3 理術師協会
「その『五星杖』とか『六芒杖』って何なんですー?」
軽く思考の渦に落ちていた私は、エルザの言葉でハッとする。いかんな。今は食事と酒を楽しくいただく場だ。まぁ、まだ料理が運ばれては来ていないが。
「そうか。理術師協会のことだし上のほうの話だから、エルザは知らないかもなぁ」
「エルザ嬢が知らないのも無理はないさ。圧倒的人数と層の厚さを誇る冒険者組合とか魔術的知識・技術における求道者たちの変人窟『白鴉の塔』やなんかとは違って、理術師協会はマイナーなんだよ」
短い顎髭を撫でつけながら言うガーウィンに、苦笑しながら答える。"嬢"だなんて柄じゃないし、やめてくださいよー、と、私の肩をバシバシ叩きながらエルザは楽しそうに笑った。
理術師協会は《理の力》を扱う者たちが集って出来た組織だ。
「我々は理を知り、術理を学び法則を修め願いを起爆剤とすることで、何かを代償にして、世界を変質させる異端者である」、とは師匠の言だが、私に言わせると、理術師とは割に合わない代償で自分勝手な法則をもって世界を無理矢理従わせる、いわば詐欺師のようなものだと思っている。もちろん私も含めて。
あるとき修行場でその言葉を耳にした師匠はひとしきり楽しげに笑い、その直後笑ったまま私を裏の山へとふっ飛ばした。理術でもって、物理的に。
宙を飛び、地面に着いたあとガンガンと何度も体を打ち付け、草木や石に肌を擦りながらもひたすらに転がった。ようやく勢いが止まると、私は目を回しながらそのまま倒れた。少し遅れてやって来た師匠はその私の正面へふわりと降り立つ。しかしながらその超然とした軽やかさとは違い、師匠は巌のごとくどっしりとした雰囲気を放っていた。。
そして、"自分は別に気にしないが『詐欺師』と『灰狐』は一般的な理術師にとっては禁句である。一人前の理術師になるまでは口にしないほうがいい"と告げた。後になってわかったことだが、どうやら『灰狐』や『詐欺師』とは理術師を快く思わない者たちが我々に付けた蔑称らしく、そのことに憤りを感じている理術師も少なくないんだとか。
それから、いつものように酒を買ってくるように言ったあと、師匠は身をかがめて財布を私の頭の上に優しくそっと置き、家へと帰っていった。私は痛む体をなんとか庇いながら文句と呪詛を垂れ流しつつ、不本意ながらも通いなれた店へと急いで足を運んだ。そういえばあの頃はそういったことが何度もあったものだ。
……思い出すと腹が立ってきたぞ。くそっ。
再び思考が横に逸れた為、ぐびりとエールをひとくち飲み、気を取り直してエルザの疑問へと答えた。
私が所属する理術師協会(とは言うが兼任も問題ない為、冒険者組合にも登録している)は実力や実績、世間様の都合等に応じて、所属員に対し『位階』というものを与えている。
一般的に理術師見習いとしての呼称に『卵』や半人前の『枝使い』などもあるが、これらは正式には位階ではなく、あくまで一般的な呼称でしかない。
理術師協会が定めた位階は七つ。
『一本杖』、『二つ杖』、『三角杖』、『四交杖』、『五星杖』、『六芒杖』と続き、その上には頂点たる『真円』が燦然と輝く。
理をある程度理解し、《理の力》を無事に扱えるようになり、理術師協会から位階を授かってからようやく晴れて『一本杖』を名乗れるようになるのだ。
誰か師事している者がいる場合は師匠の許可さえあればその時点で独り立ちが許されるが、そのまま教えを乞うたままでも特に問題はない。実際にうちの弟子は『二つ杖』に上がっても未だ私の元を離れてはいない。
協会に杖を認められれば位階とともに、杖の形を模した首飾りが贈られる。これは自らの位階を証明するだけでなく、理術の行使を助ける補助具にもなるものだ。
あとは個人的にはこちらがメインの利点になるのだが、貴重な書物の閲覧許可が取れ易かったり、理術師協会協賛の店舗や施設での割引や優遇が受けられたりもする。これがなかなか馬鹿にできない。
そして実力、実績、成果、その他諸々の事情を鑑みて、次の位階へと上がるに相応しいと判断されれば、理術師協会は新たな位階をその者に贈る。
そこまで伝えると私は首に掛けていた細鎖を外し、砂で汚れた首飾りを服の袖で軽く拭いてから、テーブルの上に置いた。紐代わりにしている魔砂銀で出来た細鎖が、しゃらりと軽い音を立てた。
首飾りは杖が五本交差した星の形を成しており、精巧に彫り込まれたうえ台座に取り付けられている。宝石の類が嵌め込まれたりはしていない。精緻ではあるが華美にはならず、首飾りはそれでもなお不思議な存在感を放っていた。
「で、これがその証ってわけだ」
「はぇー。なるほどー」
エリザが首飾りを興味深そうにまじまじと見つめる。その姿を見て、ガーウィンも目を細めた。
「珍しいな、【黄昏】の。そいつを人目に晒すなど。しかも『五星杖』の証なぞ、この俺でも初めて見るぞ」
「ガーウィンおじさんも?」
「ああ。理術師の中でも『五星杖』まで至れる者は稀だし、そもそも理術師たちは自らの位階をあまり吹聴せんからなぁ」
「なに、私とて吹聴する気はない。だからと言って別に隠し立てしているわけでもないのでね。それに今の時間帯ならほとんど周りに人はいないさ」
確かに、と言って彼は笑った。そこへ、ようやく注文の料理が運ばれてくる。
やや大きめにゴロゴロと切られた赤土豚の肉は私好みに軽く焦げるぐらいまで焼かれ、黄金色のクゥデ芋と共にほこほこと湯気を上げている。溶けたバターが芋には充分に染み込んでいるようで、とてもうまそうだ。もちろん香りも素晴らしい。それらが荒く挽いた岩塩と胡椒によって木皿の上で化粧されている。炒めたのであろう葉野菜と根菜らしき添え物が何ともいじらしい。別皿には追加注文した蜂蜜もある。
完璧だ。いや、完璧以上だ。私の喉が思わずゴクリと鳴った。
「はいよ、おまたせ。【黄昏】さんよ」
「ジルオ! わざわざ厨房から出てきてくれたのか、すまないな」
「いやなに、この店でこんな頼み方をするやつはアンタの他に見たことがない。それに俺も久しぶりにアンタの顔が見たかったからな」
しばらくぶりに会った昔馴染みの料理人は以前と変わらず、けれど昔より少しだけ皺を深くした笑みで答えた。
『踊る猪豚亭』という名の店の主とは思えぬやや細めの体つきで、けれども意外と筋肉質だ。そこからは厨房の大変さが窺えるようである。
こちらを見ていた彼は、つい、と視線を横にずらす。
「それと仕事を放置して長々と話し込んでる不良店員も拾いに来た」
「あ、あはは……」
目を逸らしてそっぽを向く不良店員の後頭部を片手でがっしりと掴むと引きずり、店長は「ごゆっくり」と言い残してそのまま厨房の奥へ消えていく。そちらから「い、いたいっ! いたいです、てんちょーっ!」「うるせぇ! さっさと働け!」などと聞こえてくるのは気のせいであろう。うん、そうに違いない。