新・私のエッセイ~ 第117弾 ~ 『ダーク・デストロイヤー』の生んだ悲劇 ~ 二人のハードパンチャーの人生の交錯
・・・ぼくには、
いまも忘れられない、ボクシングのタイトルマッチがある。
1995年2月5日。
イギリスで行なわれた・・・
世界スーパー・ミドル級タイトルマッチだ。
チャンピオンは、地元の英雄、
『ザ・デストロイヤー』
あるいは、
『狂犬』とあだ名がつけられた、中量級屈指の倒し屋・・・
ナイジェル・ベン。
対する挑戦者は、
これまた、ミドル級時代にKOの山を築き、あのカリブのKOキング、ジュリアン・ジャクソンを2度もノックアウトで仕留めた・・・
アメリカのハードパンチャー、ジェラルド・マクラレン。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
この試合は・・・
初回から、倒し倒されのすさまじい展開になった。
お互い、一歩も譲らない、エキサイティングな攻防が続くが、
やがて、ベンの『ある反則打』が、たびたび、マクラレンの後頭部にヒットするようになる。
・・・『ラビット・パンチ』。
ボクシングの試合では、
あの『ローブロー(= 金的打ち)』同様、厳しく禁止されている、悪質な反則打である。
ただし・・・
この『ラビット・パンチ』で反則負けになる選手は、ほぼ皆無といってもよかった。
クリンチからの応酬のさなか、もみあった両者が、このパンチを相手に繰りだすシーンは、それまでもいくらもあったからだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
・・・4回あたりから、
マクラレンのしぐさに、おかしな兆候が現われはじめる。
しきりにグローブで目をこすり、どこか焦点が定まっていないかのように、ふらつきだしたのだ。
実は・・・
このラビット・パンチがヒットする後頭部には、視神経が束になって集まっているため、むやみに乱打されれば、
『失明』する危険性があったのだ。
試合は、さらにヒートアップするが、
10回に二度のダウンを喫し、しゃがみこんだマクラレンに、無情にも『KO負け』が宣告された。
・・・狂喜乱舞し、吠えまくる、勝者ベン。
ところが、
観客は、マクラレンの異変に気づく。
コーナーにチカラなくもたれかかったまま、
意識を失った状態で、いびきをかきはじめたのである。
頚部をギプスで固定され、病院に搬送されるマクラレン。
勝ったベンは、インタビューに答え、
カメラの前で、しきりに吠えまくるが、いまだ・・・
このとき、何が起きていたのかを、まったく理解できていなかった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
・・・脳出血と診断され、緊急手術がマクラレンに施された。
しかしながら、結果は・・・
『半身不随』
『聴覚の喪失』
『両眼失明』。
おまけにマクラレンは、
脳全体にも大きな障害を負い・・・さらには、
自分がボクサーであったどうかもわからないほどに、過去の記憶を失ってしまい、
ろれつも回らぬほどの、重度の『言語障害』も患ってしまっていた。
家族の介護がなければ生きてゆかれない・・・そんな、
かわいそうな『身体障害者』となって、そのまま引退した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
その後、
その悲しい試合において、適切な『ストップ』をかけなかったとして、レフェリーが激しく非難され、
同時にまた、
故意でなかったとはいえ、頻繁にマクラレンにラビット・パンチを浴びせたベンにも、厳しい目が向けられた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
・・・翌、1996年。
負けが込んだベンは、ボクシング界から引退。
二度とリングに戻ることはなかった。
そして、
敬虔なクリスチャンとして、第二の人生をあゆみはじめる。
・・・ここで、皆様に紹介したい動画がある。
試合後のベンと・・・そして、
不自由な肉体になった、マクラレンのその後のあゆみである。
これは、
きっと皆様も、涙なくしては観られないだろう・・・。
マクラレンと再会し、
彼を気遣いながら、大粒の涙を流すベン。
そして・・・
イベント会場で、
ベンに優しく手を引かれながら、車椅子で移動するマクラレン。
・・・さらにこぼれる、
ベンの優しくも、悲しい涙。
特に、
動画の、40分を過ぎたあたりからは・・・
目の前が涙でかすんでしまって、とてもまともに観られたものではない。
そして、観るたびごとに・・・
胸がしめつけられる思いがする。
『The fight of their lives extended version』
→ UP主様は、「BiGG HurT187」様。
そんなベンはいま・・・
オーストラリアのシドニーで平和に暮らしている。
マクラレンもまた、
ベンを恨むことなく、
愛する家族とともに、
静かな余生を、神のあたたかいまなざしを受けながら生きている。
m(_ _)m