弐の14 宗教的な論争
弥生が戻ってきたのは、四時半を回ってからだ。
「待っててくれてたの。ごめんなさい」
出ていく時よりは、元気を取り戻しているように見える。ブラウスの細かい泥は付いたままだ。
ミシン目を破った跡がある検査結果のシートを手にしている。これだけ長時間戻ってこなかったということは、黒沢と同じように担任の目の前でシートを開き、黒沢よりもしつこく担任に食い下がったのは明らかだ。黒沢は、弥生の検査結果が気になった。
「どうだった」
「うん、問題なかったよ。大丈夫だった。黒沢くんは」
「支障なしだって。異常なしとは違うんだよな。それでさ」
「見せて」
弥生は黒沢の手からシートを取り上げ、自分の物としばらく見比べていた。
「黒沢くんも大丈夫だよ。全然平気」
そのまま黒沢にシートを返してきた。
「藍田さんのは見せてくれないの」
「なに言ってるの、冗談はやめてよ。見せられるわけないじゃない、エッチ」
さも当然のように弥生は言い放ち、かばうように、シートを両手で自分の胸元に押し付けた。
「ありゃりゃ。そうなの」
女子の健康状態を男の自分が知るのは確かにおかしなことかもしれないと思い直し、黒沢は弥生から結果の詳細を聴き出すことはあきらめた。
「帰りましょ。黒沢くん、傘あるんでしょ」
「あるよ。朝から降ってたじゃん」
黒沢と弥生は、再検査を言い渡された日と同じように並んで教室を出て、スリッパを靴に履き替え、まばらな傘立てから自分の傘を探し出し、校門前で別れた。
それからの黒沢は、多血症のことを忘れてしまおうと心掛けた。どうせ大した病気じゃないんだ。支障なしなんだ。問題があれば、病院なり学校なりがなにか言ってくるだろう。そう思い込むことにした。
弥生も、なにも言わなかった。ただ、弥生の方がこの話題を避けているようにも感じられる。教室での弥生の言動はいつもと変わらないが、あれは空元気なのではなかろうかと、黒沢は懸念した。
記憶の奥底に置いてきたはずの多血症のことを再び思い起こさせられたのは、秋が深まってからだ。終業のホームルームで配布された月刊行事予定表に、《献血》の二文字が載っている。赤十字の献血車が、毎年の恒例で学校に来るという。
学校は、生徒と教職員の献血を奨励している。献血は高校一年の年齢である十六歳からできる。黒沢は、すでに誕生日を迎え十六歳になっていた。
黒沢は弥生の姿を探した。席替えを経て、弥生は黒沢より前方に移っている。後ろ姿から表情はうかがえない。
予定表から献血の文字を弥生は見つけていないかもしれない。ただ、予定表が配られた日、クラスの誰も、担任でさえも献血のことを話題に挙げなかった。
帰宅後、黒沢は取るものも取りあえずパソコンを立ち上げた。インターネットで多血症と献血の関連性について調べるためだ。
その過程で、多血症について気になる記述を見つけた。
《しゃ血と呼ばれる血を抜く治療をして赤血球の割合を減らします》
市民病院に行った日、隣の席のボケナス男から献血をしろとからかわれた。その後、多血症についてパソコンで検索する中で、同じような内容の文書を読んだ記憶がある。血を抜けば本当に多血症は治るのだろうか。黒沢はいぶかった。
半面、こんな記述もある。
《血友病、紫斑病などの出血性素因、再生不良性貧血、白血病、真性多血症などに該当する方は、献血できません》
真性多血症の「真性」の意味は分からない。ただ、献血において多血症が忌避されているであろうことは容易に想像できる。
赤十字のサイトから、献血可能なヘモグロビン濃度を見つけた。しかし黒沢は、担任から受け取った再検査結果のシートをどこかにしまい込んで行方が分からなくなっており、自分の数値と照らし合わせることができない。
《献血時は、血圧、体温、血色素量(ヘモグロビン濃度)を事前に測定します》
希望しても、事前の健康測定で断られることがあるということらしい。そして、かっこ付きでヘモグロビン濃度と説明されている血色素数というのは、実際に少量の血を抜いて調べるようなのだ。
献血はしない。
黒沢は固く心に決めた。多血症を理由にストップを掛けられたら、周囲からどれだけあざ笑われ、嘆息され、同情を買うことになるか分からない。おまえの血は不良品で使い物にならないと、公衆の面前で宣告されてしまうことになる。
血を抜いて多血症を治そうとしていると思われるのも、絶対に避けなければならない。そんなことになったら、ボケナス男の思うつぼだ。
それに、市民病院で血を抜かれた時の太い針の不快感と注射器の中の鮮血の気色悪さをまざまざと思い出し、黒沢は、献血を憎悪の対象としか感じられなくなった。
献血車が来る一週間前、終業のホームルームで、担任が献血の意義について解いた。希望するかどうかはあくまでも任意で、希望しないことでなんら不利益を被ることはないとも強調した。
感染症のリスクを少しでも下げるため赤十字はドナーが少なくて済む四〇〇ミリリットルを確保したいのだが、高校一年の年齢では大人の半分の二〇〇ミリリットル献血しかできないことや、赤十字は是が非でも輸血用血液を必要としているのではなく、高校生に向けた献血意識のかん養を目的の一つにしているという実情も、聴いている黒沢にとって、念の入れ過ぎではないかと思えるほど丁寧に担任は説明した。
献血が宗教的な論争の火種になっていることとも関係しているのだろうと、インターネットで知恵を付けた黒沢は得心した。
担任が講釈を垂れている間、黒沢の多血症を知っている何人もの男が黒沢を振り返り、下品な笑いを浮かべた。あのボケナスも含まれている。
こいつらは弥生が同じように多血症にさいなまれていることを知らないのかと、黒沢は怒りが込み上げた。
でも、知らないんだ。そして、知らない方がいいんだ。弥生と苦しみを分かち合うのは自分だけで十分だと、悟りの境地に至った気分になった。
一度も振り返らない弥生の後ろ姿を、黒沢はずっと見つめていた。弥生の思いを知りたかった。弥生の痛みも苦しみも悲しみも、全て引き受ける心の準備はできている。
献血の申し込み用紙は、クラス全員に配られた。顧問や先輩部員から半ば強制されている運動部もあると黒沢は聴いた。
誰が献血を希望するのかしないのか、当日まで分からない。その日、午前の授業中に隣のクラスの男が伝令に来て、献血希望組はぞろぞろと教室を出ていった。三分の二以上が残った。弥生も残留組だ。授業は中断されることなく、粛々と続行した。
それからも黒沢は、弥生と血の話をすることなく、流れゆく月日を過ごした。
(「弐の15 迎合したと見なされる」に続く)