1 荒野にて
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最後の魔結晶が私の手のひらで"べぎん"と嫌な音を立て、あっけなくひび割れた。仄かな輝きを見せていたはずのそれは薄く濁り、先程生まれた大きな亀裂が放射状に広がっていく。そして今度は音もなく、ぱらぱらと細かく砕け始める。
手の中で破片はどんどん細かくなっていき、ほとんど粉状になったあたりでひときわ強い暴風が"魔結晶だったもの"を吹き飛ばす。
あ、と言葉を放つよりも疾く、私は激しい風の中へと飲み込まれた。
くそっ、と内心毒づくも、風に飛ばされたものは戻ってこない。あれはあれで良い触媒になるというのに。もったいない。
諦めや呪詛にも似た何かが体の内側で蠢いて、それが口からするりと漏れ出そうになるが、何とか意思の力で押し留める。目を開けるのもためらうほど砂埃や石つぶてが吹き荒れる中でわざわざ口を開くのもどうかと思ったのもあるけれど。
私は込み上げるものを我慢できずに、軽くむせながら血を吐き出す。ふむ、少し《理の力》を使いすぎたかな。
仕方のないこととはいえ、やはり簡易代償は乱発できない。ままならないものである。
あまりの風の強さに、溢れた血はあっという間にさらわれて千々に撒き散らされ、吸い込まれるように後方へと消えていく。それでもやはり発生源の口に近いからか、着込んだ防具の胸元にはぽつりぽつりと大小の赤い花が咲いた。せめて外套で食い止めてくれればよかったと思わなくもないが、これだけ荒れ狂った風の中では仕方のないことだろう。そんなことを考えていると、自然に口元の片方が笑みの形を浮かべる。
……いかんいかん。
そうは思っても、不格好な笑みは止みはしない。それどころか私の心の内に反して、より一層の深さを顔面に形作っている気さえする。
これは私の悪い癖だ。何か立ち向かうべき標的や乗り越える目標、叩き潰す理不尽などがあり、そこに楽しみを見い出し興が乗ってしまうと、ついつい悪い笑みを浮かべてしまうのである。意識してやっているわけではないのだが、何度も人に指摘されると流石に自覚せざるを得ない。
いったいいつからこんな癖がついてしまったのか。全く不思議なものである。けれど、そういった状況に陥ったときよくよく意識してみると、私は確かに何故か片方だけの口元を自然に歪めていたようだ。
村を襲った狡猾猿の群れ。
六年間にたった一度しか開花しない癖に、いったいいつ花開くのかわからない雪花の採取。
父親の権力を笠に着て自分勝手な要求を何度も突きつけてきた、傲慢で馬鹿な子爵家の四男坊。
文字通りの血反吐を吐き、立ち上がるどころかぴくりと身動きもできない程に《理の力》を絞り出した私に対して、いつも通り早く酒を買ってこいとのたまう師匠。
それらに立ち向かうとき、私は等しくこの不格好な笑みを浮かべていたらしい。もっとも、師匠に関しては立ち向かおうとしても更に理不尽な要求を怒涛のように積み上げられ、そのまま押しつぶされることも多々あったが。物理的な意味でも。
それはさておき、頼みの綱である魔結晶は底を尽き、《理の力》は容赦なく体を侵している。臓腑は悲痛な叫びを上げ、頭の芯に響く鈍痛が止まない。視界もぐらぐら揺れている。全身に渡る血管という血管の中を細やかで鋭利な氷の粒がざらざらと流れ、私を内側から削り取っていくようだ。
そんな五体満足とは口が避けても言えない状態の私に、暴風という言葉すら生ぬるいほどの風の牢獄が私に襲いかかる。凄まじい速度で大小様々な飛礫が間断なく体を打ち付けて来て、瞼を開け息をすることさえも困難だ。
しかも吹き荒れているのはただの風ではないようだ。飛来する礫に紛れ、風の中にきらきらと銀色に光るものが見える。なるほど、ここは『あいつ』のお手製、竜気入り暴風域か。してやられたな。
糸のように細くした竜気を束ね、風の中に幾重にも流して編み込み織り重ね、他者の魔術による干渉を阻害しているようだ。しかも風そのものが意思を持つかのように私の体に纏わり付き、直接の攻撃力はないものの鬱陶しいことこの上ない。
この外側には『あいつ』がいる。私が長年追ってきた『あいつ』がだ。
牢獄を生み出した張本人の『あいつ』は、私をこの牢獄ごと押し潰す気か。それとも、風が止むと同時に何らかの手段で襲ってくるか。
爪、牙、尾、咆哮。それとも拳か。いや、やはり魔術か。はたまた竜気を使った何がしかの特殊な攻撃か。逃れられないよう一気に面制圧をしてくることも考えられる。
それらを想像して私の片頬はまたしても不自然に、いびつに吊り上がる。
傍から見れば、私が圧倒的に不利な状況。上位存在である竜種に連なるものから一方的な攻撃を受け、手も足も出ない哀れなる存在。あとは蹂躙されるのを待つばかり。第三者の視点からすれば、そういうことになるだろう。
しかし。
(いいなァ、楽しいなァオイ!)
こんな状況ではあるが、口には出さないものの、私の心はどうしようもなく踊っていた。
何故私が悲観的になっていないのか。
なんのことはない。先程も言ったように、つまりは私はこういうときにこそ燃えるタチであったのだ。
(いいぞいいぞッ! 今度こそ私たちの決着をつけるとするかっ、腐れ縁の暴竜、古き輩よっ!)
口元の血を拭い、心を震わせる。
震わせて、思う。
思い、想い、強く願う。
深く激しく、ただひたすらに願う。
真剣に。真摯に。熱狂的に。狂信的に。
(もっとッ! もっとだッッ!)
内外問わず傷ついている体に鞭打ち、《理の力》を求める。体と心のどちらもギシギシと悲鳴を上げるが、そんなもの構うものか。頭が爆ぜるように痛む。
望みを。
欲望を。
切望し。
渇望し。
研ぎ澄ませろ。
心を震わせ、ただただひたすらに願う。
この風の牢獄は生半可なことでは破れはしない。強者たる竜の気を混ぜて行使された魔術は、非常に強固になる。対抗して風の魔術で止めるにせよ、対魔術式で掻き消すにせよ、そこいらの魔術師が百人束になったとしても敵いはしないだろう。
更には、体へと纏わり付いてくる風にはどうやら魔術構築を阻害する効果もあるらしく、体内魔力の流れが妙におかしい。よく考えたものだ。普通ならばここから抜け出すのは非常に困難であると言わざるを得ない。
そう、普通ならば。
なればこそ。
私は爪を立てるようにして、右腕を横に突き出す。指先に感じる軽い抵抗のあと、ぐっと力を込めると"ぞぶり"とした気味の悪い感触とともに、肘から先が空間へと突き刺さった。右腕は虚空に飲み込まれ、けれどそれによる痛みはなく。目に映らなくなった手を動かし、意識を向ける。
そして探る。神経を研ぎ澄まし、不可視の腕と指先を動かし、確かな道標を。この場所における根幹の『何か』を。
指先がその『何か』に触れ、そして──。
「見つけたッ!!」
口の中に砂が飛び込んでくるのも忘れ、思わず私は叫んだ。『それ』を指先に絡めて、離さぬようしっかりぐっと掴む。こちら側にぐいっと手繰り寄せながら、先程使ったように簡易代償として体内の魔力と若干の血肉を支払い、事象へと干渉する。
祈り。
求め。
乞い。
欲し。
願い。
紡ぎ。
束ね。
想いをただひたすらに純化させ、『力』を使う。
《理の力》。
ある法則に従い、行使者の我儘で一時的に、または恒久的に世界を塗り替える奇跡。
適性がある者が鍛錬を重ねて行使されたそれは、幾ばくかの代償を伴って、容易く世界の法則を捻じ曲げる。
私は体の隅々から余力をかき集め、それを焚き付けにして奇跡を願う。
右手に掴んだ『時流』を離さぬまま、力と思いを練り上げ指向性のある『流れ』に乗せる。優しく、されど力強く。
願いの結晶たる『それ』を確固たる意思で形作る。それがこの世界にとって当然であるかのように。あるがまま、そうあれかしと願われた出来事が、既に確定し帰結した事実であるかのように。
《理》よ。正しきを歪め、歪みを正し、願いを受け止めて為すべきを為せ!
私は《理の力》を行使すべく、ありったけの思いを乗せた力ある言葉として、その口と心でしっかりと《紡いだ》。
【風よ。風よ。風よ。雄々しき颶風よ。疾く逆巻き、静止せよ】
かちり、と何かが嵌る感覚がした。
瞬間。光が溢れた。
腕が差し込まれている空間から金色の光の粉が飛沫のように舞い散り、あっという間に風へと溶けていく。そうしている間にも金色をした粉はどんどんと溢れていく。魔術耐性が高くなっているはずの風にも金の光は難なく混ざり合う。それだけではなく、あたりの空間や地面といったありとあらゆるものにも金色が溶け合い、浸透し、際限なく広がっていって──。
そして、焚き付けられた力を糧にして、世界が塗り変わった。
しん、とした空気が辺りを支配した。さっきまでの様子が嘘だったかのように風は途絶え、空気の動きどころか揺らぎすら感じられない。
空は晴れ渡り、雲一つない。荒野の名に相応しく、大地にはごつごつとした数多の岩が物言わず佇んでいる。そして、先程不規則に飛び回っていた礫や砂は空中に縫い付けられたかのようにぴたりと止まり、数拍置いた後、ぼとぼとっとその場で地に落ちた。
そこには急な停止によって浮かぶはずの穏やかな砂埃の一つさえも、ありはしなかった。
私は油断なく辺りを見回す。周囲には人影どころかなんの気配すらもない。《理の力》の行使とともに飛び込んでくる可能性のある『あいつ』を迎え撃つ体勢の私が鋭い目でひとり、そこにいるだけだった。
そう、ひとり。
ひとり。
……。
…………。
………………。
「……ま、また逃げられたぁ〜…」
締まらない何とも言えぬモヤっとした気持ちを抱きつつ、《理の力》の影響で目と口の端からどろっと血を流しながら、私は盛大にぶっ倒れた。
石片でも当たったのか、がすっ、と後頭部に衝撃が走るが気にしない。というか、それどころではない。
「うおぉ……またしても……うおおぉぉ……っ……」
頭を抱えながら地面をごろごろと転げまわる。新鮮な血が更に地面へと広がる。邪魔にならないようにと頭の後ろでくくった髪が首に当たり、肌に引っ付いた砂粒と擦れる。それに血が絡まり、ネトッとした嫌な感触がする。
うおお、うおぉとひとしきり転げ回ったあと、はぁ…と軽くため息をついて立ちあがった。
「……帰るか……」
埃や砂を落とそうと軽く体を払ったものの、あの暴風のせいで服の内側どころか耳や鼻の穴の中まで汚れきっていることに気付き、またひとつため息をつく。身奇麗にはしたくとも、さりとて疲れ切った体でわざわざ《理の力》を使う気にもなれず、ふと天を仰いだ。
そもそも今使えばまた血を流すだろう。今日はもうたっぷりと流したのだ。流石に勘弁願いたい。
頭上に広がる真っ青な空はどこまでも突き抜けていて、くさくさしていてもしょうがない、と語りかけてくるようでもあった。
しばしの間そうして過ごし、そろそろ近場の街へと向かおうかと思う私の耳に、「またですか、お師さま」という我が弟子の幻聴が聞こえた気がして、もう一度ため息をつく。呆れたような彼女の顔が脳裏に浮かんだ。おそらくこの予想は外れることはないのだろうな、と思う。あの娘はわかりやすいからな。
疲れ切って重たい体をなんとか動かし、私はゆっくりと街を目指して歩き出す。
空は、どこまでも青かった。