治癒師
目蓋に感じる光の眩しさ、鼻を突く薬の匂い、それから柔らかな布の手触り。外からの刺激を知覚して、オレはふっと目を開けた。
視界には、木目の浮かんだ板張りの天井が見える。
「………………オレ、生きてるわ」
掠れた声が出た。はあ、と息を吐くと体が痛い。痛いってことは生きてる証だ。
周囲を見渡せば、オレがいるのは六畳ほどの個室だった。左にある窓から射す日光が、薄いカーテン越しに室内を照らしている。太陽の位置からすると昼のようだ。
病院の一室らしい。いや、この世界の呼び方だと違ったっけ……まあ、いいか。役割は同じだし。
室内を確認して体の力を抜く。
「ええと……あの後どうなったんだっけ?」
最後にある記憶は首のない王狐の下敷きになった痛みだ。そこから先は思い出せない。たぶん気を失ったんだろう。
あの狐、昔動物園で見たライオンの倍くらいあったんだけど、潰されてよく無事だったな。満身創痍だったから、本当に死んだかと思った。
「いや、死んでないだけで、体はけっこうボロボロか……」
首から足の先まで満遍なく痛い。筋肉痛を最大限悪化させたみたいな……肉離れってなったことないんだけど、もしかして初体験だろうか。特に脚が酷い。痛い。
ただ、痛みを我慢すれば動かせはする。無理をすれば歩けるだろう。
「腕……は、やっぱり左腕が折れてるなあ」
目が覚めたときから重いなあ、と思っていたが、左腕の肘から先は木の板で固定されていた。
年季の入った板二枚でサンドイッチ状態。固定している包帯の隙間から見える肌は赤く腫れていた。うん、意識すると痛い。というか熱い?
患部を見続けていると言いようのない不安が襲って来たので、左腕から視線と意識を逸らすことにした。右腕を確認しよう。
「右は動くな。良かった……」
両腕が駄目だったらどうしようかと思った。
左腕とは違い、こっちは骨折じゃなくて肩が外れただけだったようだ。ちゃんと骨を嵌めてもらえたのか、痛みはするが、指先まで無事に動かせる。
「とりあえず、命を張った割に無事、かな? 他の人達はどうだろ……」
オレが王狐と戦っていた時点で怪我人は出ていた。詳しく周りを見る余裕もなかったけど、みんな無事だろうか。
「誰も死んでないといいな……」
たぶん結果はもう出ている。それでも全員の無事を祈りたい気分だった。
……オレはこの世界で、いったい誰に祈ればいいのか分からないけど。
「さすがに地球の神様に祈っても意味ないよな。この世界だと精霊でいいのかな……? みんなが無事でありますように、と」
祈るだけで結果が変わったら苦労はしないけど。まあ、祈るのはタダだ。あとはこの世界の人達の頑丈さを信じよう。
ところで、今日は王狐との戦いが終わった翌日、でいいんだろうか。
さすがに何日も寝ていたら怖い。と、そんなことを考えていると、部屋の扉がガチャリと開いた。
入って来たのは優しい顔をした中年の男性だった。たぶん治癒師の先生だろう。
その先生がオレの顔を見て、おや、というように驚いた顔をする。
「目が覚めたみたいだね。ははは、良かった。もう二度と起きないかと思ってたよ」
開口一番凄まじい台詞だった。
「オレ、そんな生死の境にいたんですか!?」
先生への質問が思わず大声になった。声を張ったせいで背中と胸と脇腹が痛む。やべ、色んなとこが攣りそう。落ち着けオレ。
慌てて呼吸を整えている間に、先生がベッドの隣まで来た。そのまま胸部に手を当てられる。
「う~ん、怪我の程度は別にそこまで酷くはなかったんだけどねえ。……なんで君、魔力がないのに生きてるの? 私もこの仕事長いけど、魔核がない生き物なんて初めて見たよ。実は死んでたりしない?」
……なるほど。この世界の生き物には魔力が必須だ。魔力がないと死ぬ。つまりオレは普通の状態で死んでるのと同じなのか。
地球で考えると脈がないのに生きてるみたいな感じだよな。……ゾンビかよ、オレ。
「ええと、そういう体質だと思うので、気にしないでください」
違う世界から来ました、なんて説明できない。オレも何でこの世界にいるのか知らないし。
「ふうん? 体質で生き物の限界を越えられても困るんだけどねえ」
そりゃそうだ。
「ま、現物が目の前にあるんだから受け入れるしかないね。それじゃあ治療を始めようか」
切り替えが早いな。この先生。
「え、はい。よろしくお願いします……ってその前に! すみません、王狐の討伐に参加した他の人達って無事ですか?」
「他の人達? 君と一緒に運ばれて来た患者なら、もう治療も終わったから帰ったよ?」
退院済み!? はやっ!! 血だらけの人とかいなかった!?
「え、ええと、亡くなった人は?」
「今回の戦いで死者はいないって聞いてるね。うちで死んだ患者もいないよ。ああ、そういえば、その件でなんか冒険者ギルドの職員が君に会いたいって言ってたよ」
「そう、ですか……」
ほう、と安堵の息を吐く。
死者はゼロ。負傷者も治療済み。みんな無事。オレの無謀な行動は、無意味ではなかったらしい。
それならこの体の痛みなんて、対価としては軽いくらいだ。本当に良かった。
「ありがとうございます。ところでもう一つだけ、今日って王狐の討伐から何日経ってますか?」
「もうすぐ丸2日ってところだね」
「オレ、2日間も寝てたんですか」
この体の重さはそのせいもあるんだろうか。というか、オレ以外全員2日で退院したって凄くない?
「質問は終わりかな? 治療を始めてもいいかい?」
「あ、はい。どうもありがとうございました」
……普通に返事をしたけど、左腕に添え木までされた今の状態って、治療終わってるんじゃないだろうか。
これから何すんの?
「たぶん痛いけど、我慢してね」
「え?」
「ん?」
袖を捲った先生と目が合う。……嫌な予感がする。
「ええと、一応どんなことをするのか聞いてもいいですか?」
説明をお願いします。ぜひ。
「ん~、やることは普通の治療なんだけどねえ」
「普通とは?」
この世界でデカい怪我をするのは初めてだから、治癒の常識なんて知らない。
「ふん? 患者の魔力を操作することで身体を活性化させて、傷の治りを速めるっていう普通の治癒術だよ。冒険者でも同じような方法で応急手当くらいはするでしょ?」
「ええと、魔力の譲渡による初歩的な治療なら分かります」
治癒術の初歩の初歩で、魔力を分け与えることで相手の体を回復させる方法がある。それなら前にロゼッタにやってもらった。
「似たようなものだよ。魔力を分け与えつつ、本人の魔力にも干渉して身体を癒すのが治癒師の使う治癒術。当たり前だけど、その人自身の魔力が身体には一番馴染むからねえ」
「そうなんですか。なるほど。……って、あれ? オレ魔力ないですけど?」
「うん。だから、治癒術には私の魔力だけ使うことになるね。身体に合わない魔力だから、たぶんかなり痛いと思うけど、頑張って耐えてね」
あっさりと言われた言葉に頬が引き攣る。
「あの、自然治癒に任せるとかは……」
「他の患者を入れられなくなっちゃうから、そうしたいなら出て行ってもらうよ?」
さすが魔力でみんな頑丈な世界、怪我だと入院って概念もねえのか。
ロクに体が動かない状態で放り出されても困る。
「せ、せめて薬で痛みの感覚を鈍らせるとかは……」
「麻酔なんて良く知ってるね。でも使えないよ。魔力のない人間を治療するのは私も初めてだからね。痛みの感覚を聞きながらじゃないと、怖くてとてもできない」
……ド正論。痛みは身体のヤバさを伝える感覚だ。麻酔して治癒術を使った結果、異常に気付けなかったではオレが困る。
「ぐっ、分かりました。このままでお願いします……」
この先生の腕は不明だが、冒険者ギルドと関わりがあるならヤブ医者ってことはないはず。
頑張って耐えよう……。
「お願いされるよ。気絶するくらい痛かったら言ってね」
……気絶するくらい痛かったら気絶してるから、そのときは話せないのでは?




