82.準備運動
夏が終わって秋も中盤に差し掛かり、俺の稽古内容にも変化があった。
稽古の際に使う魔法の種類も増えたし、母さんやリデーナがいないときの練習でも、簡単な風と水の魔法を使ってもいいという許可も貰えた。
さらには、そろそろ剣の稽古を始めるかどうかの話が出たのだ。
夏の時点で魔力操作はすぐに合格点をもらい、病気も心配ないと思われて喜ばれたのだが、この国屈指の魔法使いであり魔法が好きな母さんが、俺の膨大な魔力量から放たれる魔法が気になってなかなか放してくれなかったことも、今になって話が出た原因のひとつである。
――まぁ1番の理由は、俺がまだうまく走ったりできないからなんだろうけど……
屋敷内を走るわけにもいかないので機会はそう多くないのだが、庭で姉さんたちと遊ぶときに走ろうとすると、たまにつまずいたり転んだりする。
頭が重めでバランスがとりにくいのが原因だろうな、と少しは思ったことがあるけれど、赤ちゃんの頃から成長してきているので、いまだに前世との感覚の違いに振り回されているわけではないと思う。
――そうなると、単に運動神経の問題だよなぁ……そのあたりは年齢的に仕方ない部分もあるよなぁ……姉さんは今の俺の年から始めてたけど、俺は素振りとかの前に身体づくりからだな。
夕飯の時にその話が出てその日はそのまま保留となったが、翌日の朝食後に再び言われることになった。
「それで、どうする? 剣の稽古をそろそろ始めるか?」
「でもカーリーンは、まだ走ったりするとたまに転ぶよ?」
「剣はまだでも、ある程度体力はつけさせた方が良いとは思うけれど……」
母さんは俺との魔法の稽古の時間が減ることに少し残念そうにしているが、剣の稽古はともかく、体力づくりくらいはやらないといけないとは思っているらしく、俺を見ながらそう言ってくる。
「俺はまだ剣は無理だと思うけど、やりたい」
「おぉ、そうか。エルはすぐに素振りとかに移ったが、カーリーンはまず走ることからだな。やる気になって偉いぞ」
「はやく剣の稽古も一緒に出来るようになるといいわね」
両親が嬉しそうにそう言ってきたので、「頑張る」と返事をして、いつもの稽古に体力づくりが追加された。
食休みも終わり、稽古の時間になったのでみんなで庭に出る。
さっき話した通り、今日から俺も走ったりして身体づくりを始めるため、いつもの部屋着ではなく、ちゃんと運動しやすい服装に着替えさせられた。
「それじゃあ走るか。カーリーンは自分のペースで走ってみるところからだな」
「うん。わかった」
そう言って兄姉と父さんと一緒に走り出す。
上の2人は稽古の度に走り込みをして体力をつけているし、スタートから一気に距離が開いてしまう。
父さんは俺の後ろに付いてきてくれているが体の大きさが違い過ぎるので、走っているというよりは早歩きくらいの感じでついて来る。
「その調子だ。辛くなったら言うんだぞ」
「う、うん」
――ヤバイ、思った以上に体力がない! 子供ってもっと元気なんじゃないの? いや、それはいつも全力で動いて遊んでいる子供だからか……俺は今までそんな運動はしてこなかったし、体力がないのは当たり前だわな……その割には全然太っていないのは、ドラードたちの栄養管理がうまいからだろうか……
そんなことを考えつつしばらく走っていると、壁まで走って戻ってきた兄さんたちとすれ違い、さらに屋敷まで戻った後で俺を追い抜いていく。
「カーリーン頑張れ」
「ほら、もっと早く走れるでしょ?」
俺を追い抜く際に2人から声を掛けられて、ペース配分を考えず全力で走ってみることにした。
「お。転ぶなよ」
兄姉たちに発破をかけられて速度を上げた俺を見て、父さんがそう言った矢先に転んだ。
それはもう全力で走っていたので、ズザーという音と共に盛大に。
――うおぁあああ!? このこけ方はヤバイ! 手のひらと膝を絶対やった!
こけた衝撃は感じられるが、不思議と痛みをほとんど感じなかった俺はそんなことを考える余裕があり、半袖半ズボンの運動服を着ているため、擦りむいて血が出ているのは確実だと思い、焦って体を起こす。
「はっはっはっは。盛大にこけたなぁ」
息子が目の前でスゴイこけ方をしたにもかかわらず、父さんは笑いながら俺の脇の下に手を入れて、ヒョイッと抱き上げて立たせてくれる。
――まぁ擦りむくくらいは日常で起こりやすい怪我だし、命のやり取りをしてきた父さん的にはなんでもないことなんだろうけど、もう少し心配してくれても……ってあれ? 土とかで汚れてはいるし、少し肌が傷ついてる感じはするけど擦りむいたって程じゃないし出血もないな……
「カーリーン! 大丈夫!?」
「うぉあ!? び、びっくりした」
俺を追い抜いてからも普通に走っていた兄さんたちは、ずっと先の壁付近まで行っていたので、近くに居ないと思っていた姉さんの声がして、こけたときと同じくらい心臓が跳ねる。
――運動して鼓動が早くなってるからそう感じるだけかもしれないけど、本当にびっくりした……いったいどんな速度で戻ってきたんだよ……
俺はそう思いながらも無事を示すために、手のひらを姉さんに向ける。
「だ、大丈夫だよ、ほら」
「ははは。加護があるのにあれくらいで怪我をするわけないだろ?」
「わかんないじゃん! カーリーンがあれだけ派手にこけたの初めて見たんだもの」
――なるほど……これが神様の加護の効果なのか。モンスターがいる危険なこの世界で暮らせるように多少丈夫になってるのね。前に加護の話を聞いてはいたけど、今まで実感できることが起きなかったからなぁ……何にせよ怪我して心配かけずに済んでよかった。姉さん以外にはだけど……
「お前だって稽古で散々ライの剣に当たったりしてるけど、跡なんて残ってないだろ?」
「それはそうだけど……」
「姉さんたちの稽古を観てると、怪我をしててもおかしくないって思う当たり方してるのに、怪我も特になく平気だったのはこういうことだったんだね」
「まぁもちろん受ける技術や、気力や魔法による防御もあるがな。ささいな事ではそうそう怪我はしないさ。それが分かっているから、カレアも座ったまま動いてないだろ?」
父さんに言われて母さんの方を見ると目が合ったので、一応怪我はしてないと伝えるために手のひらを見せると、微笑んで「泣かなくて偉いわ」と言って頷いていた。
――あ~……確かに痛みはなかったけど、こけた衝撃とかで驚いて泣く可能性もあったか……まぁそんな事考える余裕なんてないほど焦ってたし、兄さんたちも精神的に大人びてるから、泣かなかったこと自体は不思議に思われることはないか。
「エルは過保……いいお姉ちゃんだな。文字どおり心配して飛んでくるんだもんな」
「むぅ~」
父さんの"過保護"と言いかけた事は気にしていないが、からかわれていることは分かった姉さんは少しムッとする。
俺は父さんの"文字通り飛んできた"という言葉が気になり、さっきまで姉さんがいたと思っていた壁の近くを見ると、兄さんが困惑したような表情で目を見開いてこちらを見ていた。
俺と目が合うと、「まぁエルだしそういう行動とるよね」と言う風な苦笑に変わった。
――あの感じだと、身体強化とか使って父さんが言う通り飛んだんだろうなぁ……実際は見てないけど、普段から打ち合いの稽古もしている兄さんがあんな表情をするということは、相当速かったんだろうな……
「さて、そろそろ再開するか。エルも走っておいで」
「は~い」
「カーリーンはもう少しゆっくりでいいからな」
俺の息が整うのを待っていたようなタイミングで父さんがそう言ったので、俺たちは再び走り始めた。
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どんどんとイヴに聞きたいことがたまっている……





