14 叔父さん、おまえもか
「ふざけんな! 関係ねぇだろ! あいつがあんたに何したんだよ! 出てけよ! 俺の人生から出ていけ!」
診療室の外から慌てて駆け付けただろう男の足音と、聞いたこともないような憎悪に満ちた怒声。静かにしてください、という看護師の鋭い注意。
病院に訪れる前まで、ずっとぶつぶつと文句を言っていたランさんという女性は、病院前まで辿り着き、建物を仰ぎ見た途端、顔色を変えた。そこからはずっと無言だ。
「……とりあえず、手術にはなるなあ。今日はどうする? 泊っていく?」
CTを眺めていた耳鼻咽喉科の若いドクター。ドクターチェアをぐるりと回転させ、気づかわしげにこちらに向き直った。
詳しいことは把握していないにせよ、外の不穏な状況から帰宅しても安静にできないと思ったのだろう。
「ベッドは空いてるんですか?」
「空いていないなんて冗談でも言ったら、キミの伯父さんとお父さんに、どんな目に遭わされることか」
いたずらっぽく肩をすくめるドクターは、どうやらあたしの出自を把握しているようだった。それもそうか。この病院にあるカルテが、なによりの証拠だ。
あたしはこの病院で生まれ、この病院の院内託児所で育ったのだ。
「……じゃあ。入院します。手術はいつですか?」
「いつでもいいよ。一番早くて三日後かな」
「では、はい。三日後お願いします」
「うん。じゃあ今日はゆっくり休んで。明日は改めてもう一度検査。そのあとの流れは、またあとで説明しよう」
「はい。ありがとうございます」
「眩暈や頭痛は?」
「ぐらぐらして、頭は痛いです」
ドクターは眉をひそめた。
「そうか……。うーん。どうしようかな。キミ。ちょっと来て」
ドクターは控えていた看護師を呼び、説明を始めた。
その様子をぼんやりと眺めていると、廊下がまた騒がしくなり始める、なんだろうと入口に目をやると、壁をノックする叔父さんの姿があった。
「叔父さん……」
「思ったより元気そうだ」
ほっとしたような、怒っているような、悲しんでいるような。複雑そうに叔父さんは微笑んだ。
「……心配かけて、ごめんなさい」
「……うん。でもぼくもいけなかった。きみの話を――……いや彼から話をちゃんと聞くべきだった」
叔父さんはそう言うと、耳鼻咽喉科の担当ドクターに詳細を聞き出す。どうやらあたしは、ぶたれた衝撃で耳小骨の関節が外れてしまったらしい。ぼんやりと二人の会話を眺めていると、叔父さんがこちらを振り返る。
「診断書はもちろん、書いてもらうけど。まだ警察には、」
「やめてください」
叔父さんの言葉を遮って頭を下げる。頭を動かしたことでクラクラとした。耳鼻咽喉科の担当ドクターから焦ったような声で「頭を動かさないで」と注意される。
「そういうわけには……」
「お願いです。大事にしたくないです」
ランさんという女はどうでもいい。でもあの人は、男の母親なのだ。たとえ男があの人と複雑な関係にあるのだとしても。あの人を訴えることで、巡り巡って男との関係は壊れてしまうことになったら。そんなことは耐えられない。だから。
「うんうん。助かるなー。そうしてもらえると。ホント申し訳ないんだけどねー。まあこの女突き出しても、ウチには回ってこないけどね? でも先生方にはさあ。ホラ、これからもお世話になりますしッ!」
サングラス男は病院の廊下でもまだサングラスをかけたまま、胡散臭い笑顔を浮かべていた。
「君は……」
いぶかしげに叔父さんが眉根を寄せると、サングラス男はニカっと大きな口で笑った。
「そちらのセンセーはこちらの病院にお勤めじゃないですね? あまりウチとの馴染みがないようで」
「……ああ。そういうことですか」
叔父さんが渋面を作る。反社会的勢力そのもの、といった体のサングラス男とこの病院と。関わり合いがあるのかと不安になる。サングラス男が首を傾げる。
「あっ。お嬢さん。大丈夫ですよ? あなたの御尊父に御令伯、いえ一族の皆様、完全に清廉潔白ですからね! ウチが一方的にね。まあ、こう、公にできるときにお世話になってるだけですから。ね?」
叔父さんが目をそらす。つまり。そういうことなんだろう。
「でもまあ、そちらのセンセーはあの女と、切っても切れない、深ぁああああああ~い縁があるようですからねぇ」
サングラス男はニヤニヤしながら「ウチとは全く! 全然! 関係ないですけど。センセーは、ね?」と叔父さんに水を向ける。
「え?」
「いやあ、若いころっていうのはねぇ。頭のいい人も悪い人も。偉い人もワタシみたいなクズも。みーんな、バカなことをするもんですよねぇ」
眉間に深い皺を刻み、拳を握りしめ、ぐっと口元を一文字に引き結ぶ叔父さん。ニヤニヤと当てこするサングラス男。今はしんと静まり返った廊下。
耳鼻咽喉科の担当ドクターが「とりあえず、診療は終わったんで」とため息をついた。




