爆弾魔
血に濡れる。
襲ってくる者の魔力を暴走させた。湿った破裂音が響く。
逃げようとする者の魔力を暴走させた。肉と血が弾けて染みになる。
レックスは誰一人逃がさないように走り回っている。視界の先で首が飛んだ。
恫喝も命乞いも全て切り捨てて、赤い水溜まりを踏みしめて進む。
目指すのはアジトの最奥、組織のトップがいる場所だ。
血の匂いを引き摺って、オレは敵を殺すために歩いた。
精緻な模様が彫られた扉を、血の染みた靴で蹴り開ける。
視界が広がった瞬間に、刃が二振り煌めいた。敵は2人。余計な脅しもなく、ただオレを殺すための最短距離だった。
だが、それでもレックスにとっては遅すぎた。
「くはっ」
一閃。白い斬線が空を走る。敵の剣が根元から切断され、力なく落下した。
「なっ!」
「……っ!?」
敵は息を飲み、慌てたように後退した。
ようやく部屋の中が良く見える。
扉の真正面には暗褐色の重厚な机。蛇のように細い顔の、冷酷な目をした男が座っていた。
たった今切りかかって来た2人は、正面の男を守るように両側に立っている。護衛のようだ。
室内には3人。だが、床下と壁の向こうには魔力の反応があった。伏兵。見かけだけの戦力ではない。
「まさか、たった2人で乗り込んで来る奴がいるとはな」
蛇のような男が、細長い指先で頬を撫でながら言った。最奥部まで踏み込まれてなお、焦りの様子は見えない。
「よくもこれだけ暴れてくれたものだ。いったい俺達に何の恨みがある?」
恨み。鞄の奥に仕舞った黒い魔核が鼓動したような気がした。
これまでどれだけの子供たちが世界を呪うように死んでいったのか。そして、これからどれほどの子供たちに後を追わせるつもりだったのか。
その非道を責めるには、千の言葉でも足りはしない。
会話をするつもりは、もはやなかった。
「床下に4人、壁に隠れて6人、天井に2人……」
男の頬がピクリと動いた。構わず“干渉の腕”を飛ばす。人体の限界を超えるよう、魔力を掻き混ぜる。
……自分の魔力で死ね。
ドシャッ、と重い音が部屋にいくつも響いた。
男の会話は時間稼ぎ。オレが会話に乗っていれば、壁の向こうから魔術が飛んできていたはずだ。
「てめえ、何をした……!」
蛇顔の男が初めて顔に怒りを浮かべる。部下の2人は新しい剣を取り出した。
「レックス」
「なんだ?」
「あの2人は任せた。好きにしてくれ」
「く、はははっ! ありがとよお!!」
レックスが消えた。次の瞬間には部下の男の腹を蹴り飛ばしている。吹き飛んだ男は壁に激突――しなかった。
部屋の壁が賽の目に刻まれて崩壊する。部下の男は瓦礫にまみれて外へと放り出された。
「ははははは!!」
残った部下の男も、抵抗する暇もなく一瞬で外へと投げ飛ばされる。
レックスは笑い声を上げながら、男2人を追い掛けて部屋の外へと飛び出した。
室内で生きているのは、オレと蛇顔の男の2人だけ。
「……おい、お前。望みはなんだ?」
蛇男の目がギラギラと光っている。必死に頭を回しているのが手に取るように分かった。
「お前たちの強さは良く分かった。俺の用心棒になってくれるなら、金は言い値で出す」
男に近付く。毛足の長い絨毯に、血の足跡ができていった。
「分かってんのか? 帝都の裏に手を出したんだ。これから先は夜も眠れねえ暮らしになる。俺の部下になれ。そうすれば取り成してやる。金も女も思いのままだぞ」
くだらない。なんの魅力もない提案だった。
「おい、聞いてんのか! 俺を殺してみろ! 取引する貴族も黙っちゃいねえぞ!!」
最後の言葉には反応せざるを得なかった。
「貴族か……」
解体用のナイフを抜き、ドッ、と机に突き立てた。
至近距離で腐った目を覗き込む。
「死にたくないならその貴族の名前を教えろ。こんなふざけた犯罪に手を貸す奴は誰だ」
攫った孤児の魔核を使った呪具。買うのは貴族だと言っていた。同じ貴族で争うために、罪のない子供を犠牲にする奴がいる。
それは誰だ。
「ふ、は……、おいおい、言えるわけねえだろ。……貴族相手の取引だぞ。喋ったら俺が死ぬ」
蛇顔の男は引き攣ったように顔を歪めた。
「そうか……」
急速に男に対する興味が薄れる。話さないならいい。書類でも漁って調べるだけだ。
干渉の腕で男に触れる。
「おい……おい! 本気かお前!? ここで俺を殺したらまともな死に方もできねえぞ! 考え直せ! 人攫いが気に食わねえならもう手は出さねえ!」
男は文字通り必死な様子だ。だがその様子には心がピクリとも動かなかった。
「なあ、子供たちは死んだのに、テメエが生きていて良い道理はあるか?」
口にした瞬間に、押さえていた怒りが溢れ出した。強烈な感情が体を震わせる。
「ないな。ねえ、ねえよ。あり得ねえ。テメエは子供たちを殺して、オレの仲間を同じように殺そうとした。今さら『もう止める』なんて言葉に意味があるかよ。テメエの反省する演技なんてどうでもいい。――せめて黙って死ね」
「くそったれっ!!」
蛇顔の男が抵抗の意思を見せる。
だが、オレの方が速かった。男の魔力が暴れ出す。
「ごふっ、が……っ!?」
一歩、二歩、男から離れる。三歩目を踏むと同時に、許容限界を超えた魔力が男の体を内側から破裂させた。
赤い血に濡れる。乾き始めた返り血の上に、新たな飛沫がこびり付いた。
沸騰するような怒りが薄れ、精霊たちが離れていく。それでも心が晴れたりはしない。
馬鹿みたいに自分を傷付けて、クソみたいな敵を殺しただけだ。最低最悪の気分でしかない。
部屋に漂う悪臭に、さらに胸が悪くなる。
「……レックスを拾いに行くか」
目的は達した。このアジトの中に、生きている敵の魔力は一つもない。
ディーンたちは無事だ。オレは守りたいモノを守った。
血に濡れた両手を見る。誰かを守るためには、害する敵を殺さなくてはならない。
それが世界の真理の一つだと、そうオレは思った。
レックスと合流し、ディーンたちが待つ地下へと向かう。
あまりにも体が血だらけなので、途中でレックスに魔術で水を出してもらって血を落とした。
レックスは”斬”属性以外の適性は低いらしいが、魔力のゴリ押しで人並み以上に魔術を使える。
かなり羨ましい。オレも一つくらいは魔術適性が欲しかった。まあ、魔核がないから、どうせ使えないと思うが。
「魔核、か……。レックス、死んだ人間の魔核は普通、墓に入れられるよな」
「そりゃあな。まともな神経をしてる奴は、人の魔核なんて使おうとも思わねえよ」
珍しくレックスが嫌悪感を顔に出した。それほどに人の魔核に手を出すのは禁忌なのだろう。
当たり前か。地球の文化でだって、人の死体を利用するのは狂人だけだ。
死骸に手を出したのは、生きる余裕のない時代くらいだろう。
それを考えれば、今この世界は平和なのかもしれない。
魔物によって人が住める領域は狭いが、魔物という脅威が存在するおかげで人同士の争いは少ない。
ただそれでも、必ず存在する悲劇が辛い。相対的に平和だとして、それが親しい人を亡くした者にとってどう救いになるのか。
「難しいな……あ?」
「何か来たな」
アジトに近付く魔力反応。人間のようだ。ガシャガシャと鎧の足音が聞こえる。
オレとレックスは静かに外を窺った。
アジトの正面に、規則正しく動く鎧の集団がいる。見覚えのある姿だ。
「我らは皇帝陛下より帝都の守りを仰せつかった秩序の守り手である!! 中にいる者は今すぐに投降せよ!!」
羽飾りのついた鎧の男が声を張り上げた。オレとレックスは顔を見合わせる。
今さら衛兵が来たようだ。
結論から言うと普通に捕まって、すぐに釈放されることになった。
帝国でも殺人は普通に犯罪だ。ただ、盗賊や人攫いなどは殺しても罪に問われない。
自分と同胞を守るために剣を持つのは誰にでも許された権利だと、法律に書かれているからだ。
ただ、組織と取引していた貴族に手を回される心配はあった。権力者にかかれば、国民ですらない平民の一人くらい、有罪にするのは簡単なものだ。
まあ、結果的には杞憂だったようだが。
漏れ聞いた話だと、冒険者ギルドから不法な勾留をしないようにと圧力もあったようだ。
銀級になっておいて良かったと思う。幻影王銀狐には感謝だ。
ああ、衛兵が組織のアジトまでやって来たのは、風呂屋の店主が通報したかららしい。
リィーンの訴えだけでは動かなかった衛兵だが、しっかりと税を納める店主の話は真面目に聞いたようだ。
捜査を始めたところで、帝都の一角から立ち昇る土煙を発見したということだった。
レックスが屋敷を盛大に壊した影響だ。オレは近すぎて気にしなかったが、破壊の音や怒号が周囲にも響き渡っていたことだろう。
そして最後に、子供たちは全員無事だ。青い顔をした衛兵たちが全員に目を閉じさせて運び出したので、悲惨な光景も見ていない。
子供たちは温かい食事を渡され、何人かは衛兵とその知り合いに引き取られることになった。
残りの子供たちの働き先についても手伝ってくれるらしい。これまでの誘拐を防げなかった罪滅ぼしだと、純情そうな隊長が言っていた。
他の衛兵たちも気の毒そうな顔で賛成していた。
……普段はスリを行う孤児を捕える彼らが深く同情するほどに、アジトの地下は地獄のような有様だったそうだ。
小さな骨が墓にも入れられずに転がり、最下層では死霊として闇を彷徨うモノまでいたらしい。
しばらくは夢に見そうだ、と若い衛兵が呟く声も聞いた。
組織のアジトはこれから壊され、地下は火で清められるらしい。
せめて安らかな眠りがありますように。
ディーンを風呂屋に送り、泣きながらリィーンと抱き合う様子を見届けてから、オレは情報屋へと足を向けた。
レックスとは既に分かれている。あの戦闘狂の友人は、しばらく治安の悪い場所で過ごすつもりらしい。
自分を“餌”に残党を釣るつもりなのだ。高笑いするレックスに一方的に殺される残党には少し同情……いや、しないな。別に。
人を害する者は、人に害される。当たり前のことだ。
まあ、逆恨みでも該当するのが面倒な理屈だが。
そう思いながら、オレは魔道具を起動した。“魔力の腕”が薄暗い路地へと飛んでいく。
「なんだコイツは!? ぐあっ!!」
戻ってきた腕は、薄汚れた男を握り締めていた。手には紫色の液体が滴るナイフがある。
オレを狙った刺客だ。潰した“双頭蛇”の関係者だろう。
「な、なんで気付いた!?」
魔力でバレバレだ。余程油断している状況でもない限り、オレに不意打ちは効かない。
「た、助け――」
ゴキリと骨が鳴り、男は静かになった。路地裏に放り投げて再び歩き出す。
しばらくは面倒そうだ。
情報屋のボロい扉を潜る。中はいつも通り薄暗い。
「よう、無事に生きてたみたいだなあ。金は持って来たか?」
冒険者ギルドから引き出して来た金を机に載せる。重みで机の脚が軋んだ。
「ふん? 情報代より多くあるみてえだな」
「新しい情報の金だ。“双頭蛇”の後ろにいた貴族を教えて欲しい」
人身売買と呪具に関わった貴族。アジトでは結局、有力な手掛かりを手に入れることができなかった。
オレはその貴族に用がある。
「そんな危ない情報には、ちいとばかし金が足りねえなあ」
飄々とした顔の情報屋の前に、小さな革袋を掲げてみせる。
「なんだ――?」
「呪具が5つ。元は孤児だったモノだ。今は封印しているが、さっさと情報を吐かないならこの場でぶちまける」
さすがの情報屋も顔を歪めた。
「お前さん、頭がぶっ飛び始めたな……」
「知ってる。返答は?」
情報屋は嫌そうに肩をすくめた。
「わあったよ。死んだチビどもに免じて今日は負けてやる」
ゴソゴソと情報屋が地図を取り出す。帝都周辺のものだ。
オレは“双頭蛇”と繋がっていた貴族の名と、行動の予定を聞いた。件の貴族は、明日にでも帝都から離れる予定のようだ。
捜査の手が及ぶ前に逃げるつもりなのか、それとも別な用事か。真相はどちらでも良かった。
ただ、移動するルートが分かればいい。
金を渡し、担保に渡した“悪魔の宝玉”を受け取って、オレは情報屋に背を向けた。
急ぐ必要がある。
予定を頭の中で組みながら、オレは崩れそうな扉へと手を掛けた。
「――じゃあな“爆弾魔”。せいぜい背中には気を付けろよ」
ピタリと足が止まった。
「なんだって……?」
振り返った先では、情報屋が薄闇の中で笑っていた。嘲笑うような憐れむような笑みだった。
「綽名だよ、綽名。お前さんのな。人の噂は速いからなあ、誰が呼んだかは知らねえが、もう広まってるぜ。魔物も人も全て吹き飛ばしちまう“爆弾魔”ってな。お前さんにはぴったりな名前だな」
綽名。有名な冒険者には勝手に付く2つ目の名前。レックスの『斬鬼』のように、その人物の特徴から名付けられる。
オレの綽名が……爆弾魔か。
口の中で転がして、無言で外へと出る。
少し前まで視界を染めた赤色とは対称的な、透き通るような青色が目に入った。
爆弾魔。魔物も人も区別なく爆破する。オレに付いた綽名は蔑称だ。
「……っは、ちょうどいいだろ」
正義であるつもりはない。オレは自分のエゴのために、敵と見なしたモノを破壊する。




