3論 あいさつ
!0 (こんにちは!)
この言語では、!0で挨拶をすることができる。やったぜ。
まあこれでもう話終わりなんだけど、あと書くこと何もないんだけど。挨拶というのは人間生活にとっては、重要なものだから仕方ないね。
!0(こんにちは!)
!1(さようなら)
!2(ありがとう)
!3(ようこそいらっしゃいました)
!4(お疲れ様です)
!5(どうも)
!6(おめでとうございます)
!7(すいません)
こんな感じでいいかな。これだけあればまあ事足りるだろう。
俺はよくプログラミング言語を勝手に作って遊んだりしていたので、発想がそれっぽいのかもしれない。まあ現代は文理融合とかデータサイエンスとか言われるしちょうどいいのかもしれない。
実際、人工知能やデータサイエンスはもちろんのこと、言語においても文理融合的発想はどうしても必要である。俺も自慢じゃないけど人生的には落ちこぼれなので、いわゆるエリートではない。どっちにせよ、端的なプロフェッショナルでは現代の諸問題に対応できないと思う。何事も色んな発想が必要である。
そもそもプログラミング言語って文系なのか理系なのかよくわからんし。まあ気分的には理系なのかもしれんけど、多分文系だろう。でないと文章書けないし。まあ本質的には、文系か理系かなんてどうでもよく、もう少し違ったアプローチが必要である。
現代においては、そういう極端なプロフェッショナル状態、通称「タコツボ化」に陥ってしまう人が結構多いらしい。研究者とかはそういう人も多いかもしれんね。まあ、研究というのは元来そういうものだし、仕方ないのかもしれないけど、現代だって種々多々の厄介極まりない問題をどんどこ抱えているわけだから、あまり役に立たないことを全力全開でやるのも無駄だろう。
もちろん、役に立てばいいかといえばそうでもなく、基礎的研究はどうしたとかと言われるらしいから難しいね。
言語というものの不思議なところは、それ自体がある種の基礎的研究っぽいものになるところだろうか。つまり、言語というものそれ自体が我々の思考や情報伝達を支配するし、言語の構造がデータの管理技術に深くかかわったりするから、どういった言語をどのように扱うかという事それ自体が、知性そのものに深くかかわってくるのだ。
例えば現代のオブジェクト指向の言語についていえば、クラスというものに分かれているんだけど、数字とか、文字列とか、配列とか、そう言ったもので分けられていて、それらは細かく親子関係になっている。その是非はともかく、そういうふうに管理したり、整理したりすることができるわけだ。
図書館とか行くと、101番が哲学とか110番が歴史とか、そういうふうに分かれていたりするけれど、何を分けるにしてもそのように何らかの方法で管理することは必要である。言語にしても、とにかく伝わればいいや、みたいな感じで適当に増設を繰り返すと、サクラダファミリアめいた意味不明な複雑系の悪夢と化してしまうに決まっている。プログラミング言語でも、perlという言語はそういう面がある。(良い言語なんだけど……。)あ、でもこのナンバーエスペラントはperlの影響も受けてる気はするな(^^;。