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チンピラのお誘い

『10 クラブで踊ったあとには金目鯛』より、少し前あたりのお話です。




「へい、そこのニイチャン、いいケツしてんなぁ」



 ……今、なんつった?


 聞こえてきた音と、その出どころ。

 目の前には、ダイニングチェアに座って、両肘をテーブルにつき、組んだ手の上に顎をのせている君江。


 ああ、昨晩飲みすぎたかも。

 いや、『かも』じゃねぇ。確実に飲みすぎだった。

 まぁ、飲みすぎてねぇ日の方が、稀だってもんだけど。


 二日酔いで霞む目を、手の甲でこすり、それからこめかみを揉んだ。

 幻聴まで聞こえるなんざ、相当だ。

 昨日はだいぶ飲まされた。

 あのクソババア、どこから金作ってんだよ。


 頭の中で、キチガイに向かってツバを吐きかけていると、残った酒の倦怠感、鈍く嫌らしい痛みに、倦んで、重苦しい頭に、澄んだ声が降りてくる。



「ニイチャン、無視すんなや。なぁ、ちょっとこっち来いや。こっち来ていいことしよ、な?」



 マジか。


 再び目を戻してみれば、窓から差し込む光をテーブルがレフ板みてぇに反射して、君江が白く発光して見える。

 アイボリーのローゲージニットがまた、そこに柔らかな光源を加えている。


 ――あれ、コイツ、化粧してねぇな。


 ボンヤリと働かない頭を巡らせて、だけど、今日は互いに休みが被るから、水族館に行くんだって話をしていたはずだ。


 ニンマリと吊り上がった口角が怖い。

 黙ってりゃ、良家のお嬢さん然として、冷たく近寄りがたい印象の君江。

 細められた目が、捕らえた獲物は離さないと訴えている。

 完全に肉食獣のそれ。


 額をゴシゴシと擦って、息を吐き出す。

 ああ、頭がいてぇ。


 早朝にうるせぇとか。生活リズム狂うとか。酒くせぇ、タバコくせぇ、香水くせぇとか。飲みすぎだとか。

 なんも言わねぇけど、悪いとは思っていた。


 そらそうだろ。

 ホスト遊びなんざ、一度もしたことのねぇ女で。

 それどころか男と付き合ったこともねぇっていう。


 ホンモノのお嬢さん。

 それが俺みてぇなのに引っかかった。

 少しも悪いって思わねぇ方が、どうかしている。


 とはいえ。



「……なぁ、それ。怒ってんの? いや、怒っててもいいけどよ」



 すると君江は目を瞬いた。

 まるで全然、予期していなかった、というように。


 組んだ指に載せていた顎を引き、いつも通りすっと伸ばした背筋。それからゆっくりと組んだ手を前に倒す。

 その指先を目で追う。

 絡めた指と指に、力がこもったのがわかった。ほんの僅かに。



「怒ってないよ? どうして?」



 思わず舌打ちしたくなる。

 君江は、否定されることに敏感だ。



「いや、だってその口調。それ、おまえ、なんで?」



 ほとんど片言の日本語状態。

 だけど君江は、それで指先から力を抜いた。



「疲れてるんじゃないかなぁって思って。だから真似してみたの。あたしが疲れてるとき、いつも労ってくれるでしょ? だからそのお返しのつもりで」



 まさか。



「……俺の真似ってこと?」



 おそるおそる問いかけると、満面の笑みの君江。

 さて、その答えとは。



「うん!」



 ……ウソだろ。


 俺、そんなにガラ悪く思われてんの?

 どこのチンピラだよ。


 残った酒のダルさも相成って、その場に崩れ落ちそうになった。

 自分の口から漏れる息が生温く、ウンザリするほど酒くせぇ。


 見上げれば、君江が手招きしている。「こっちにおいで」と。


 できる限り、息を止めよう。


 そう思いながらも、疲労が身体から引き摺り出されていくのを、留められそうになかった。

 普段は気にもならねぇ、ほとんど存在を忘れているようなチェーン。それが首を一周するのが、今はとてつもなく鬱陶しい。




------




「……うん。おまえが喜んでくれてたのはわかった。それは嬉しい。けど、その口調、もうすんな。マジでやめてくれ」


「そう? あたしはあなたにそうやって誘われるの、すごく好きなのに」



 そうやってって。

 いや。俺、あそこまで、ひでぇの?

 完全に、下卑たエロジジィじゃねぇか。

 君江の中の俺って、どんなイメージなんだ?


 顎を天井に突き上げ、斜め上にある君江の顔に目をやると、君江はぐしゃぐしゃの髪を揺らしていた。

 少しだけ開けた窓。風でカーテンが揺れると、光の強弱が変わって、君江の髪が淡く霞み、輪郭がぼやけていく。

 目が合うと、君江が顔を寄せてきた。


 酒くせぇからって、口元に近づく唇を避けると、「何をいまさら。全身が獣くさいのに」と君江が眉を顰める。


 ――言ってくれるじゃねぇか。


 仕返しとばかりに、腹に力を入れて勢いよく体を起こし、君江の上にのしかかる。

 布団が跳ね上がって、温まった空気が逃げていった。シーツの上から滑り落ちていく陽光。

 君江の腕が、スルリと俺の首に巻きつけられる。

 シャンプーと髪の匂い。白い花と白い太陽。まどろみと日向を感じさせるもの。



「休みの日になーんにもしないで、ずっとベッドでゴロゴロ寝ていられるのって、すごく贅沢!」



 君江が誘ったのは、ひたすら眠ること。

 手を繋いで、肩を抱き、ついばむみてぇなキスを交わす。そういった、R指定の一切入らねぇ、睡眠そのもの。


 結局、水族館には行かず、ずっとベッドの中。

 君江を抱き枕にして、ひたすら眠っていた。

 時々目が覚めると、君江が気がついて、額や頬、鼻先にキスをしてくる。俺の髪を梳いて、嬉しそうに笑いながら。


 君江の細い指が、首や鎖骨、胸元、肩、腕を這う。

 期待に応えねぇと、なんて気負わせるやり方じゃなく。くすぐって、笑って、腕と脚を絡めて、巻きつけて、それで眠る。

 起きたらキスをする。


 君江の仕事が休みで、俺の仕事のある日。そういう、どこにも出掛けられない、制約のある毎日と、なんら変わらない昼。

 それにも関わらず、君江は笑う。


 誰かと生活を共にするというビジョン。その先が途切れることなく、今後も続いていくということ。

 微かに、何かが見えたような気がした。






(番外編 「チンピラのお誘い」 了)

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紙の本を読む気持ちで拝読していました。なろうでも、こんな現代恋愛文学が読めるのですねえ……。1話目からお洒落かつ文学的表現で、どんどん引き込まれました。 彼も彼女も、自分が相手に惹かれる理由が「美し…
ラストまで拝読しました。 冒頭からおしゃれで、芸術的な恋愛映画を観ているようで引き込まれました。 「魔女の恋」とはまた違った感じなのですが、やはり一つ一つの物事も心の状態も、明確に形を持って迫って映像…
[一言] 君江さん。 とても可愛くて強い。 オトコなんてのはその手の上で転がされているだけって気がします。 言うと怒られそうですが(^^;)
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