわ」
「・・・・そうか・・・・気のせいか。陛下に退席の許しを頂いた。エステール伯爵と夫人へ祝いの言葉だけ伝えよと申されていた」
ドキンッ!
マルギットはドレスを強く握った。
(本当に忌々しい!!素知らぬ振りをしていれば直接、言葉を交わさずに済んだものをっ!祝いの言葉だと?私に祝いの言葉を口にしろと言うのかっ!)
マルギットは怒りのあまり身体が燃えさかる様に熱を帯びるのを感じた。
「マルギット?大事ないか?ささっ、早々に祝いの言葉を伝え退席しよう。そなたの身体が心配なのだ」
マルギットは端正な顔立ちだが凛々しさの欠片もないと蔑むハイノの顔を呆れた目で見つめた。
「わかりました。ただ、ご覧になって。皆様に祝福の言葉を頂いているわ。マデュラは子爵家、順序を違えるなどできませんわ。ハイノは残って下さるかしら?私だけ退席します。当主は身体に障りが出た為、陛下の許しを得て退席したとお伝え下さい。当主の分まで祝いの言葉を頼みます」
マルギットはハイノに微笑みを向ける。
「・・・・そうか。独りで大事ないか?」
「大事ありませんわ。表に女官のベーベルと侍従のベルントを待たせていますからご心配なく」
「そうか。では、マデュラ子爵家当主マルギットの夫として礼を尽くしてこよう」
ハイノはエステール伯爵家当主ハインリヒと伯爵夫人アレキサンドラの元へ歩んで行った。
マルギットはハイノの後ろ姿の先にいるハインリヒへ目を向けた。
金色の髪に深く青い瞳を持つ美しいその姿は、歳を重ねるごとに凛々しさと気品を備え、辺りに眩い光を放っているように見える。
この場所でハインリヒと初めてダンスを踊った日のことが目の前に蘇った。
―――それは7歳になったハインリヒがはじめて王家主催の饗宴に出席した時だった。
マルギットは9歳、既に王家星読みによって縁が結ばれたトリフェン子爵家第三子で10歳年上のハイノと共に出席していた。
赤い髪、緋色の瞳を持つマルギットは人目を惹いた。その髪と瞳の色はマデュラの血統を色濃く引き継ぐ印であったからだ。
「まぁ、マルギット様。相変わらず赤い髪と緋色の瞳が美しいですこと。赤い髪の色は変えませんの?」
18貴族の令息令嬢が集う輪の中で令嬢の一人がマルギットの容姿を指摘した。
「・・・・」
マルギットは無言で自身の容姿を指摘した令嬢をじっと見つめる。
「なんですの?その様にご覧になって!血の様な緋色の瞳でご覧になると全て赤く見えますの?」
婚約者のハイノは黙ったまま、助け舟を出すわけでもなくただ、マルギットの隣に佇んでいた。
「・・・・」
マルギットは尚も無言で令嬢とハイノの顔を交互に見る。
「なっ、なんですの?その様にあなたの婚約者と私を交互にご覧になってっ!不愉快ですわっ!」
令嬢はぷいっとそっぽを向いた。
「マデュラは礼節もわきまえておらぬのだな。流石に伝説の騎士、青き血が流れるコマンドールを騙し殺した家名だけのことはある」
輪の中にいた別の貴族の令息が遠い、100有余年も前の話を持ち出した。
「・・・・」
それでもマルギットは黙ったまま令息の顔をじっと見つめる。
マルギットが黙っているのには理由があった。
何を言い返そうとも100有余年前の過去の話を持ち出しマデュラ子爵家を18貴族から除きたいと考えている輩がいるからだった。
マデュラ子爵家の所領はシュタイン王国と友好国の契りを結ぶエフェラル帝国に隣接していた。
海を持つエフェラル帝国からは様々な交易の品がもたらされる。
しかもシュタイン王国内を流れる4つの河川のうち『天使の河』と謳われているエンジェラ河がマデキュラ子爵家所領の西に流れている。
エフェラル帝国からの交易品を一番に手にする事ができ、更にエンジェラ河を下り、エフェラル帝国の港まで船で交易品を運ぶこともできる。
交易に地の利がよいマデュラ子爵家所領は他貴族が最も手にしたいと考える所領だった。
事ある毎にマルギットに悪態をついてくるのも隙あらば饗宴の席のできごとを大ごとにし、家名を取り潰す事で所領の再分配を企てる貴族がいるからだった。
マルギットは黙ったまま令息の瞳をじっと見返していた。
隣にいるハイノはオロオロとするばかりでマルギットをかばうわけでもなければ言い返す素振りもない。
「・・・・」
あまりに無反応なマルギットに令息がきつい物言いをした。
「聴いているのか?マデュラ子爵家マルギットっ!やはり罪人の一族は時が過ぎても罪人と言う事なのだなっ!」
ザワッザワッ
あまりに酷い物言いに18貴族の令息令嬢の輪がザワついた。
「何の話をしておられるのですか?私も同席させて頂けますか?」
今日の饗宴から出席したエステール伯爵家第一子ハインリヒが国王と正妃に挨拶を終え、18貴族の令息令嬢の輪に加わった。
マデュラ子爵家を罪人呼ばわりした令息がハインリヒを輪に引き入れる。
「これはっ!ハインリヒ様。今日より饗宴に出席されたのですね。おめでとう存じます。いえ、マデュラ子爵家第一子マルギット殿が・・・・なかなかにシュタイン王国の礼節をわきまえておられないので、少しお教えした所です」
「そうなのですか。私も礼節をわきまえておりませんので、是非ともご教授頂きたいです。どのような場面での礼節ですか?」
「えっ!ハインリヒ様が礼節をわきまえていないなどっ!あっ、そろそろダンスをいかがですか?私と踊って頂けますか?」
令息はバツが悪そうに最初にマルギットの赤い髪と緋色の瞳を蔑んだ令嬢へダンスを申し込んだ。
「そっ、そうですわね。はい、よろこんで」
マルギットをつるし上げていた令息と令嬢は広間へと繰り出して行った。
ハインリヒは2人の後ろ姿を見送るとマルギットへニコリと微笑みを向けた。
「お初にお目にかかります。エステール伯爵家第一子ハインリヒにございます。よろしければ私と一曲踊って頂けませんか?」
ハインリヒはマルギットへそっと右手を差し出した。
「・・・・」
マルギットは無言で隣に佇んでいるハイノを見上げた。饗宴でのダンスの一曲目は夫や夫人、婚約者と踊る事が暗黙の決め事だったからだ。
ハイノはマルギットがつるし上げられている場面で何もできなかった己がいたたまれずマルギットの視線にハインリヒの申出を受け入れる了承をするしかなかった。
「マルギット、よければハインリヒ様と一曲踊ってきてはどうだ?少しは気も晴れよう?」
ハインリヒは隣に佇んでいた男性がマルギットの婚約者だと察すると非礼を詫びる。
「これはっ!婚約者より先にダンスの申込をするとはっ!大変失礼を致しました。この場は退散致します」
ハインリヒはマルギットとハイノに深々と一礼をすると立ち去ろうとした。
「あっ、あのっ!お待ち下さいっ!」
マルギットがハインリヒを呼び止めた。
「婚約者の許可を得ましたので、大事ございません。ハインリヒ様の初めてのダンスを私などでよろしければお伴させていただきます」
マルギットはドレスの端をつまむと少し膝を折り、ダンスの申出を受け入れる挨拶をした。
ハインリヒはハイノをチラリと見る。
ハイノはバツが悪そうな顔を向け、ハインリヒへ頷いた。
「左様ですか。それでは、婚約者様のご了承も頂きましたので、一曲お願いします」
ハインリヒは改めて右手をマルギットへ差し出した。
マルギットは微笑み呼応する。
「はい、喜んで」
ハインリヒは自分より少し背が高いマルギットをエスコートとしながら広間へ繰り出した。
音楽が始まると広間に繰り出した人々が踊り始めた。
ザワッザワッ
ザワッザワッ
やけに広間場外が騒がしい。
マルギットはハインリヒに手を取られ、踊りながら場外の声を拾った。
「まぁ、ご覧になって。あちらエステールのハインリヒ様でしょう?まだ、お小さいのに何とお美しいのでしょう?第二子でいらしたら伝説の騎士、青き血が流れるコマンドールの再来だと思ってしまうわ」
「本当に。金色に輝く髪、深く青い瞳とお姿が言い伝え通りですもの。あら?踊ってみえるのはどなたかしら?まぁ!!」
「どうなさったの?その様に驚かれて」
「ご覧になって!ハインリヒ様が手を取られてみえる方、マデュラ子爵家のマルギット様よっ!婚約者がいらっしゃるのに最初の曲をハインリヒ様と踊られるなんてっ!!これだから・・・・あらっ、嫌だわ。私としたことが。婚約者のお許しがあったのね。そうでなければハインリヒ様が無粋な事をされるはずがないもの」
「そうですわね。ハインリヒ様はまだお小さいのに礼節を重んじていらっしゃると評判ですもの。きっと、婚約者様のご了承があったのよ」
「それにしてもハインリヒ様はお美しいわ。あの方、ご自分のことわかっていらっしゃるのかしら?エステール伯爵家とマデュラ子爵家の因縁を知らない者はシュタイン王国にはいないでしょう?」
「そうですわね。発端を思うとマデュラ子爵家は王国を滅亡の手前まで導いたのでしょう?ハインリヒ様もその事ご承知のはずなのになぜお手を取られたのかしら」
「まだ、お小さいから事の重大さがお解りにならないのではないのかしら?」
「あら、ハインリヒ様は文武両道と皆さん仰っているわ」
「まぁ、耳元で何かを囁いてみえるわよ。お小さいのに何をされてもお美しいわ。赤い髪と緋色の瞳はこの場には合いませんわね。裏切り者の色ですもの」
ザワッザワッ
ザワッザワッ
マルギットの耳には自身の容姿に対する嫌悪の感情と100有余年前のできごとの罪人家名への怒りが聞えた。
ハインリヒはくるりと一つ回るとマルギットの耳元で囁いた。
「聞えない振りをするのが一番です。耳に入る音を遮断すればいいのです。心の中で大きな声で叫んでみて下さい。外の声など聞えなくなります」
クルリッ!
クルリッ!
ハインリヒはマルギットを場外の雑音が届かない広間中央へ踊りながら誘導する。
「どうですか?場外の音は届かなくなりましたか?古き時代のできごとをいつまでもあれこれ申していても何も変わりません。起こった事は起こった事として刻んでおけばよいだけです。
マルギット様、我らの世代になりましたら100有余年前のできごとなどなかったかの様に致しませんか?お互いの言い分があると思うのです。我らでお互いの言い分を今の時代に合わせて捨て去りましょう。
共にシュタイン王国の繁栄のために100有余年前のことを我らで終わらせたいのです。18貴族が皆、手に手を取り合い、結束すればその力は他国からの侵略など恐れることはありません。容易く破られるはずなどないのです。どうでしょう?」
ハインリヒは頭一つ背の高いマルギットへ真剣な眼差しを向けた。
「・・・・」
マルギットはハインリヒの言葉に驚きを隠せなかった。
貴族の集まりがある度に言われた。
『裏切り者の家名の色を色濃く引き継ぐ次期当主』と。
己で犯した罪であれば何を言われても仕方がないと納得できるだろう。
されど、会った事もない遠い昔の先祖が犯した罪、その瞳と髪の色を引継ぎ生まれた姿に裏切り者と言われてもどうすることもできない。
それでもマデュラ子爵家の第一子として生を受けた以上、次期当主としての役割から逃げ出すことはできないと己に言い聞かせる日々であった。
罪人の家名と言われる事に最初は怒りを覚えていた。饗宴の席で言い争いをしたこともある。
されど、何も変わらなかった。変わるどころかやはり、マデキュラ子爵家は裏切り者の家名で礼節をわきまえていないと評判を下げるだけだった。
いつしかマルギットは諦めた。弁明もせず、ただ黙って時が過ぎるのを待つことに徹した。
反応するから面白がられるのだと悟った。何も聞こえず、何も言わず、ただじっと己に悪意ある言葉を発する者の顔をじっと見返すだけに留めた。
誰も助けてはくれない、よくて見て見ぬふりをする者があるだけだった。己の身は、己の家名は己で守るしかないとマデュラ子爵家の第一子としての覚悟を決めた。
100有余年前からマデュラ子爵家の第一子が守り通してきた様に己も家名の存続を第一に考え、思えば悪意ある言葉を聞き流すことなど容易いことだ。
そう言い聞かせてきた。
月に一度開催される王家主催の饗宴に参席するようになって2年、ずっと独りで、独りきりで堪えてきた。
永遠に変えることなどできるはずもないと思っていた。それを100有余年前の当事者同士で終わらせないかとハインリヒはマルギットに持ちかけたのだ。
真剣な眼差しで、戯言や夢ではなく、我らの世代で100有余年前のできごとをなかったことの様にすると言うのだ。100有余年前のできごとをお互いの言い分があると言うのだ。
これからのシュタイン王国のために共に手を携えようと言うのだ。己より2歳年下の次期エステール伯爵家当主が、シュタイン王国5伯爵家筆頭第一位のエステール伯爵家第一子が言うのだ。
マルギットはダンスをしながら真剣な眼差しを向けるハインリヒの深く青い瞳を見返した。
「ふっ・・・・ふっふふ・・・・」
マルギットは小さく笑った。
「マルギット様?」
ハインリヒはマルギットの小さな笑いに不思議そうな顔を向けた。
マルギットは眼を細め、優しい眼差しをハインリヒへ向ける。
「ハインリヒ様、お言葉嬉しゅうございます」
ハインリヒはマルギットの言葉に己の考えの同意を得たと嬉しそうな顔をした。
「ふふふ・・・・」
マルギットは嬉しそうな顔をしたハインリヒへ再び小さな笑いを向けた。
「ハインリヒ様の今のお申出は、シュタイン王国5伯爵家筆頭第一位、エステール伯爵家次期当主としてのお言葉ですか?それともハインリヒ様ご自身のお言葉ですか?」
マルギットはハインリヒへ申出の真意を確かめたいと思った。
「それは・・・・」
ハインリヒはマルギットの問いかけに少し困った顏を見せた。
次期当主といえども現時点で確約できる話ではなかったからだ。
マルギットは目を細める。
「よいのです。ハインリヒ様。その様なお気遣い嬉しゅうございます。されど、過ぎた時、過ぎた事を覆すことはできないのです。事実は事実として受け止めていかねばならないのです。我が家名の出自はシュタイン王国ではございません。その事と100有余年前の事と様々な事柄が糸を絡ませているのです。それはとき解すことなどできないかのように」
マルギットはハインリヒへ再び微笑みを向けた。
「それでも嬉しゅうございました。王家主催の饗宴で婚約者以外の方が私の手を取って下さったのはハインリヒ様だけでしたから。感謝致します。それと・・・・」
マルギットはギュッとハインリヒの手を握った。
「ハインリヒ様がご当主になられた暁にはマディラ子爵家はハインリヒ様のお考えに賛同致します。シュタイン王国を強固にするためのお考えに賛同致します。その際は存分に我が家名をお使い下さい」
マルギットの言葉が終わるのと同時に饗宴の一曲目が終わった。
2人は手を離し、ハインリヒが一歩後退するとダンスの終わりの挨拶をする。
「では、私はこれで・・・・」
マルギットはハインリヒからダンスの終わりの挨拶を受けるとクルリと向きを変え広間中央から場外へ歩いていった。
マルギットは背中にハインリヒの視線を強く感じながら中央広場を後にした。
―――ふっと幼い頃の姿が浮かんで消えた。
マルギットはハイノの背中の向こうに見えるハインリヒの姿に初めて感じた胸の高鳴りを思い返していた。
ハイノがハインリヒとアレキサンドラへ祝いの言葉をかける輪の中に入るのを見届けるとマルギットは萌黄色のドレスの裾を翻し、饗宴の間を後にした。