6 野良犬のような男
今日中に何とか二話更新、間に合った…!
ふっ、と短く吐き出した呼気が耳に残る。
細かな石の混じった土を踏みしめて駆ける音が聞こえ、若い体が弾かれるように森狼へと近付いていく。その勢いのまま、群れからはぐれたであろう森狼に叩きつけるよう荒々しく剣を振るうが、流石に当たらない。
それどころか外れた隙を狙い、牙を向き襲ってくる。唸り声を上げ喉笛を狙う森狼の反撃を咄嗟に身をかわして距離を取る。チッ、と軽い舌打ちが聞こえた。
呼吸を整え、様子を窺いながら相手の攻撃を誘う。焦れたのか再び飛び込んできた森狼を、素早い突きで牽制する。身をよじって避けようとした森狼の鼻っ面を、左腕に固定された小盾が強襲した。
激しい当たりにより吹き飛ばされた森狼に追い縋り、先程よりも確かな剣筋で剣を振るう。宙空で身をよじろうとする体へと剣が届き、刃がその腹へとしっかりと喰い込んで、血を撒き散らしながら深く切り裂いた。
森狼は腹から大量の血を流し臓物をぶら下げながらも何とか着地して、決死の覚悟で裂帛の雄叫びをあげようとしたところで、首を両断され絶命した。
私はそれを少し遠くで見ていた。汗を流し、荒い呼吸を意識で押さえつけるかのようにして、彼は叫んだ。
「見たかおっさん! これでどうだ!」
「まぁ最低限の実力はあるようだ」
「なんだと!」
「だが」
辺りに広がる青々とした木々の影から、同時に七体の森狼が飛び出してきた。唸り声どころか目立った音も立てずに、それぞれが的確に二人に牙を突き立てようと殺到する。先程見事に一体を仕留めた彼は、驚愕の表情で固まっていた。
私は冷静に、準備していた魔術を解放する。
『水の檻珠よ』
七体の森狼全てが、球体状に固められた水に飲み込まれる。森狼は突然現れた水の球をかわしきれず、口元から泡を吐きながらもなんとか藻掻いて脱出しようとする。
無駄なことを。変異種でもない狼ごときにこいつは破れない。
球の中でしばらくバタバタと足掻いていた者たちも一体、また一体と動きを止め、やがてどれも動かなくなった。私はそれでも魔術を維持し続け、まだ呆けている彼に話しかけた。
「油断しすぎだ」
◇ △ ◇ ▽ ◇ △ ◇ ▽ ◇
滝のように溢れる涙は止まったものの、まだ鼻水をすすっているアンネに無言で鼻紙を渡す。彼女はズゾゾゾゾ! と婦女子らしからぬ音を立てて鼻をかんだ。遠ざかる鼻紙とアンネとの隙間にどろっとした橋がかかる。あ、こら、開いて覗くんじゃない!
奥で様子を見ていたらしき職員に別室へと通された私たち三人は、まだ誰も口を開いてはいない。むすっとした顔の冒険者風の若い男にも多少は良心の呵責があったようで、彼女に対しての無惨な追撃などはしていなかった。代わりに謝罪の言葉もありはしなかったが。
それから三度ばかし新たに鼻をかみ、目元をゴシゴシとこすったあと、何とも力の抜ける"にへらっ"とした笑みで彼女は私に話しかけた。
「えっと、改めてありがとうございます、【黄昏】さん」
「なに、別に構わんさ。困っていたようなので声を掛けただけだ」
「それでも助かりました。私、口を開けば開くほど、もうどうしたらいいかわからなくなって……」
「俺のせいだっていうのかよ!」
原因となったであろう彼が口を開く。
年はおそらく十四、五。先程の勢いが再燃でもしたのか、茶褐色の髪が逆立ちそうなほどの感情が伝わってくる。意思の強そうな瞳でアンネをキッと睨み、腰に剣をぶら下げた皮鎧という格好もあって全身で威嚇しているようだった。さっきのことといい今といい、いろんなものに噛み付く野良犬のような男だな、この男は。
「言わなくてもわかるだろうに」
「何なんだよおっさんは! さっきも言ったけど、部外者は黙ってろ!」
「誰かさんが話を大きくしたせいか、おかげさまですっかり関係者になってしまったようだが」
そう伝えると、男が、ぐっ、と言葉を飲む。
「私はこの街を中心に活動している冒険者だ。まぁ本職は理術師ではあるが、冒険者としてもそれなりに長く活動している。話をして貰えれば、何か解決する糸口が見えるかもしれない。無理にとは言わんが、何があったか話してみないかね」
男は口をつぐみ、黙り込む。ぴりぴりとした雰囲気は鳴りを潜め、何かを躊躇っているようだ。
事情を知っているもう一人の当人であるアンネは組合としての守秘義務の事情からか、自分から話そうとはしない。
しばしの間沈黙が流れ、それじゃあ諦めて帰ろうかと思い始めたころ、男がやっと重い口を開きゆっくりと話し始めた。
たどたどしく話す男の言葉は自分でも何かを確認しながら話しているのか飛び飛びで、解読は困難を極めた。時折補足を入れるアンネのぶんも併せて何とか話をまとめると、この若い男はどうやらある依頼を受注したうえで冒険者組合の管理するダンジョンの一つに入りたいらしい。しかしそれを冒険者組合が止めている、とのことだった。
そこは『碧岩の庭』と呼ばれ、このグシュリの街から二日ほどの場所にある。既に休止状態のダンジョンであるために現在の危険度は下がっているものの、内部に入り込んでいるであろう獣や魔物が危険なことに変わりはなく、現在では冒険者組合によって出入りが厳しく管理されていた。
冒険者が依頼によってこういった場所に立ち入る必要が出た場合、それを達成できるであろう実績や強さを持つ受注希望者が現れたときにのみ入場許可が下りる。今回はこの若い男がそれをクリア出来ずに、文句をぶつけていたようだ。
「俺はまだ冒険者になって日は浅いが、普段から獣と戦ってるし何度も討伐依頼も達成してる! 村では一番の剣の使い手だ! 大丈夫だから受けさせてくれ!!」
「あなたは確かに討伐成功させた実績があります。ですが、その難易度は高くない、というか言ってしまえば初心者や駆け出しが戦いに慣れるための低ランクの獣です。魔物との実践経験も記録にはありませんでした。全体的な実績も足りません。強さもまだまだ。これらのことを踏まえると、当組合としては『碧岩の庭』への入場は到底許可できません。よって、あの依頼を受注することはできないのです」
先程までの醜態が嘘のように、アンネがハッキリと答える。……これでまぶたが腫れ上がっていなかったら格好よかったんだがな。
「……でもそれだと……リリアが……」
彼は小声でそう呟き、パッと顔を上げて懇願した。
「迷惑はかけない! 怪我をしないようにしっかり気を付けるし、戻ってきたら頼み事だって聞いてやる! だから頼む! 行かせてくれっ!!」
「ふむ……」
私は少し考えてから手を上げ、二人を順番に見て提案する。
「少しいいかね。どうやら彼には何やら事情があるようだ。私は今日この街に戻ってきたばかりで幸いにも手が空いている。彼の代わりに私が依頼を受けることは可能かな?」
その言葉を聞き、アンネの顔がパッと輝いた。
「あっ! はい! 大丈夫です! 実力も実績も十分、文句なしですっ!」
「待てよおっさん! 横からかっさらおうってのかよ!」
「そう何度もおっさんおっさんと連呼するな。見た目ほど若くないのは確かだが、繰り返し突きつけられると悲しくなる」
「名前を知らないんだから仕方ないだろ!」
「ふぅむ、そうだな。【黄昏】とでも呼んでもらおうか」
「何わけわかんないこと言ってんだよ! おっさんはおっさんで充分だっ!」
この野郎。ヒトが気にしてると言ってることをズケズケと。やっぱり取り消して帰ってやろうか。
「【黄昏】さんは凄いんですよっ! 理術師協会から『五星杖』の位階を貰うほどの使い手で冒険者としての活動も豊富! 大ベテランです! おっさんはおっさんでも、もの凄いおっさんで大おっさんです! 超おっさんです! スペシャルおっさんです!」
うん、アンネもフォローにならないフォローはやめような。泣きそう。
「その理術師協会が何だかわからないけど、要はおっさんは強いんだろ!? だったら新人から仕事を奪うような真似すんなよ!」
「私が依頼を達成するのでは不満か?」
「俺がっ! 自分でっ! やりたいんだっ!!」
激情を宿した目でこちらを睨みつける。こいつは人を睨みつける癖でもあるのか。難儀な。
「ならばこうしよう。私が依頼を受けて『碧岩の庭』へと向かう。君はその荷物持ちとして同行すればいい」
「馬鹿にすんなよ! 俺だって戦えるっ!」
「さっきの聞いた限りだと、それも怪しいな」
「何だと!!」
「まあいい。だったら私に考えがある」
私は再び、また一つの提案をした。
「街の外れにある森で、私に実力を見せてみなさい。それ如何では、君を同行者として歓迎しよう。なぁに、もし駄目だとしても、さっき言ったように荷物持ちとして連れて行こうじゃないか。無理をすることはないぞ」
さっき散々おっさん呼ばわりされた憂さを晴らすように、わざと意地悪そうな笑みを浮かべて彼に伝える。半分以上アンネによるダメージな気もするが、まぁ八つ当たりだ。
「だから馬鹿にするなっ!! やってやろうじゃないかっ!!!」
彼は目を吊り上げ、肩を怒らせ鼻息を荒くする。怒りのあまり細かくプルプルと震えているじゃないか。ふふふ、いい気味だ。
「早速行くぞ! 俺の実力を見せて、吠え面をかかせてやるっ!」
全身から怒気を放ちながら大股で出口へと歩いていく彼の後ろ姿に声をかける。
「もう私はおっさんでも構わんが、君の名前は? そういえば聞いてなかった」
ぴたっと止まると素早く振り返る。すうっと大きく息を吸い込み、勢いよく声を出した。
「俺はアレンっ! シュガ村の冒険者、アレンだっ!!」
◇ △ ◇ ▽ ◇ △ ◇ ▽ ◇
「油断しすぎだ」
急変した事態にまだ意識がついてきてない様子のアレンの目を見つめながら続ける。
「群れを追放されたのか迷ったのか知らんが、はぐれとは言っても狼には違いない。あんなに血の匂いを撒き散らして殺し、同族の命を奪ったものがここにいるぞと喧伝するつもりか? 狼は鼻が利く。我々には到底感知できない範囲からも察知し、的確に狙ってくるぞ。しかも奴らは森狼だ。森の中で静かに狩りを行う種族だ。奴らのテリトリーで油断する代償は、自らの命で支払うことになる」
十分に時間が経ったのを確認し、念のため森狼の胃と肺に入った水を魔力で掻き回してから魔術を解く。水が弾け地面に落ち、七体の骸がビチャリと転がった。地面に吸い込みきれない水が流れ、広がる。
「……おっさん、こんな凄え魔術師だったのかよ」
「本業は理術師だ。だからといって魔術が使えないわけではないがね」
「それにしたって……クソっ……」
自らの犯した失態を後悔しているのか、彼が悪態をつく。地面を睨みつけ、歯を食いしばっていた。私はその姿を見つめ、口を開く。
「まぁ合格だよ」
「……は!?」
「油断はしたが、一体はしっかりと倒した。あの様子だと森狼と戦うのは初めてだったんだろう? 筋は悪くないし、最低限自分の身は守れるだろうさ」
「いや、でも……」
「不満かね?」
「……何でもない」
結果に納得出来ないながらも背に腹は変えられぬと思ったのか、苦虫を噛み潰したような顔で受け入れた彼に苦笑する。本当に面倒臭い男だ。
そう思いながらも口には出さずに、彼の元へと近付く。そしてふと悪戯心を出し、私は軽く右手を上げゆっくりと振り下ろしながら舞台役者のように鷹揚に一礼をする。そして、彼に向かって伝えた。
「貴殿は力を示し、約束は果たされた。勇敢なるシュガ村のアレンよ。件の依頼は私、【黄昏】が責任を持って請け負おう」
彼は微妙な表情で「お、おう」と返す。おい何だその反応は。まるで私が何かやらかしたみたいじゃないか。目を背けるなおい。
まぁいいかと気を取り直そうとするも、意外と心が傷付いていたらしく、はあ、とため息がひとつ漏れた。改めて彼の元──ではなく、その近くで首を失い息絶えている森狼の方へ歩いていく。
血を流し息絶えながらも未だ温かさを残す獣の前に座り込む。そして解体用のナイフを取り出し、手早く毛皮を剥ぎながら言った。
「ほら、お前も手伝え。ちゃっちゃとやらんと日が暮れる。分け前も出すぞ」
「お、おっさん! 血の匂いで集まってくるんじゃなかったのかよ! そんなことやってる場合か!」
「さっきも言っただろ? 油断しなければいいんだよ、油断しなければ。それにせっかく倒したんだからもったいない」
「それにしたって……」
「うるさいな、いいからこいつの足を持て、これを、そう、そうだ」
未だ不可思議そうな顔をしている彼に森狼の前足を無理矢理持たせ、解体しやすそうな体勢にさせる。既に一部の内臓が飛び出てはいるが、これ以上飛び出ないよう、また不用意に傷付けないよう慎重にナイフを入れた。
彼は眉間に皺を寄せながらも、「変わったおっさんだ」などと言いつつ、それ以上は特に文句も言わずに従った。
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