弐の5 厳格な管理教育
「じゃあ、説明するぞ。まず、あした朝のホームルームで、病院に提出する書類を渡す。そして、黒沢は午後二時、藍田は午後二時十分に学校を出発する」
「ちょっと待ってください」
弥生が口をはさんだ。
「黒沢くんの午後二時と、わたしの午後二時十分、なんで差が生じるんですか」
同じ疑問を黒沢も抱いた。
「仲良く遊びにいくんじゃないからだよ。それぞれ単独行動をさせる」
さも当然のように担任は言い放つ。弥生は納得できないというような表情をした。黒沢も同感だ。
「この時間帯は、五時間目の授業中だな。明日は」
担任は振り返って教室前方に貼ってある時間割りを見やる。
「現代社会か。授業が始まる前、現社の佐々木先生に、『途中で抜けさせてください』と了承をもらうんだ」
「ちょっと、ちょっと待ってください」
再び弥生が、担任の説明を止める。
「五時間目が始まる前に出発しちゃいけないんですか。授業を途中で抜ける方が先生に失礼だと思います」
黒沢もそう思う。
「授業はきっちり出てもらう。途中まででも途中からでも。それが学校の決まりだ。いいな」
「そんなばかな」
「ばかとはなんだ」
「すいません、間違えました」
「間違えるな」
弥生と担任の漫才のようなやり取りは、弥生が一歩引いて収まった。
担任は続ける。
「そして、その時刻になったら、職員室に行き、『外出許可証』を受け取る。ぼくは五時間目は授業が入ってるから、職員室に残ってる一年生の担当のどの先生かに言えば分かるようにしておく」
「外出許可証。そんなのがあるんですか」
また弥生だ。
「おまえらはまだ、昼間、校外に出たことがないんだな。この学校ではそういう決まりになってる」
「もおお、嫌だ」
開いた手帳の上に弥生は顔をうつぶせた。
「おい、まだ続きがあるぞ。市民病院に行ったら、受付で、あしたの朝渡す書類を提出する。病院で再検査を受けたら学校に戻り、職員室に外出許可証を返却する。そして、授業に戻る。市民病院の場所は分かるか」
黒沢の通学経路の途中にある。
「分かりますけど、そんなの行きたくないなあ」
顔を手帳の上にうつぶせたまま弥生が弱音を吐く。
「あらかた以上だ。質問があったら今のうちに言え」
担任はえんま帳を閉じ、黒沢と、まだ顔をうつぶせたままの弥生の双方に視線を向ける。
肝心なことを聴いていないことに黒沢は気付いた。
「検査で引っ掛かったって、おれら、貧血ってことですか」
「分からん。そうなのか違うのか、再検査が必要なんだろ」
「分からんって、おれらの健康状態に先生は関心ないんですか」
「生徒の健康に関わる情報は生徒個人のものだからな。いくら学校といえども、そこまで深く詮索はせんよ」
「そうおっしゃる割りには、ずいぶんと厳格な管理教育ですね」
顔を上げた弥生が皮肉を言う。
「そうだな。おまえらは未成年だから、勝手なことはさせられん。そういう決まりで国も学校も動いている」
「あああ。早く大人になりたいわあ」
担任とはいえ大人である教師を相手に、弥生がこんなに強気で自由奔放にしゃべる女子だとは、黒沢は知らなかった。もちろん、おとなしい方ではなかったはずだ。だけど、入学以来それほど密に接したことがないから、これは黒沢にとって新たな発見といえる。二人で居残りをさせられて、なんだか得した気分になった。
「もういいか」
担任が教壇上のいすから立ち上がる。黒沢は、担任の説明をメモしたレポート用紙をぴりりとはがし丸めてズボンのポケットに押し込んだ。そうしておかないと、レポート用紙をかばんの中に入れたまま、今聴いた説明を忘却の彼方に置いてきてしまいそうだからだ。
「やだ、がさつねえ」
弥生が眉をしかめた。不潔な上にがさつと言われた自分を黒沢は少しだけ恥じた。
黒沢と弥生が担任の話を聴いている間、部活生、特に更衣室で着替えをする女子が何人かユニフォームや体育着姿で教室を出入りしたが、すでにだれもいなくなっている。
「戸締りしておいてくれ」
担任はえんま帳の下の縁をとんとんと教卓の天板に当ててそろえ、教室を出ていった。
「戸締りもなにもないもんだ」
「そうよねえ」
黒沢と弥生は手分けして、教室のベランダに面する左側の窓と、反対側の廊下の外部に面する窓を閉め、ロックを掛けた。廊下と教室の境は、相変わらずすかすかだ。
「ここの窓を取っ払った時さ、すごく開放感があったんだけど、もう慣れちゃったね」
「秋になってまた窓を入れると、今度は圧迫感にさいなまれるんじゃないかしら」
「そうかもね」
「もう帰りましょ。黒沢くん、帰宅部でしょ」
「うん」
二人は一緒に教室を出て、生徒用の校舎出入口でスリッパから靴に履き替え、校門前で別れた。自分とは逆方向に帰っていく弥生がどの辺りに住んでいるのか、黒沢は知らない。
(「弐の6 男のかい性」に続く)