王狐襲来
ロゼッタが護衛依頼に出た翌日、冒険者ギルドに狐の魔物に関する続報が届いた。
討伐に向かった騎士団員20名による先行討伐隊は壊滅。幸いなことに死者こそ出なかったものの、半数以上の団員が当分動けないほどの重症を負った。
これにより件の魔物の名前と等級が確定する。
国よって与えられた名は“幻影王銀狐”。特級と認定された正真正銘の化け物だ。
そして情報が届いてからさらに3日後、王の名を冠する狐は悠然と帝都に到達した。
特級の魔物といえ、相手は一頭のみ。そう考えていた者たちの前に現れた影は一つではなかった。
その数、百以上。魔物としては小柄とはいえ、大人数人分はある体躯。陽光に輝く銀毛。赤く縁取られた面に浮かぶのは狡猾な獣の目。
強者の風格を漂わせる狐の王が、視界に収まらない程に出現した。
自らの群れを呼んだのではない。これは“幻影”の名が示す能力。
“幻影王銀狐”は己の分身を作り出す。質量があり、実際に触れることができ、あまつさえ魔術すら操ってみせる分身を、魔力の限り作り出す。
これが魔術に特化した魔物の頂点、特級としての王狐の力。
一方、人の陣営は帝都の最大戦力である騎士団長すら出撃する本気の構え。騎士と兵士は一糸乱れぬ隊列を組み、冒険者たちは遊撃のために武器を構える。
――そして、両者の激突の結果は……“幻影王銀狐”の逃亡という形で幕を下ろした。
「まいったよなあ……」
厳戒態勢の続く帝都の一角。
行きつけの風呂屋の裏手で、割れた石材に腰かけながら呟いた。
つい先日の幻影王銀狐との戦い。初めて見た騎士団長が本当に人間なのか怪しい挙動で分身を切り裂いていく姿を見て、これなら勝てる! なんて観客気分でいたのだが……幻影王銀狐は普通に逃げた。そりゃもう鮮やかに。丁寧に魔術で煙幕まで張る周到さで。
「いやまあ、そりゃヤバくなったら逃げるよな~」
別に狐の方には死ぬまで戦う理由なんてない訳で……うん、オレでも逃げるな。
そして逃げた王狐は帝都の近くをうろうろしながら、気紛れに通行人や商人を襲っている状態。そのせいで帝都は未だに厳戒態勢を解くことができずにいる。
討伐しようにも騎士団長の姿を見ただけで王狐はさっさと逃げる。逃亡に専念した特級の魔物、しかも身軽な王狐を人間が捕らえるのは非常に難しい。
仕掛けた罠は物理的、魔術的に関係なく見破られ、ここ数日は王狐に遊ばれている状態だ。
強い戦力を派遣すれば逃げられ、弱ければ単純に蹴散らされる。このまま周囲に棲み付かれては物流が滞り、人口の多い帝都はいずれ干上がることになる。
「まいったよなあ」
再び同じ言葉を呟いたオレに、高い少年の声が反応する。
「兄ちゃん、ブツブツうるさいぜ。仕事の邪魔すんなよ」
「迷惑ー」
大きなタライの中で汚れた洗濯物を踏みながら、ディーンとリィーンがオレに抗議の視線を送ってきた。
邪魔とは酷い。
「2人とも、オレは喋る置物かなんかだと思ってくれ」
「置物は喋んねえし」
「動かない」
そりゃごもっとも。
「兄ちゃん、冒険者って今ヒマなのかよ。狐野郎になんか仕掛けるんじゃねえの?」
「ああ。新しい作戦の準備は進んでるよ」
冒険者ギルドで聞いた内容を思い出す。
「一時的に帝都への出入りを完全に止めて、王狐を帝都におびき寄せるって作戦。その上で、王狐が逃げない程度の戦力で戦うのが第一段階で、騎士団長も最初は温存」
王狐をおびき寄せる方法は単純に餌。王狐は今、商人が運んでいる食料や馬を食べて腹を満たしている。襲う相手がいなくなった状態で食い物を用意すれば、王狐が寄って来るだろうという考えだ。
明らかな罠だが、これまでの行動を見る限り、王狐には“遊び”を理解する知能と、自分の逃亡能力への自負がある。
罠だと理解しても、きっとギリギリまでは接近してくるはずだ。
「で、帝都の近くで王狐が逃げない程度に戦っている間に、外側に騎士と兵士が回り込んで、帝都の石壁と人の壁で囲いこむ、と。王狐が逃げられないようにしたら、騎士団長も出撃して一気に討伐、ていうのが作戦の流れ」
帝都の物流が止まるから長時間の継続は無理な上に、接戦を演じるために確実に死傷者が出ると言われている。
犠牲を前提としている時点で、オレはあまり好きじゃない作戦だ。……代替案も、何か出来る程の強さもオレにはないから、何も言うことはできないけれど。
オレにできるのは、こうして溜息を吐くことくらいだ。
「……この作戦のために、関わる人間は忙しく準備をしてるよ。冒険者は、万が一にも王狐が帝都の壁を越えないように、石やら矢やら油やら、そういうのを壁の上に運んでる」
「ふうん、大変そうだけど稼ぎ時みたいだな。兄ちゃんは行かねえの?」
ディーンの純粋な疑問が心に突き刺さる。
「……手伝おうとしたら、力がなさ過ぎて邪魔だって言われた……」
「ぶはっ!」
「むふっ」
……普通に笑いやがったぞ、この兄弟。
げらげらと笑う兄弟をじっとりと見る。
「ひ~ふ~っ、はははっ、そりゃ残念だったな兄ちゃん。いやでも正解だと思うぜ。兄ちゃんは肉体労働とか戦いとか、そういうのに向いてねえよ」
さっきからディーンが的確に痛いところを突いてくる。
肉体の性能的に、オレが戦闘に向かないのは知っている。というか、魔力を持たない時点で、オレはこの世界で生きるのに向いていない。
……それでも、才能がないだけで完全に足を止めてしまえるほど、オレはまだ人生に達観できていない。
「はあ、いいや。落ち込むのは終わり」
時間は有効に使うべきだ。
頭を切り替え、作りかけの魔道具を手に取った。そのまま発動。
目の前に半透明の筒が出現した。ちょうどオレの肘から先と同じくらいの長さで、片側の断面には緩く曲がった3本の短い棒が生えている。
「兄ちゃん、なにそれ……?」
ディーンが得体の知れないものを見たような目をしている。
「魔力で作った腕」
「うで? 腕……? どこら辺が……?」
説明が面倒だったので、実際に動かしてみた。3本の短い棒――指が開閉する。わしわしと。
「うわっ、気持ち悪っ!」
「え、そう?」
ディーンのリアクションに首を傾げた。“腕”は、単純なロボットアームのような外見になっている。別に気持ち悪くはないはずだ。
……見慣れない人間にとっては、ちょっと衝撃だっただろうか。
「兄ちゃん、そんなの作ってどうすんだ? 腕が必要なら、自前のがあるじゃん」
「自分の腕はあるけど、力不足を解決したくてさ」
人手が必要な作戦の準備から放り出されるくらいに、この世界においてオレは非力だ。
「身体強化を長時間使えればいいんだけど、どう頑張ってもそっちは解決できそうにないし。それなら魔道具で力の強い腕を作っちまえ、てことで設計してみた。身体強化には時間制限があるけど、魔道具なら魔力がある限り使えるからさ」
代わりに燃料用の魔石に金がかかるっていう制限があるけど。
「ふうん? よく分かんねえけど、その腕って力強いのか? あんま強そうには見えないけど?」
「う~ん、これはオレの腕力の半分くらい?」
ディーンが眉を寄せ、隣ではリィーンが何言ってんの? という目をしている。
「……それだとダメじゃねえ?」
「まあ、駄目だな。これがあくまで試作品っていうのもあるけど、身体強化した冒険者くらいの力を目指すなら、最低でも上級の魔石が必要になると思う」
今使っているのは中級の下くらいの魔物の魔石。この“腕”は防壁の魔術を応用して作っているが、このレベルの魔石だと出力が足りない上に、指に複雑な動きをさせるのも不可能だ。
「う~ん、なあ兄ちゃん。バカ高い上級の魔石を買える金があるなら、普通に人を雇って働いてもらった方がよっぽど安いぜ」
ディーンが至極真っ当な意見を言い、リィーンも同意するように頷いた。その様子に成長を感じて、オレは思わず嬉しくなる。
「おお~、2人とも、ちゃんと金の計算ができるようになったんだなあ」
ちょこちょこと勉強を教えているオレとしては嬉しい成果だ。ちょっと感動。
「いやいやいや、むしろ兄ちゃんがおかしいだろ。なんでオレたちに金の大切さとか計算とか教えた本人が、変なところで金使ってるんだよ」
ディーンが呆れた顔をして言った。ちゃんと常識を身に付けているようで安心する。
「無理をしてもやりたいことがあるんだよ。金を稼ぐのもその手段。まあ、あんまり賢い生き方じゃないから、2人とも真似すんなよ」
「……やっぱり兄ちゃんは変人だぜ」
「知ってる」
遠慮のないディーンの言葉に笑う。その瞬間――
カァーン! カァーン! と、高い鐘の音が帝都の空に響いた。
連続する音は魔物による襲撃の知らせ。現在の状況から襲撃者は王狐しかいない。だけど早過ぎる。王狐をおびき寄せるのは明日のはずだ。
「……自分から戦いに来たのかよ。やっぱり生き物相手だと読みも外れるもんだな」
魔道具を止めて立ち上がる。帝都で活動する冒険者として、ただ安全地帯でぼうっとしている訳にはいかない。
「おい兄ちゃん行くのかよ」
「もちろん。邪魔にならない程度に手伝ってくるよ」
ディーンとリィーンに手を振って、騒がしさを増した通りへと足を向ける。
「弱いんだから無理すんなよー!」
「気を付けてー」
兄弟の応援を背中で受けながら、帝都の壁へ向けて走った。




