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強さの対価

 蜘蛛を殴り、踏みつけ、投げ飛ばす。地面は蜘蛛の体液でぬかるむほどだった。


 それでも蜘蛛の数は減らない。それどころか同族の死体を食いに来る奴すらいる。それなら穴ん中で共食いしてろよ。


 怒りを籠めて蜘蛛の死体を投擲する。命中。ぐしゃりと湿った音が届く。


「っはあ、頭が重い!」


 体感的にはもう5分が近い。魔力の流れを整えたおかげか肉体的には余裕があった。

 だけど脳ミソが駄目だ。頭痛が酷い。


 頭の中が茹だってしまい、さっき急いで冷却の魔術式を作ったくらいだ。


 新発見。全力で『武器庫』を稼働すると脳にクる。けっこう限界。そう思ったときに、ロゼッタが前へと出てきた。


「――――『地の精霊よ。守りの壁をこの地に』


 ロゼッタから大量の魔力が放射される。同時に地面が鼓動した。魔力が地中に吸収されていく。


 初めて見る規模の魔術だった。


 ゴゴゴンッ!! と地面が噴き出す。間欠泉のような勢いで土の壁が天を突いた。


「うおおおおっ!?」


 体感震度5強。バランスを取るために低くした視界の中で、戦場を包むように長大な壁がせり上がっていく。

 緩く弧を描く、半ドーム状の土の壁だった。


 ロゼッタが仁王立ちしている場所だけには亀裂がある。まるでそこがただ一つの出入り口のように。


 壁の生成に巻き込まれた蜘蛛が、十数メートルの高さから落下してきた。地面に叩き付けられ、無残に潰れる。


 ロゼッタは土に塗れた額から汗を拭った。


「……ふう、久しぶりだが上手く行ったようだ。長大さもそうだが、この魔術は強度と魔物が登れないような滑らかさを両立するのが難しくてな」


 一人でとんでもない規模の魔術を使ったロゼッタに、オレは唖然とするしかない。


「数日は崩壊しない強度で作った。後は、この場で蜘蛛たちを切り伏せてゆくだけだ。コーサクはしばらく休んでいるといい」


 ロゼッタが剣を振る。


 壁に開いた隙間はそう広くはない。蜘蛛は数匹ずつしか通れないだろう。ロゼッタは延々とその場で戦い続けるつもりらしい。


 持っていたはずの膨大な魔力は半減しているのに。


「ふふ、心配しなくとも問題はない。移動しなくて良いなら魔力の消耗はわずかだ」


 ロゼッタが言葉通り、ほとんど動かずに蜘蛛を切り捨てる。


 オレはその頼もしい姿に安心し、ロゼッタの後ろで『武器庫』の稼働を止めた。


「あ、やば……」


 のしかかってくる体の重さ。激しく痛む脳。


 負荷を遮断するために、体が強制的に意識を落とし始める。


 倒れ込んだ土の感触までは、記憶にあった。




 暗闇から意識が戻る。目を開ければ、空は薄く赤に染まっていた。背中が冷たい。


「お、起きた! 大丈夫か!?」


 目の前には若い男性。見覚えのある村人だ。


 状況が分からないまま立ち上がろうとして――


「う、おえ……気持ち悪……」


 あまりの頭痛と悪寒に両手を着いた。浅く呼吸して、胃からせり上がって来たものを無理やり飲み込んだ。


 そこまでしてようやく記憶が戻ってくる。『武器庫』で脳を酷使し過ぎた後遺症のようだ。


「っ、ロゼッタは……!?」


 ばっ、と顔を上げる。


 オレがいる場所は変わっていなかった。巨大な土の壁は健在で、変わらず剣を振るロゼッタの背中が見える。


 ただ、ロゼッタの向こうに見える景色は地獄のようだった。


 一面真っ黒だ。先の景色が見えないほどに、大量の蜘蛛が蠢いている。


「す、少し前にでっかい揺れがあって……そこからさらに蜘蛛が増えたんだ。こ、こっちの状況を見に来たとき、お、俺はアンタを連れてくようにあの人に言われて……」


 カチカチと歯を鳴らしながら、若い村人が教えてくれた。

 純朴な瞳は、今は恐怖しか映していない。当たり前だった。魔物に生きたまま食われて死ぬなんて、想像できる中でも最低の死に方だ。怖いに決まってる。


 オレも怖い。蜘蛛のあの口だかハサミだか分からない部位で体を噛み千切られると思うと、全身が震える。

 ……ロゼッタも、怖いはずだ。


「ロゼッタ……!!」


 叫ぼうとした声は掠れていた。


 それでも届いたようだ。ロゼッタが一瞬だけ振り返る。強い意思を秘めた空色の瞳と目が合った。


 再び前を向き、ロゼッタは蜘蛛を切り捨てながらオレに話しかけてくる。

 不快な蜘蛛の騒めきの中でも、ロゼッタの声は鮮明に聞こえた。


「起きたかコーサク。村で少し体を休めたら、近くの町のギルド支部まで行ってくれ。初めより状況が変わっている。正しい情報を伝えるのは冒険者の義務だ。ああ、私なら大丈夫だ。この程度で音を上げるほど柔ではない」


 明らかな嘘だった。


 戦い始めて12時間近く。ロゼッタは丸2日戦えると豪語していたが、それは単独で大魔術を使い、息をつく暇もなく戦い続ける想定ではないはずだ。


 現に、ロゼッタの魔力はかなり減っている。


 そしてオレに冒険者ギルドに報告に行けと――つまり避難しろと言っている。


「お、俺たちも、村の若いのは、に、逃がすつもりだ。アンタも一緒に行こう……!」


 オレの腕を取ってくる名も知らぬ若い村人を、力の入らない体で振り解く。


「すみませんが、先に行ってください。オレにはまだ、やることがある」


「あ、ああ……分かった……っすまん!」


 村人が走り去る。


 ああ、考えろ、オレ。


 どうにか村人とロゼッタを守る方法を。


 ……ロゼッタに村を囲む壁を作ってもらって蜘蛛をやり過ごす。……駄目だ。ロゼッタの魔力に余裕はない。

 それに村人が無事だとしても、素通りした蜘蛛は次の町に行くだけだ。近くの町にはほとんど冒険者もいないと村長が言っていた。

 下手をすると町一つがなくなる。


 ……死ぬ数は、むしろ増える。


「オレが、ロゼッタと一緒に蜘蛛を狩る……」


 これも無理だった。体は全く回復していない。立ち上がるのがやっとの状態だ。酷い風邪のように悪寒が走り、頭は視界が歪むほどに痛む。


 ……たぶん、身体強化は使った瞬間に気絶する。『武器庫』との接続も同じだ。


 手札は爆弾のみ。ゴーレム戦で使って残り10発。……蜘蛛の数を考えれば雀の涙でしかない。


「……っ」


 ギリ、と歯を噛み締めたとき、グラリと体が揺れた。


 ……いや、違う。揺れたのはオレの体じゃなく地面だ。


 山の方角で地鳴りのような音。少し遅れて獣の鳴き声。――さらに遅れて、魔力の感知範囲に新たな魔物の大群。


 ……いったいこの周囲の地下と生態はどうなっているのか、さらに蜘蛛が現れたらしい。


「……ああ~、クッソ……」


 脳を叩く大量の魔力反応に、額を手で押さえる。


 頭が沸騰するほど怒りが湧いた。


 簡単に覆る平穏に。理不尽な状況に。煩い蜘蛛どもに。――弱い自分に。


「くっそ、オレは何のために……!」


 強くなりたいと思った。強くなれていると思った。前に進めるていると、そう思っていた。


 それなのに――今のオレは、どうしようもなく弱い……!!


 あの日から、何一つ変わってない!


「っああ゛クソ!!」


 力が欲しい。人を守れる力が。目の前の敵を、殺し尽くす強さが欲しい。


 守るために、全てを壊せる力が!!


『――――』


「な、んだ……?」


 声が聞こえた。すぐ近くで。音ではなく意思が聞こえる。


 ――対価を寄越せば、力をやろうと耳元で何かが囁く。


 躊躇う理由なんて、ありはしなかった。


「オレに渡せるものなら持ってけよ――」


 言った瞬間に、脳に何かが滑り込んだ。オレの心に触れる何か。歓喜するように魔力が踊る。


 オレはこの世界に来て初めて、“精霊”という存在を知覚した。


「――!?」


 精霊がオレから対価を引き抜いていく。地球(あっち)で過ごした記憶が走馬灯のように目の前を通り――次の瞬間には思い出すこともできなくなった。


 笑った記憶、泣いた思い出、怒った出来事、悲しい痛み。全てが一瞬浮かび、そして指先から零れる砂のように消えていく。


 何を失ったのかさえ、一瞬後のオレには理解できなかった。ただ、心に穴だけが開いていく。


 自分を構成していたモノ(記憶)が削られていく感触に、恐怖と寒さで歯が鳴った。


 カチカチと音を立てる歯を、無理やりに噛み締める。頬を吊り上げ、歪でも笑ってみせた。


 虚勢。それでもいい。取返しのつかない対価だとしても構わない。


「未来より大事な“過去(記憶)”なんかあるかよ……!」


 理由も分からず浮かぶ涙を拭い去り、オレは一歩前へ踏み出した。


 走馬灯が消える。周囲では精霊が踊っていた。


 失った記憶の代わりに得たのは“精霊の加護”。生きた魔力である精霊たちが、束の間だけオレに力を貸してくれる。


 どうすればいいのかは、自然と理解できた。


 魔力に意識を澄ます。察知する能力とは別の、“干渉”の力を呼び出す。


 小型の下級魔物を狩るためにしか使えない、小さな干渉の“手”。


 その“手”が今、巨大な“腕”となって現れる。オレだけに見える幻想の巨腕。精霊によって強化された干渉の力を、オレはロゼッタを越えて蜘蛛へと叩き付けた。


 蜘蛛の魔力が暴走を始める。許容値を超えた魔力は体内で荒れ狂い――蜘蛛を内側から破裂させた。


「何事だ!?」


 驚愕の声を出すロゼッタに並ぶ。


「ロゼッタ。今いる蜘蛛は全部オレが殺すから。その後は頼んだ」


「コーサク……?」


 ロゼッタを追い越す。近づく蜘蛛は全て破裂させる。濁った爆発が連続した。


 “干渉の腕”を広げる。魔力そのものである精霊が力を貸してくれる今、限界など存在しなかった。


 意思一つで幾本もの“腕”が舞う。


 その度に蜘蛛が弾けた。


「全部、爆ぜろ」


 魔力を引き抜き、捻じ込み、生き物としての形を壊す。


 後ろにあるモノを守るために、オレは目の前のモノ全てを壊し尽くす。


 動く蜘蛛がいなくなり、精霊の加護が切れるまで、オレはただ一人で立ち続けた。


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