幻影王銀狐
走る。戦場から数メートル上空。王狐の本体はじっとオレを見ている。面白い動きをする生き物を観賞するように。脅威を感じている様子もない。
「食らえ『防壁:槍』」
左手を基点に魔力の槍を生成。落下の勢いのままに、王狐の鼻先目掛けて叩き付ける!
強化された腕力と落下速度の威力が乗る槍。風を貫き進むそれを、王狐は一歩後退することで軽々と避けた。
空いた空間に、オレは地面を削りながら着地する。
前方、手が届きそうな至近に銀毛の化け物。そして後方には、未だ起きる気配のない年少の冒険者。
狙い通りだ。あわよくば一撃当てたかったけど!
思い切り息を吸う。
「誰か、怪我人を運んでください!!」
打撃音、人の叫び、擦れる鎧の悲鳴、土を踏む足音。戦場の騒音に混じり、微かに返事が聞こえた。
背後に近付く魔力の反応。人の魔力だ。冒険者なのか兵士なのかは不明だが、救助は任せる。
眼前の王狐が、オレの背後へと視線を向けた。
「お前の相手はオレだろ!」
正拳突きのように左腕を突き出す。左手を基点座標とする魔力の槍が、同じ速度で直進した。
魔力の槍には重さがない。それは威力の不足を意味するが、同時に軽さは速さと直結する。
首元に迫る槍を、王狐は先程よりも大きく後退して避けた。着地した王狐の視線がオレに戻る。
その間に背後では複数の魔力が遠ざかった。
ここからが本番だ。
右手に爆弾入りの銃型魔道具を、左手に魔力の槍を構える。
銃型魔道具に装填している爆弾は6発。予備は4発。計10発がオレの切り札だ。
王狐は変わらずに、面白い見世物でも観るような目で動かない。
「余裕見せてると足元掬うぞ!」
踏み込む。魔力が巡る脚で地面を蹴り飛ばし、突き進み、左腕を大きく振りかぶる。魔力の槍が腕に追従。
――王狐の視線が槍へと移る。
っは! そっちは囮だ!
「『防壁』展開! 囲め!」
王狐の意識を逸らした一瞬に魔道具を発動。5つの魔力の壁が、王狐の四方と上空を塞ぐ檻となる。
中にいる対象は逃がさず、外からの攻撃は通す確殺の牢獄だ。
身体強化のリミットまで僅か。魔力も有限。魔物相手に耐久戦は不可能。
選択肢は短期決戦のみ……!!
爆弾を込めた銃型魔道具を前へ。狙いは首付近。
王狐は慌てずに防壁へ体を押し付けて感触を確かめている。余裕だな、おい!
「そのまま爆ぜろ!!」
銃型魔道具を起動。魔石を加工した弾丸が飛んで行く。赤い軌跡が一瞬でオレと王狐を結ぶ。
弾丸は魔力の壁を通り抜け、王狐の銀毛へと到達し――檻の中を紅蓮に染めた。
衝撃が魔力の檻の中で反響する。外に伝わる音すら遠く、舞い上がった土煙で中は見えない。王狐の様子は窺えない。
だが、肌を突き刺す魔力は健在――!
「駄目押し3発!」
銃型魔道具を連射。宙に赤いラインが3本走る。
檻の中へと進んだ弾丸がさらに爆発を重ねた。衝撃で地震のように地面が揺れ、防壁は内側から散弾銃のように土砂で叩かれて軋みをあげる。防壁の外観が土色に染まった。
弾丸は残り2発。
中の見えない檻へと接近する。
魔術型の王狐は通常の特級に比べ肉体的に脆い。巨体を支え、全身を頑丈にするための魔力を別の形で使用しているからだ。
さらに、そもそもが狐の形態とした魔物であり、翼竜のように鱗も持たない。爆発のダメージは確実に入っているはず。
事実、未だ魔力は感じるが、防壁の中からの動きはない。
王狐は弱っている。ならば今、残り2発で頭部を潰す!
「『防壁:変形』」
魔道具を操作し、防壁に小さな穴をいくつか開ける。
土煙が開いた穴から吹き出し、外から入ってくる風が檻の中を鮮明にしていく。
はっきりと見えてくる防壁の向こう側。その中にうずくまる影。ピクリと動いた獣の耳に、頭を見つけたと魔道具を構え――
「は……?」
――オレは王狐の銀毛に汚れ一つないことに気が付いた。
目が、合った。
狐が笑う。面白い寸劇だったというように。狐が嗤う。必死に頑張る虫けらを見たように。
嗤いながら悠然と起き上がり、銀毛を白く光らせ四肢に力を籠める。
あり得ないほど高まる魔力。恐怖に固まる脚に拳を叩き付け、オレは全力で背後に跳んだ。
これは……不味い……!
「『防壁:変形』っ!!」
発動し続けていた左手の槍を、円形の盾へと変形。王狐と自分の間に挟む。
その瞬間に、王狐が動き出す。
コマ送りの映像のようだった。
一瞬で王狐が魔力の檻の外にいた。背後ではズタズタになった防壁が消えていく。
瞬きもしていないのに、王狐が目の前にいた。右前脚を振り上げ、狩りを楽しむ捕食者のような、獲物をいたぶる肉食獣のような目で、引き攣るオレの顔を覗き込む。
互いの体温すら感じるほどに近い。胃が不快に軋む血の臭気。
オレの胴体と同じサイズの前脚が、風を切る音もなく振り抜かれる。
盾とした防壁はコンマ数秒だけ耐えて霧散し、目と内臓が飛び出るほどの衝撃が、防御に使った左腕の上から胴体に突き抜ける。
ゴキ、ミシ、と寒気がするような音が体から鳴り、足が浮く。吹き飛ばされる。
――瞬間に、反射か幸運か、右手が動いた。
至近距離から爆弾を撃ち込む。狙いは逸れて左前脚の付け根。しかし避けるのは不可能な距離!
だったはず、なのに――キン、と爆弾は弾かれた。王狐の銀毛に届くことなく、弾かれ、斜め後ろの地面で爆発する。
体を駆け巡る衝撃も、吹き飛ばされていく状況も忘れて、オレは目を見開いた。
爆弾を弾いたものの正体に。
よく知っている。馴染みの深いそれは……オレの魔道具と同じ『防壁』の魔術だった。
「こ……」
こいつ、オレの魔術を奪いやがった!?
驚愕に叫ぶ暇もなく、オレは地面に激突した。
硬い地面で数回バウンド。三半規管が回って狂う。天地は不明確。体が麻痺したように動かない。
痛みは遅れて自覚した。
「ぐ、がはっ……ぎい!」
脳を突き抜けるような激痛を、歯を食いしばって耐える。
痛みにのたうつ余裕はない。すぐに現状を把握しろ……!
無理やり体を起こして膝立ちになり、自分の体を見下ろす。
ガードに使った左腕は折れていた。関節が一つ増えたように見える。身じろぎする度に、悪寒と共に強烈に痛みが走る。
左のアバラも何本か逝った。最低でもヒビ。幸いなことに呼吸はできる。血も吐いていない。肺は、無事。
「が、はあ……っ!」
立ち上がる。
脚の骨がどこかに飛んで行ってしまったように、膝がガクガクと震えていた。
全身が痛い。骨折していない箇所も、打撲と擦傷のオンパレード。
そして身体強化も限界も迎えた。純地球産の脆い体が、強化の反動で悲鳴を上げ始める。脳がジクジクと痛む。
だがそれでも、強化は切らない。止められない。
目の前には無傷の王狐。遊び足りない様子でオレが行動するのを待っている。
身体強化を無理に続ければたぶん死ぬ。だが、生身では手加減した王狐の攻撃でも死ぬ。
無茶をするしか、ない。
「……最っ低な状況だ」
吐き捨てる。
王狐が『防壁』の魔術を使った。ついでに先程の動きは『風除け』の魔術を使ったものだろう。
……両方とも、オレの魔道具で使用した魔術だ。そして、オレが魔道具を使うまでは、王狐はどちらも使っていない。
つまりコイツは、魔術を見て覚えられる。
「ちょっと恵まれすぎだろテメエ……」
こっちは魔力もねえ。身体強化もロクにできねえ。自力じゃ魔術も使えねえ。そんな馬鹿みたいな縛りで生きてんだぞ。ふざけんなよ。
「キャカカカカ」
オレの言葉に反応したのか、王狐が初めて鳴いた。耳障りな音色だった。
何を意味しているのかは分からない。ただ目に浮かぶ嘲笑ははっきりと理解できた。
人を襲うことを楽しみ、魔術を見て覚える特級の魔物。時間が経てば経つほど、コイツは人が使う魔術を覚えて強化されていく。
できることなら、コイツはここで討伐したい。いや――討伐する。オレが。ここで。
今この瞬間も、耳には誰かの悲鳴が届いてくる。誰かが傷付いている。……もしくは死んでいる。誰かの命が消えている。
見知った誰かの死体が、熱を失った亡骸が、脳裏に浮かんでは消えていく。
これ以上、人が死んでいくのを見るのは、オレには無理だ。
だから、思考を回す。作戦を練る。銃型魔道具に装填された弾丸は残り1発。予備は4発。しかし、左腕が動かせない今は装填が不可能。使うとすればそのまま。
魔力への干渉は使えない。王狐の魔力量に比べれば、オレが干渉可能な量など極わずか。意味がない。
戦闘時間。頭が割れそうになってきた。逆に体の痛みは鈍く感じる。セルフ麻酔。たぶん多めに見ても残り時間は数分。それ以上は自滅。
取れる手は。有効な手札は。
考える。考える。考えろ――。
「――死ぬ覚悟を決めれば、極小でも手はある」
自分の命を囮に使うような頭の悪い作戦。だけど、それしか思い浮かばない。なら実行するしかない。
銃型魔道具を仕舞い。予備の爆弾4つを右手に掴む。そのまま右手を背後に回して2つ落とし、足で軽く土を被せる。
苦し紛れの即席地雷の完成。遠隔でも3メートル以内なら、オレの魔力干渉で起爆はできる。
顔を上げる。王狐は動かないオレに飽きたのか、自分から近づいてきた。尻尾を揺らし、ゆっくりと、堂々と。
――そこに一本の矢が飛来する。槍のような太い矢が。
音すら置き去りするような矢を、しかし王狐は防いだ。どうやって感知したのか、覚えたばかりの防壁で軽々と。
防がれた矢は2つに折れて地面に落下した。見覚えのある矢だ。壁の上を見なくても分かる。エゴルさんの援護射撃。
王狐の視線が逸れる。その隙にオレは駆け出し――頬に熱を感じた。
ぎゅるり、と王狐の顔の先で魔力が渦を巻く。炎が散る。凝縮された魔力が現象へと転化した。
炎の魔術、そう呼ぶのに抵抗が生まれるような威力だった。
大気を焼きながら、空に赤い光の線が走る。それは石壁の端を掠めて直進した。壁の一部が赤々と溶け落ちる。
熱が風を攪拌し、体を叩く風にオレの足は止められた。耳元でごうごうと風が鳴る。
そして、王狐はさらに魔術を使う。
吹き付ける風が向きを変え、オレと王狐を包み込むように回り始めた。土が巻き上げられ、外の様子が見えなくなる。
まるで竜巻の中。当然、外からもこちらは見えない。――これ以上の援護は来ない。
……エゴルさんは無事だ。あの人は銀級。ロゼッタと同じ等級だ。ロゼッタならあれくらい軽く避ける。
それよりも。
「キャカカカカ!」
王狐が嗤う。これで邪魔は入らないと。
「思いっきり、手加減されてた訳だ……」
王狐はこれまでオレに魔術を使っていない。
そりゃそうだ。蟻を潰すのに武器はいらない。王狐にとって、これは戦いではなく遊びなのだ。
鼠をいたぶる猫と同じ。
だが構わない。それでいい。本気の王狐にオレが勝つのは不可能だ。オレの勝機は王狐の油断に付け入ること。
オレを見くびれ。慢心しろ。余裕を見せろ。テメエの前にいるのは、魔力の欠片もない弱者だ。
魔物に甘く見られることにかけて、オレの右に出る奴はいない。
魔物は相手の魔力から脅威を感じ取る。だけどオレには魔力がない。魔核がない。だから、これまで魔物に警戒されたことがない。
弱い兎も、警戒心の強い野鳥も、オレを脅威だとは判断しなかった。
だからお前もそうしろ。獲物をいたぶる余裕のままで、オレの罠に掛かれ。
「狐野郎。オレはこの世界で最弱だ」
ああ、オレは弱い。いつだって泣きたいくらいに弱い。それでも勝ちたいから、誰かを守りたいから、この弱さだってオレは武器に使うぞ!
「窮鼠猫を嚙むってなあ!」
倒れそうになる体を無理やり前に進める。
生きのいい餌を見るように、狩猟者の顔で王狐が前脚を上げる。そこへ爆弾を投擲。
目に見える速度で進む爆弾は、当然のように防壁に阻まれた。でもそれでいい。
「『爆破!』」
顔を右腕で庇いながら起爆。全身を爆発の衝撃が叩く。前に進んでいた体が強引に後ろへと押し戻される。馬鹿みたいなブレーキング。
流れに逆らわず、体を捻り、後ろに振り向く。そのまま逆向きに走り出す。王狐の前で、脱兎のごとく逃げ出す。
古今東西、肉食の動物が逃げる獲物を見たらどうするか――
「追ってくるに決まってるよなあ!」
背後からプレッシャー。見なくても王狐が迫っているのが分かる。首の後ろがぞわりと震えた。
今だけ。たった数メートルだけ。それだけ、走れればいい! 脚を動かせ――!!
「うおおおぉ!!」
走り、走り抜け、最後の一歩で跳んだ。受け身も考えないガムシャラな跳躍。背中を爪が掠る。
体勢を崩しながら地面を転がる。骨折した左腕のせいで痛みに意識が飛びそうになる。それでも目を見開いた。見た。
王狐が立っているのは、埋めた爆弾の真上――!
「『爆破!』」
どんな生き物でも自分の体の下は死角。防壁を張る暇もなく王狐の足元が爆ぜる。
土が盛大に捲れ、目の前が煙る。だけど確かに見えた。
舞う土の色の中に、千切れた銀毛と赤い血の色が混じっているのが!
「初ダメージ……!!」
這うような姿勢から立ち上がり、残り1つの爆弾を握り締めて特攻する。バチバチと体を叩く土砂の中へ。興奮で痛みは遠い。無視できる。
あと一発口の中にでもぶち込めば、オレの勝――――
ボッ! と目の前を銀色の風が走った。
風圧で強引に土煙が散らされる。風の正体は王狐が振り抜いた右前脚。
左前脚を血に染めた王狐が、縦に割れた瞳孔を細め、怒りの表情でオレを睨み付けている。
いたぶるだけの相手に手傷を負わされたのが、どうにも気に入らないらしい。
牙を剥いた王狐が迫る。
何とか爆弾を投げ付けようとしたが、王狐の方が数段速かった。
投擲途中の腕が外側に弾かれる。王狐の膂力で。ゴギッ、と右肩から異音が鳴った。握力のなくなった手からは爆弾が抜けて飛んで行く。
再び掴むことはできない。オレの手の中に武器は残っていない。
武器の喪失と痛みに声を上げる暇もなく、王狐に胸を踏まれて地面に叩き付けられる。
「ごふっ!」
肺の空気が強制的に外に出された。肋骨が軋む。
地面に仰向け潰されたオレの視界には、手が届きそうな距離でオレを睨み付ける王狐の顔がある。
気持ちよく遊べなかったから終わりにする。そんな傲慢な意思が目に浮かんでいた。
オレの上で王狐が顎を開く。
鋭い牙。ぬらりと濡れた赤い咥内。血を含んだような獣臭い吐息が顔にかかる。
……オレは身体強化を解除した。
体は動かない。右肩は外れ、左腕は骨折している。王狐に押さえつけられた状況では起き上がることもできない。
脚も無理だ。身体強化の限界を超えて無理な制動をした反動が出ている。震えるばかりで力は入らない。
全身がピクリとも動かない。
それでも王狐の牙が近づいてくる。
獲物を仕留め、肉を噛み千切るための牙が迫る。その様子を間近で見て――オレは痛みではなく、喜びに頬を吊り上げた。
喉を震わせる。掠れた声が零れた。
「……最後まで……見くびってくれて、ありがとよ……」
カチャリ、と銃型魔道具を構える。
両腕は使えない。だけどもう一本だけ、オレには使える“腕”があった。
指がたった3本しかない、単純な構造のロボットアームみたいな外見をした半透明の腕。
魔道具が生み出した魔力の腕が、残り1発、爆弾の込められた銃を、王狐の口内へと差し込んだ。
異変に気付いた王狐が動き始めるが――遅い。
銃型魔道具は機能通りに動作し、籠められた弾丸を狐の赤い喉奥へと撃ち込んだ。
「――『爆破』」
一瞬、王狐の頭部が膨らむ。そして破裂。空中に、盛大に血の華が咲く。血液が噴出する。
美しい銀毛を散らし、傲慢な眼球を飛び出させ、幻影を操る銀の王狐は絶命した。
……オレを殺すだけなら魔術を使えば良かったものを、油断し、見くびり、自分の快楽を優先したのがお前の敗因だ。
「有言実行……足元掬ってやったぜ……」
はは、と笑った喉からは血の味がした。つか、笑ってる場合じゃねえわ。
間近で爆発の衝撃を食らったせいで意識が朦朧とする。鼓膜が破れたのか音も聞こえない。実は自分の声もよく聞こえなかった。
ついでに、死んだ後もバランスを保って立っていた王狐の死体がぐらりと揺れて……あれ、これ死体の下敷きになる軌道じゃね?
「や、べ……!」
逃げたい。が、体が動かない。王狐の死体は無慈悲に倒れてくる。
あ、これ、死んだかも――ごふぇ゛………………。




