4 ミリアム
ジルオの手によって生み出された料理をありがたくいただく。私は素晴らしい味の料理に気をよくし身も心も充分に満たされたあと、ガーウィンとともに夜中まで痛飲した。
様々な情報を交換し、何やら西の方でキナ臭い雰囲気がするなどと忠告され、エールや料理の器をいくつも重ね、彼の妻への惚気っぷりを聞いた。今日の失敗など何するものぞ、と二人で肩を組み高らかに歌い上げ、酒や料理をどんどん頼み、酒精によって茹でた殻持ち蛸のように真っ赤な顔になったガーウィンの姿に爆笑し、また盃を干した。
そしていつの間にか他の客でごった返していた店内が、これまたいつの間に静かになってきた頃、最終的には店長に店から叩き出された。
既に暖かくなってきた時節とはいえ、日が落ちて時間が経ったために涼しくなった風が私の頬を心地よく撫でていく。頭上からは少し欠けた月が私たちを優しく照らしていた。
常に頭がゆらゆらと揺れているガーウィンが呂律の回らない口調で「たそがれの、たそがれの」と話しかけている。落ち着けガーウィン。そいつは樽だ。
私は苦笑し、彼の肩を軽く叩き「またな」と伝え、彼と『踊る猪豚亭』に背を向け歩き出した。
久々のいい出会いと酒だった。すっかり軽くなった財布のことなど考えもせず、私は上機嫌で宿へと向かった。
◇ △ ◇ ▽ ◇ △ ◇ ▽ ◇
ニドの街にある宿を出発して三日。幸いなことに天候にも恵まれ目立ったトラブルもなく、乗合馬車を乗り継ぎ野営を重ねた私はようやく慣れ親しんだグシュリの街へと帰ってきた。道すがら馴染みの露天商に声を掛けつつ、ゆったりと歩を進める。途中で果実を四つばかり買い、家の方へと向かっていく。
(気が重いな……)
けれども帰宅せぬ訳にはゆかぬ。なぁに私の行動が徒労に終わるのはよくあること。むしろトラブルなく無事に旅路を終えたのだから問題はないはず。五体満足のこの身を目にすれば彼女も安心するであろう。
開き直りにも近い心情で、えいやっ、と喝を入れる。先程購入したアプラウの実の赤い表面を服でゴシゴシとこすり、歩きながらかぶりつく。程よい抵抗の皮をぱきりと齧り取り、みずみずしい果肉とともに咀嚼する。酸味のある甘さが口いっぱいに広がった。
うまいな。相変わらずあの露天商はいい目利きをする。一個丸々ぺろりとたいらげ、空いた小腹をくちくした。
程なく借りている一軒家へと辿り着いた。やや古くはあるがしっかりとした作りの我が家を見つめ、様子を窺うように入り口から逸れて庭の方へ向かう。そこでは栽培してある幾つもの植物が青々と茂り、柔らかな風にその葉を揺らしていた。人影はない。
再び家の入り口へと戻り、少し躊躇ったあと、ゆっくりと扉を開いた。家の中へと差し込む光によって宙に浮かぶ埃が薄くきらきらと光る。一度だけ深呼吸をし、中へと入る。私は堂々と帰宅し、できる限り物音を立てないよう細心の注意を払って扉を閉めた。
入り口から少し入ったところにある木のテーブルの上には何も置かれていない。しかしその少し奥にある台所では、鍋がぽつんと佇んでいた。近付いて蓋を開けると、作ってからやや時間が経っているらしき中身が見えた。どうやら肉の腸詰めと葉野菜を使ったスープのようだ。私は蓋を閉め、台所から離れた。
太陽は既に中天を回っているにも関わらず、今のところ探し人の姿は見えない。いや、別に探しているわけではないのだが。部屋に籠もって本でも読んでいるのか、なにがしかの研究中か、はたまた午睡でも貪っているのか。それとも何処かに出かけているのかもしれない。別に確かめずともよいだろう。わざわざ藪をつついて蛇を出す趣味はないのだ。
とりあえず自室に戻り、旅支度を解く。背負袋を下ろし、外套を始めとする装備類一式を外した。もう一度台所へと行き、水瓶からたらいへとたっぷりと水を汲み、自室に持ち込む。そして水に浸した手拭いを軽く絞り、旅で汚れた体を身奇麗にしていく。
本格的な湯浴みは夜にすることとして、今はこんなものでいいだろう。さっぱりとした体と気持ちで、私は部屋着へと着替えた。
とりあえずやることをやるか。そう思うと背負袋から小分けにした袋を何個も取り出し、工房へと向かった。
工房とは言ったものの、特に変わったものはない。あくまで部屋の一室を工房と呼んでいるだけだ。単なる作業部屋ともいう。
「さっさと終わらせよう」
そうひとりごちると、工房の隅に置かれた箱から天秤と分銅を取り出す。片方の皿に決められた分量の重りを乗せ、私は持ってきた小袋を一つ手に取った。口を縛っていた紐を解き、中身を見る。そこには乳白色の粉が詰まっている。仄かに魔力の残滓を感じる。よし、始めるか。
空いた片方の皿に粉をさらさらと乗せる。ある程度傾きが吊り合ってくると、今度は慎重に粉を加えた。しっかり水平になったことを確認し、予め足元に用意しておいた空き瓶に粉を詰め替えて備え付けのコルクで蓋をする。それを机の端に置いて、私は再び同じ作業に移った。
魔結晶は高純度で強力な蓄魔力の性質を持つ非常に高価な媒体である。だが、中に込められた魔力を強引に吸い上げ過ぎたり限界以上に使い潰すと砕け、粉状に変化する困った性質も併せ持つ。輝きは失われ、透き通っていたはずの色も白く濁り、蓄魔力性も失われる。
しかし元来持っていた性質とは比べるべくもないが、これはこれで使い途があるのだ。蓄えられた魔力は粉になる際独自の変質を遂げ、独特の魔力を帯びる。そのため魔術的加工が必要な際に適切に用いれば、とても有用だ。そのまま何らかの触媒にしたっていい。
そんなわけで魔結晶の粉はそれなりの値で取引される。あくまでそれなりだ。しかし、高価な魔結晶十九個を粉化させるというやらかしをしてしまった私は、その失点を少しでも取り戻すべく怒涛の勢いで仕分けを進めていく。
順調に作業は推移し、全体量の半分ほどの瓶詰めが終わる。このペースだともしかすると空き瓶が足りなくなるかもしれないな。まぁその時はその時か。そう思って新たな粉を秤に乗せようと──
「お師さま」
思わず体がビクッと跳ねて粉が机上へと散らばった。
「お師さま、もったいない」
「あ、ああ。そうだな」
私は振り返り、彼女を見つめる。机に粉を撒いた私の行動に眉を寄せ、非難するかのようにこちらをじっと見つめ返す瞳がそこにはあった。
瞳の色は濃紺。淡い水色をした髪は肩上で切り揃えられている。中央よりやや左側には一房、紅い髪が伸び、毛先に向かうに従って白くなっていた。
目鼻立ちは整い、その相貌は子供っぽさを残しながらも美しい。今は唇を尖らせているが、それでもなお彼女の魅力的な雰囲気は損なわれてはいなかった。
まだ幼さを残しつつしっかりと成長した体は健康的だ。細身ではあるが、まだ成長するであろうことを衣服の上からも感じさせる。胸部はふっくらと膨らみ、ささやかながらもその存在を主張していた。
八日ぶりに見る我が弟子ミリアムの変わらぬ姿を確認し、大きく息を吸い、吐く。
「お師さま?」
「やあすまない、ついうっかりしていてな」
「そのうっかりで魔結晶をこんなにも大量に魔粉にされたんですね」
おおう。久々に会った直後にも関わらずいつもの聡さでチクリと刺してくる弟子に苦笑する。
「それで、どうでした?」
「ニドの街に着いたところまでは良かったのだがな、現地の組合や協会で情報を集めた時点で虚寄りの荒野にいるというあいつがすぐにでも移動する恐れがあったため、私は急ぎ向かったのだ。いやなにあそこの生態系もある程度は知っていたし目的の場所に到着するまで充分に対処できる備えもしてあった。様々な敵や障害が立ち塞がったがあいつが立ち去る前に辿り着くべく私は手にした力を惜しげもなく使い」
段々と早口になっていく私の言葉を遮るように、ミリアムが口を開く。
「それで、ヴァルシアーノ様は?」
「……逃げられた」
私は絞り出すように答えた。彼女が軽くため息をつく。
「またですか、お師さま」
予想通りの答えが帰ってきた。そこに諦めや失望の感情が含まれていないのも予想通りだ。その事実に不思議と僅かな安心感を覚える。
「ああ、まただ。また逃げられたよ」
「四回目でしたっけ」
「甘いな、五回目だ」
「そんな胸を張って答えるようなことじゃないと思います」
「申し訳なさそうに言ったところで事実は変わらないさ」
「少なくとも私の印象は変わると思いますよ」
「口の減らん弟子だ」
「師匠が師匠ですので」
妙な小気味良さを感じる会話をミリアムと重ねる。こんなやり取りもいつものことだ。そのことでようやく私は家に帰ってきたことを実感する。
「随分と魔粉が多いようですが、二十六個も魔結晶を持っていってどれだけ使ったんですか?」
「驚けミリアム、二十六個中の十九個が粉化したぞ。新記録だ」
「そんな記録は要りません」
にべもない。だが我が家の家計を預かる彼女からすれば確かに遠慮したい事実だろう。
「小金貨九枚と大銀貨七枚が水の泡ですか……」
「金板一枚じゃなかっただけ勘弁してくれ」
「お師さまはどれだけ使い潰す気ですか」
目を閉じまぶたを抑えながら軽く頭を振るミリアムに対し「実はそのうちの一個は風に飛ばされて回収できなかった」と告げると、眉間の皺を更に深くした。
彼女はまたため息をつき、私の近くに寄ると粉の入った袋を手に取り計量を始める。そしてこちらを見ずに言う。
「魔粉の瓶詰めは私がやっておくので大丈夫です。お師さまは組合に報告に行ってください。どうせ面倒臭がって寄らずにまっすぐ帰ってきたと思いますし」
「……ほんとによく出来た弟子だよ、お前は」
「師匠が師匠ですので」
「ここでそれをいうか」
再び軽く苦笑し、私は部屋の出口へ向かう。その背中へと彼女から声が掛けられた。
「ああ、忘れてました」
「何だ」
ミリアムは作業の手を止め、振り向いた。
「ご無事で何よりです。おかえりなさいませ、お師さま」
「……ああ、ただいま。我が弟子よ」
その彼女の顔には、大輪の笑顔の花が咲いていた。
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