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貴婦人の悩み マリアナ視点

「っもう! ライン様ったら! こんな所でおいたはいけませんよ!」


 廊下を歩いてふと耳に飛び込んできた夫の名前。立ち止まり声がする方に視線を向けると、客室の扉が少し開かれていた。


 私は気になり、そっと扉の隙間から覗いてみると、そこには見知らぬ若い令嬢と夫が抱き合っていた。


 その現場を見ただけでも卒倒しそうなのに、更に信じられない言葉が私の耳に飛び込んでくる。


「大丈夫だよ。妻はお茶会に出て丸一日帰って来ないのだから。若い頃はマリアナも美しかったが、今は見る影も無い。年老いた女ほど醜悪で敵わない。マーガレット、君は若くて美しい。婚約者のマルクが羨ましいよ。毎晩君を抱けるのだからね」


 ……聞きたくなかった。


 若い令嬢と抱き合いながら話す夫の言葉が私の心をズタズタに切り裂いていく。

 私が年老いたから、なの?

 夫婦仲睦まじく過ごしていたと思っていたのに。


 私の後ろにいた執事は何も言わず扉を閉めて一礼する。


「知っていたのね」

「……はい。申し訳ありません」 


 私はそのまま自室へ戻り侍女達を下がらせた。


 みんなは知っていて黙っていたのね。

 一人知らずにいた私は馬鹿みたい。

 私だって好きで年を取った訳じゃない。

 悔しい。酷い。


 みんなで私を笑っていたの?

 年寄りだと。

 若い娘に乗り換えられた夫人だと。

 心が抉られる思い。

 憎い、悔しい。苦しい。


 ……もう、どうなってもいいわ。


 私は机の引き出しを開け、手芸用の箱から鋏を取り出して先程の部屋へ向かう。


 ― ガチャリ 


 無言で扉を開けると、裸でベッドの上にいる二人に目が入った。二人は突然の事に目を見開きながらも動けずにいるようだわ。


 ……悔しい。


 私は苦しい思いを抱えそのままスタスタと若い娘の前に立ち、髪の毛を掴み上げ、鋏で根元から切った。


「あははっ。いい気味だわ! ゼノン! ゼノンはいるかしら!」


 若い令嬢は唐突なことで何をされたのか理解していないようだったが、私が執事を呼び、切った髪を女に投げつけられたことでようやく自分の髪が切られた事に気付き悲鳴を上げた。


「奥様、如何いたしましたか」


 息を切らし、駆けつけた執事は目の前で行われた状況をいち早く理解した様子で何も答えず私からの指示を待っている。


「こちらのご令嬢は今から帰るそうよ。馬車を用意して頂戴。マイク! いるかしら」


 私は護衛のマイクを呼び出すと、彼も部屋の外で待機していたようですぐに来てくれたわ。


「マイク! ご令嬢をしっかりとお家に送ってあげて欲しいの。相手の親御さんにもしっかりと伝えてね」


 夫は突然の事に唖然とし、何も口を挟めずにいる様子。


 令嬢には私のドレスを与え、着替えさせた上、そのまま馬車に押し込まれるように帰宅する事となった。


「ゼノン、私、気分が優れないみたい。これからは一人部屋で食事を摂るわ」


 部屋に戻ってからも怒りと悔しさ、苦しみが混ぜ合わさりその思いは膨らみ続ける。

 一人でいないと恨みや怒り、苦しみで誰かを傷つけたくなってしまうと思ったから。


 思いとは裏腹にはらはらと流れる涙は止まることを知らないようだ。


 幸せって一瞬で崩れるのね。

 心が痛い。

 苦しい。


 私は若くないからもう夫は私を見る事は無い。

 ここであの令嬢を無理に別れさせたところで夫の気持ちは変わらない。

 きっと次から次へ愛人が出来るのでしょう?


 ー コンコンコンコン ー


「奥様、ご令嬢を送り届けて参りました」

「そう、彼女はどこのお家のご令嬢だったのかしら?」

「カーナル子爵家でございました。当主がご在宅だったようでご令嬢の様子を見て顔を青くしておいででした」

「そう。報告ありがとう」


 マイクは報告をしてから部屋を出ようとすると、入れ替わりに夫が部屋に入ってきた。


「マリアナ! すまなかった! 許してくれ!」

「何を許せば良いのですか? 私は年老いて耳が聴こえ辛くなったみたい」

「マーガレットはまだ若いんだ。将来もある。許してやって欲しい」


 やはり夫は私より若い娘の心配をするのね。


「ゼノン、いるかしら? カーナル子爵家に不貞の慰謝料とマーガレットさんの婚約者のお宅に不貞の知らせを出してちょうだい。彼女の髪は汚いし要らないわ。捨てるか送り届けるか好きにしてちょうだい」


 夫を無視し、控えていた執事は一礼をして手続きに行ったようだ。


「私、貴方と仲睦まじく、生涯を添い遂げたかった」

「すまない。私がよそ見したばかりに」

「ええ、そうですわね。貴方のせいであのご令嬢は一生を棒に振りましたわ。私の残りの人生もね。私、子爵家から頂いた慰謝料で傷心旅行にでますわ」

「……君の気がそれで済むのなら」


 言い伝えでは魔女は対価を取る代わりに願いを叶えてくれるというわ。私は若返りたい。見返してやりたいの。


 そうして慰謝料を手に護衛兼従者を一人連れて魔女の森に向かった。


 この国は魔女の国とも言われているほど魔女の話で溢れている。カイン国王も魔女に助けられたのだとか。一方で魔女はとても怖いものだとも聞いている。


 魔女ならこの苦しみが分かってくれるだろうか。


 魔女の家に無事に着くと魔女様は部屋へと案内してくれた。魔女様は若返りの薬はあると言っていたけれど、高額で買えない。悔しい。


 私は見返してやる事も出来ないのね。悔しくて涙が溢れだす。


 魔女様は私を見かねて副作用が強いが一時的に若返る事が出来る丸薬を用意してくれた。


 副作用は強くてもいいわ、たとえ寿命が縮んでも。


 年を取った私は夫にも愛されず、誰からも目を向けられない。

 私にはもう何も無いもの。


 私は護衛と共に帰宅の途についた。邸の前で恐る恐る丸薬を一粒飲んだ。すると、少しずつ手の皺が無くなっている事に気づいた。早く鏡をみたいわ。


「ただいま」

「マ、マリアナ!? 君は旅に出たんじゃ……? 君の、その、姿は」


 邸へ入り、夫の執務室へ入るとやはり前とは違う娘が夫の膝に乗っていた。あぁ、やはり予想していた通り、私達はもうお終いのようね。


 夫は私の姿を見て驚き、動けないでいるわ。

 私はこれで最後ね、とまた膝に座る娘の髪を切り、邸へと返した。夫は黙って彼女を見ていただけ。懲りていないのね。


 私の姿を見た夫の態度は明らかに変わった。

 ……現実はなんて残酷なんだろう。 


「マリアナ、やはり我が妻は美しい」


 それから夫はそう言って夜な夜な私を無理矢理抱いたわ。気持ちが悪い。結局、私は嫌がる夫に離縁を突きつけ、夫と不貞相手から慰謝料を貰ったの。


 王都でこじんまりとした邸を買い、偶に舞踏会へ出る暮らしをはじめた。男達は若く美しい女に弱い。分かっていても、現実を目の当たりにして心が抉られる。


 けれど、その男達から貢いで貰い、私は裕福な暮らしが出来ているの。


 飲む度に丸薬の副作用が強くなるのが分かる。


 私の命も後少ししか無い。

 身体の自由がどんどん奪われていくの。

 身体が重く痺れたような感覚。


 残り少ない命ならいける所までいくのもいいわ。


 私は舞踏会を利用し、男達のつてを使ってカーサス様に会う所まで漕ぎ着けたわ。カーサス様に会わせようとした男達は私を利用したに過ぎないと分かっている。


 ……分かっているの。


 間近で見るカーサス様はなんて素敵なんでしょう。今までの男とは違う何かを感じる。きっとカーサス様はカイン国王陛下と並ぶほどの名君になるのではないだろうか。


 最後にこんなに素敵な人を見ることが出来た。

 もう、思い残す事は無いわ。


 そう思っていると光と共に魔女は現れた。カーサス様と知り合いなのね。とても羨ましいわ。


 意識はこうして働いているのに動かなくなった私の身体。


 集められた私と関係を持った人達。彼らも私と同じなのね。眼だけが辛うじて動いているもの。

 あぁ、元夫もいるわ。



 私達は魔女の母親の家に連れて来られたらしい。魔女が帰った後、下男のような魔獣に抱えられ私達は部屋に運ばれていく。魔女の母親は私を見つけると、


「貴女、こうなるまでして若返りたかったの? あの子が副作用の話をしないことなんてないもの。復讐も兼ねているんでしょう? 辛かったのね。貴女だけはこのまま意識を無くしてあげるわ。こんなに多くの人の器が手に入ったんだもの。感謝しているわ」


 魔女の母親は上機嫌で言った。


 ……私、辛かったの。


 身体は動けないけれど、涙が頬を伝う。

 これから私の身体は植物の苗床として使われるのね。

 悔いは、無いわ。


 そうして私は意識を手放した。

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