弐の17 バイクなんか乗りたくない
「ねえ、黒沢くん」
「うん」
「妙だと思わない」
「なにが」
「どうしてわたしたち、また同じクラスになったの」
「文系を選んだからだろ」
「そうじゃなくて」
「なんだよ」
「多血症同士で組まされたのよ」
「偶然だろ」
「ほかに誰もいないのよ」
「誰が」
「多血症で再検査を受けた子」
「全校で?」
「他の学年は知らないけどさ」
「……」
「わたし、去年、ほかのクラスの友だちに聴いて回ったの。再検査を受けた人はいないか、多血症じゃなかったかって」
「そしたら?」
「貧血だった子はいた。肝機能がどうとかって子もいた。だけど、多血症って言われた子なんて一人も見つからなかった」
「……」
「学年で、黒沢くんとわたしだけなんじゃないかと思う」
「もしそうだとしても、あえて同じクラスにする理由がないよ」
「そうかな。なにか意図的なものがあるんじゃないかな」
黒沢も実は、不思議だったのだ。学校側が、なんらかの管理を目的として黒沢と弥生を一まとめにしているのではなかろうかと、少し前から勘ぐっていた。
「だけどさ、担任のおっさんは、おれたちがそろって去年も再検査に行ったことなんて知らない様子だったじゃん」
「あの先生は今年来たばかりだからだよ。なにも知らないでクラスを持たされてるってこともあるじゃない」
弥生の言い分が正しいような気が、黒沢にもしてきた。
「わたしね」
「うん」
「去年、再検査の結果をもらって、自分でいろいろ調べたり、保健室の先生に相談に行ったりしたの」
「保健室の先生?」
「心配ないよって先生は言ってくれた。だけど、少し詳しく調べておくから二、三日してからまた来るようにって」
「行ったの?」
「行った。インターネットのサイトからプリントアウトしたような物とか、なにかの本のコピーみたいな資料を用意してくれてて、いろいろ教えてくれた」
「うん」
「資料には大事な部分にマーカーが引かれたりしてて。でも、全部わたしが自分で調べたようなことばかりだった」
「うん」
「それにね、まずいことが書かれている部分は抜かれているみたいだった」
「まずいこと?」
「わたし、お母さんと一緒に、目医者さんにも行ったの」
目医者――。
誰かから背中を押され、奈落の底に突き落とされる思いがした。黒沢も、なにかの拍子で自分の病気のことを思い出し、インターネットで調べたことがあった。
《赤血球増加が高度になってくると、血液の粘度の増加による循環障害のため頭痛や目まい、視力障害、耳鳴り、けん怠感、知覚異常、呼吸困難などの症状がみられるようになります》
視力障害のことに、確かに触れられていた。それを黒沢は気に留めなかった。前の年、この日と同じように再検査のため市民病院に向かう道中、弥生は、視力が落ちて卓球をやめたと話していたではないか。目に入っているコンタクトレンズを、見せてくれようとしたではないか。
がくぜんとした。インターネットで知った情報と弥生の打ち明け話が、てんでつながっていなかった。なんて自己中心的だったんだ。弥生のことが気掛かりに感じていたのは実はまったくの虚構で、自分のことしか頭になかったのだ。弥生の痛みも苦しみも悲しみも、ちっとも分かっていなかった。
黒沢の落胆に気付かないようで、弥生は話を続ける。
「瞳孔を開く目薬を差されて、暗い部屋でまぶしいライトを浴びせられて、目の中をのぞかれたの。眼底を診るんだって」
「目医者はなんて」
「異常ないって」
「視力は」
「落ちてない。コンタクトレンズもそのまま」
「うん、良かった」
「市民病院にもまた行ったの。お母さんと」
「そうなの?」
「再検査の時とは違うお医者さんだった。そんなに不安なら、血液科のある病院に紹介状を書いてくれるって」
「うん」
「お医者さんはお母さんにも、なにも心配することはありませんって説得してた」
「うん」
「だけどね。怖いの」
「目のこと?」
「それだけじゃない。血が固まって、心筋梗塞とか脳梗塞とかになるんだって」
「ずっと先のことだろ。じいさん、ばあさんになってからの話だよ」
「だって、お嫁に行けないかもしれないじゃない。行っても、子どもを産めないかもしれない。産んでも、育てられないかもしれない。進学も就職もできない。彼氏もできない。学校にも通えなくなっちゃう」
「そんな悲観的なことばっか考えたって」
「去年隣のクラスだった柔道部の男子、入学早々、心電図で心臓肥大が見つかって入院して休学させられて、また一年生からやり直してるじゃない」
「あいつは一年学校を休んで、入院してなかった時期はバイクの免許取ったりツーリングに出掛けたりなんかして、結構楽しくやってたみたいよ」
「バイクなんか乗りたくないよ。そんなことより、健康に過ごしたい。多血症だって後ろ指さされたり、血管に血が詰まって一生苦しんで、一人寂しく死んでいくのなんて嫌っ」
黒沢は思い知らされた。黒沢が自身のことを心配するより、弥生のことを気遣うより、弥生の悩みはずっと深くて重い。
そして、黒沢は指折り数えた。知り合って一年二カ月のうちの大半の期間、弥生は血の呪縛にとらわれていた。黒沢は、とらわれの身となる前の弥生をほとんど知らないことに、今さらながら驚かされた。
(「弐の18 良くない仕掛け」に続く)