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出発

 オレは汚れた雑巾を木の桶に放り込み、綺麗になった宿屋の一室を見渡した。


「これでよし、と」


 開け放った窓からは気持ちの良い風が入ってきている。

 なんだかんだと長く過ごした部屋だが、今日でここともお別れだ。


 気合を入れて掃除したおかげで、室内からはオレが生活していた気配は消えている。

 余計な荷物もないせいか、部屋は妙に広く明るいように見えた。


「……来たときよりも綺麗にして帰る、って誰から習ったんだっけか……?」


 思い出せない。言葉は覚えているけど記憶がない。きっと、これも精霊にあげたんだろう。

 ……まあ、仕方ない。


「さて、そろそろ行くか」


 外套を羽織り、荷物を詰めた鞄を背負う。あとは宿を出るときに鍵と掃除道具を返すだけだ。


 旅装を整え、最後にもう一度室内を見渡した。

 年季の入ったベッドに、小さな丸テーブルと外套掛けくらいしかない狭い部屋。ガタついていた丸テーブルはオレが修理したので、次の客はもう少し快適だと思う。


 ……思う、ので、窓枠についたナイフの小さな傷は見逃してもらいたい。……やったのオレじゃないし。どっかの暗殺者だし。


 まあ、目立たない位置だから誰も気にしないだろう。うん。


 そう自分を納得させて、最後に軽く頭を下げた。


「それじゃあお世話になりました」


 顔を上げる。窓から入る光の眩しさにもう一度目を細めて、オレは部屋を後にした。




 通い慣れた道を進み、いつものように風呂屋の裏手へと顔を出す。


「お、兄ちゃんじゃん」


「おはよう」


 ディーンとリィーンは洗濯物を干している最中だった。

 軽く手を挙げながら近づくと、ディーンはオレの旅装を見て唇をへの字に曲げた。


「兄ちゃんはもう出てくのか。寂しくなるなあ……」


「うん……」


「お前ら……」


 悲しげな2人の表情に胸が痛む。

 どう言葉を続けようかと思っていると、ディーンがオレを見上げてきた。


「兄ちゃんがいないと――肉の差し入れがなくなっちゃうじゃん……」


「お客さんが減るから給料も減る」


 兄弟は息ピッタリに溜息を吐いた。いや、おい。


「……悲しむところが違うよな?」


 ぐりぐりぐりっと、兄弟の頭を乱暴に撫でる。


「うおおぅ、目がまわる~!」


「むうううう……!」


 満足したところで手を離した。ディーンとリィーンはふらつきながら頭を押さえている。

 コイツらは最後までいつも通りだな。


 オレは小さく溜息を吐き、服の内ポケットへと手を伸ばした。


「まあいいよ。ほら、餞別にやるよ」


 ディーンとリィーンにそれぞれコインを投げる。金の輝きが宙を舞った。

 慌ててキャッチしたディーンが驚いたように目を見開く。


「うおおっ! すげえ! 金貨! それも蒼竜帝のやつだ!」


「ディーン兄ちゃん、声大きい」


「むぐ……!」


 リィーンの指摘にディーンは慌てて口を塞ぎ、周囲を確認してから2人揃って素早く金貨を隠した。


 もらっていいの? なんていうオレへの意思確認が全くないあたり、この兄弟は本当にいい性格をしていると思う。


 ちなみに蒼竜帝というのは何代か前の皇帝の異名だ。政治的に良い腕を持っていたらしく、この皇帝の金貨は金の含有量が多くて価値が高い。


「兄ちゃん、どうしたんだよこれ。もらえるならもらっとくけど、こんなの渡されても危ねえよ」


 ディーンは口元を緩めながら眉を顰めるという器用な表情をしている。

 確かに危ないのは事実だ。金貨はその価値以上に危険を呼び寄せることがある。


「だから餞別だよ。もう客としても来れないから、それは好きに使えばいい。……というか、よく金貨の種類まで知ってたな?」


 金貨なんて見る機会はないだろうに。


「へっへっへ。風呂屋の旦那から教えてもらったんだ」


 それは雇用関係が良好そうで何より。安心できる材料だ。


 と、リィーンが困った顔でオレを見上げてきた。


「両替が難しい」


「あっ、そうだぜ兄ちゃん! 俺らが金貨なんて持って行ったらすっげーぼったくられるに決まってるじゃん! 下手すると盗んだと思われて捕まるぜ!」


 普通は金貨で買い物をすることなんてないので、使う場合には両替商に頼むことになる。が、孤児2人が金貨なんて持って来たら、両替商にとっては良いカモだろう。


 まあ、その点はオレも考慮した。


「安心しろよ。両替は情報屋に頼めるように交渉しておいたから」


 あの胡散臭いおっさんにはいくらか金を渡し、孤児の助けをするように依頼した。

 人柄は信用できないが、金と契約に対して情報屋は誠実だ。大丈夫だろう。


「さすが兄ちゃん! 分かってる!」


 ディーンは喜びを露にし、リィーンはほっと息を吐いた。


 この2人への餞別に何を渡すかは迷ったが、幼いながらもこの兄弟は強かで逞しい。急に大金を手に入れても馬鹿なことをしないと確信できる程度には、オレはこの兄弟を信用している。


 他の家族を失った2人に、せめて明るい未来があればいいと思う。


「さて、馬車の時間があるから、オレはそろそろ行くよ。2人とも元気でな」


 用は済んだ。男同士だし、別れはこんなものだろう。

 そう、軽く手を振って立ち去ろうとしたオレを、ディーンが呼び止める。


「兄ちゃんちょっと待って! これ持ってけよ!」


 ディーンとリィーンが2人で抱えてきたのは丸めた布の塊だった。受け取ると、巻かれた布の奥には硬い感触がある。


「中には擦り傷用の軟膏が入ってるぜ。割れないように布で包んだんだ」


「怪我の手当用。布は包帯に使える」


「おう! 俺とリィーンでちゃーんと洗ったからな! 何にでも使えるぜ!」


 ……驚いた。他人に何かを渡せるほど、兄弟の生活は楽じゃないはずだけど……。

 いたずらが成功したようにディーンは笑う。


「兄ちゃんはいっつも怪我してるからな。怪我すんなってのは無理だろうから、リィーンと相談してこれにした。向こうでも気を付けろよ、兄ちゃん」


「ああ……もちろんだよ」


 さっきよりも優しく2人の頭を撫でる。


「ディーンとリィーンこそ気を付けろよ? しばらくは人攫いも出ないだろうけど、ずっと安心できるわけじゃないんだから」


「へっへっへ、俺らの逃げ足を舐めんなって」


「次は大丈夫」


 実際に誘拐されたリィーンは珍しく気合の入った顔をしている。

 ……まあ、2人の体は食生活が改善されたことで順調に成長している。もう少し時間が経てば、肉体も魔力も大人に負けないようになるだろう。


 改めて、初めて会ったときより一回り大きくなった兄弟を見る。うん、まあ、大丈夫か。


 最後に、生意気盛りの頬を引っ張る。


「いへえよ、ひいはん」


「いはい」


 面白い顔になった。


「はははっ!」


 笑って指を放す。揃って頬をさする兄弟を見ながら、重い荷物を背負い直した。うん、こんなもんでいいだろう。


「さて、今度こそ行くよ。じゃあな、ディーン、リィーン」


 軽く手を挙げ、オレは2人から離れるように足を踏み出した。


「おう、またな(・・・)兄ちゃん」


「さようなら。またね(・・・)


 ディーンとリィーンが両手を振ってくる。

 2人に見送られながら、オレは風呂屋の敷地を後にした。


 馬車乗り場へ向かって足を進める。


「またな、か……」


 ぶっちゃけ、この世界で別れた人間と再会するのは非常に難しいと、オレは思っている。

 移動には常に魔物と遭遇する危険があり、町に引き篭もっていたとしても魔物が襲ってくる可能性からは逃れられない。


 それに、オレはこの脆弱な身で冒険者という職業に就いている馬鹿だ。もう何回死にかけたことか。

 危険があるならば、いつかは事故が起きるもの。オレは明日死んでもおかしくない。


 ……なのに、またな、と、また会おうと言われてしまった。オレは誤魔化すつもりだったのに。


 はあ、と息を吐いて空を見上げる。


「死ねない理由が一つ増えちゃったなあ……」


 困った困った、と言いながら撫でた顔は、何故か笑みを浮かべていた。




 馬車乗り場に到着すると、ロゼッタは先に待っていた。


「来たか。おはよう、コーサク」


「うん、おはよう」


 ロゼッタも見慣れた旅装だ。急所と関節だけを守る革鎧に、太ももまで隠す上等な外套。赤みかかった金髪は後ろで一つに結んでいる。

 背負った荷物は大きいように見えるが、中身の大半はロゼッタが持っている全身鎧のはずだ。

 体力自慢のロゼッタと言えど、さすがに旅の最中ずっと金属製の鎧を着ていたりはしない。


 ……鎧を抜きに考えれば、荷物はずいぶんと少ないと思う。ロゼッタは基本的に調理道具なども持っていないのだ。

 一人旅のときは食事も適当らしいので、一緒に来てくれてオレはほっとしている。


 隣に並ぶと、ロゼッタは乗合馬車を視線で示した。


「先ほど御者に確認したが、馬車の出発にはまだ時間があるようだ」


「そうなんだ」


 まあ、早めに来たしな。オレは背負った荷物を地面に下ろした。ふう、肩が軽い。


「ロゼッタは朝ご飯食べた?」


「む? 宿で軽く食べてきたが……?」


 不思議そうなロゼッタの隣で鞄を開ける。その途端に、食欲をそそる香りがふわりと広がった。

 途中の屋台で軽食を買ってきたのだ。小麦粉の皮で具材を包んで蒸した、肉まんに近い料理だ。具材はちょっと洋風。


 2つ買ってきた内の一つをロゼッタに差し出す。


「一つ食べない?」


 ロゼッタは嬉しそうに笑う。


「うむ。ありがたくいただこう」


 2人並んで肉まんモドキを食べる。う~ん、謎の肉とハーブの香り。肉まんだと思って食べると頭が混乱する。


 もぐもぐと口を動かしていると、ロゼッタがこちらを向いた。


「しかし、良かったのか? 護衛の依頼でなら、もう少し安く移動できたと思うが」


「ああ、それね――」


 いつもなら旅費をケチるために馬車の護衛依頼を請けて移動する。だけど今回オレたちは普通の乗客だ。馬車には護衛の冒険者が他にいる。


「――まあ、たまには仕事せずにのんびり移動するのもいいかなって。最近は疲れることばっかりだったし」


「……コーサクが疲れているのは自業自得だろうに」


 じっとりとロゼッタがオレを見てくる。ははは、返す言葉もないです。


 苦笑いで視線を受け流し、肉まんモドキに噛み付いて誤魔化す。


「私が心配しているのは金銭面もだ。幻影王銀狐の報酬もかなり使い込んだとレックスから聞いているぞ。大丈夫なのか?」


 レックスめ。余計なことを。


「まあ、そこは大丈夫だよ。金にはちょっと余裕があるんだ。荷物を減らすために作った魔道具を売ったんだけどさ、これが意外といい金額になったんだ。王狐の素材代と併せれば、ちょっとした小金持ちだよ」


「そうなのか? ならば良いが。……ふむ」


 ロゼッタは何やら考え込んでいる。


「……コーサク、冒険者など止めて魔道具職人になってはどうだ? 私はそちらの方が似合うと思うぞ?」


 それに死ぬ危険もない、というロゼッタの声が聞こえてきそうだった。


「魔道具職人ねえ……」


「む、嫌なのか?」


「嫌じゃないけど。ほら、オレは師匠もいないし、流派とかないからさ。手持ちのいらない魔道具を売るだけでも、けっこう目を付けられたんだよね」


 どこにだって縄張り意識というモノはある。それに、魔道具職人というのは中々プライドが高いらしい。

 まあ、どこから来たかも分からない余所者が無遠慮に参入してきたら、誰だって嫌な気持ちの一つや二つ持つだろう。


「だから、ちょっと面倒だなあって感じかな」


 仕方がない話だ。この世界では、オレはどこに行っても異邦人。簡単に受け入れてもらえる存在じゃない。

 安全なはずの宿屋で刺されるよりは、敵意の分かり易い魔物を相手にした方がマシというものだ。


 オレの弱音を、ロゼッタは真っ直ぐに受け止める。


「そうか……しかし、これから向かう自由貿易都市が同じとは限らないだろう。選択肢の一つにしても良いのではないか?」


 綺麗な空色の瞳は、いつも真っすぐで眩しい。


「ま、そうだね。考えておくよ」


「うむ」


 会話が途切れる。黙って肉まんモドキの残りを口にして……強い魔力を感じた。


「ん、レックスだ」


 ロゼッタが雑踏に目を細める。


「そのようだな。……しかし、あの恰好はどこでも目立つな」


「そうだねえ」


 視界の先で人波が割れる。姿を見せたのは、いつも通りに全身真っ赤のレックスだ。周囲の視線も気にせず、オレたちに向かって手を挙げる。


「よう2人とも。それ(・・)はオレの分ねえのかよ」


 レックスがオレの食い掛けの肉まんモドキを指さした。ちなみにロゼッタはもう食べ終わっている。速い。


「悪いね。レックスの分は買ってなかったよ。これ好物だった?」


 くくっ、とレックスが笑う。


「そこまでじゃあねえが、人が食ってるのを見ると食いたくなるな」


 そりゃ悪いことをした。


「次はレックスの分も買っておくよ」


 次、だ。いつかは知らないけど。


「うむ。そのときには私が奢ろう。今回は食べるだけたったのでな」


「言ったな? 酒もつけろよ、ロゼッタ」


「ふむ、いいだろう」


 純粋に、楽しそうにレックスは笑った。


「そんじゃあ次の奢りを楽しみにしてるぜ」


 そう言って片手を挙げ、レックスは踵を返す……。


「って、もう行くの?!」


 あっさりすぎない?!


 レックスが顔だけで振り返る。いつもの野性味のある笑みが浮かんでいた。


「これから狩りだ。魔境に行って、ちょっくら森のヌシと殴り合ってくる」


 森の主と殴り合うのは“ちょっくら”って用事じゃないと思う。


「くくく、じゃあなコーサク、ロゼッタ。どっかでまた会おうぜ」


 まるでいつもの飲み会の後のように気軽に言って、赤くて強くて変人なオレの友人は、振り返ることなく去って行った。


「あっさりだなあ……」


「ふふふ、レックスらしい別れだ」


 ロゼッタと顔を見合わせて少し笑った。


「そういえば、次にレックスに会ったら何を奢ろうか。自由貿易都市の名産って何だろ?」


「ふむ……やはり大河が近いのだから魚ではないか?」


「ああ~、確かにねえ。魚料理かあ……」


 まだ見ぬ土地について、2人で他愛ない話を繰り広げる。

 そうしている内に、乗合馬車が出発する時間がやって来た。


「準備が出来たようだな。行くとしよう」


「そうだね」


 最後に後ろを振り返る。実用的な守りの石壁に囲まれた、歴史ある矜持と野心の国の首都。

 諸手を挙げて好きとは言えないが、それなりに気に入った都市だった。


「うん」


 前を向く。次の土地へ行くための馬車が出発を待っている。


 馴染んだ土地を離れる不安と別れの寂しさはある。だけど、それと同程度の期待と興奮が胸にあった。


 オレは意外と好奇心が旺盛だったようだ。


「……冒険者も性格には合ってたかもな」


 自分にだけ聞こえるように呟いて、オレは一歩踏み出した。


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