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八話『だから僕は集中できない。』

「……あー……」


 ダメだ。全然勉強に集中できない。

 自分の部屋に据え置き型のゲームがあるというのもある。自分の近くにスマホを開かないよう見張ってくれる人もいない。自分の部屋には、膨大な量の誘惑が鎮座していた。

 でも、文句は言えない。とてもじゃないけど裕福であるとは言えない親に、無理を言って高校の近くのオンボロアパートに、一人暮らしをさせてもらっている身なのだ。

 それに……。


「……場所、変えるか」


 昨日あたりから頭を悩ませている課題に、ちょっとだけ気を取られていた。

 それはもちろん会話の経験とスキルが足りない僕の責任であり、間違っても夕凪先生のせいじゃない。

 そんな当たり前のことを頭の中で確認しながら、学校の鞄に、机に広げていた参考書達を詰め込んで、まだ昼の暑さの残る街へと繰り出した。




「いらっしゃいませー」


 と、和菜のより少しだけトーンの落ちた声が、喫茶店の扉を開けた後に向けられる。

 周りを見渡すに、当然かもしれないけれど、その喫茶店に和菜の姿はなかった。

 開店初日ほどじゃないが、そこそこの人が椅子を埋めている。一回にも空いている二人用の席はあったが、なんとなく二階にあがって、先日利用した二人用の席に着く。


「……よし……」


 多分、ここなら。漫画もゲームもない環境のここなら、きっと勉強に集中できるはずだ。

 意気込んでいると、二階から僕よりいくらか年上に見える(とても失礼)女性の店員さんが、お水を運んできてくれた。

 ……わざわざ来させてしまうのだとしたら、一階でもよかったかもな。

 少しだけ後悔していると、その店員さんは僕から見て右手前の位置にコップを置いた。


「ご注文は、前回のものでよろしかったでしょうか」

「……え……? ああ、じゃあ、それで」

「かしこまりました」店員さんは丁寧にお辞儀をして言う。「エスプレッソのダブルですね」

「はい……は、え、あ、ちち違います違います」僕は慌てて訂正した。「甘い奴でお願いします」

「甘い奴……ですか?」

「はい」僕は頷いた。「苦くないならいいです」

「なるほど……」店員さんは神妙そうに頷いた。「では、ハニーカフェオレを用意させていただきますね」

「お願いします」


 あまりにも慌て過ぎて、かなり恥ずかしいことを口走った気がしないでもなかったが、とりあえず鬼門の注文を終えることに成功した。

 エスプレッソダブルは、まだ自分にはあと十年ほど早いと思うから。

 ともあれ。

 ありがたくそのハニー何某やらを頂いてから、しずしずと鞄から勉強道具一式を取り出す。今日は周りは落ち着いているから、イヤホンに頼らなくてもよさそうだ。

今日は……英語の気分だ、うん。そうに違いない。僕は単語帳取り出して、次のテストに出てくる範囲に羅列された英単語を、ノートに書きとっていく。


「……」


 黙々と書きとっていくうちに、段々と集中力が研ぎ澄まされていくのだ。クラスの中には二、三回見ただけでその英単語を覚えるとんでもない猛者もいるらしい。……どう考えてもチート以外の何者でもない。

 見る。綴りを流れで覚える。頭の中で読む。書く。書く。書く。青ペンで書く。

 いい感じだ。単語帳にだけ意識が向いている心地がする。だから、視界の中に入っているはずの、クリームソーダなんて、全然気になるはずもなく……。

 ……、クリームソーダ? 僕は確か、ハニー何某を頼んだはずなんだけれど……?


「……う、わ」


 不思議に思って顔を上げると、そこには僕を見つめながらクリームソーダをストローで吸っている砂森さんの姿があった。


「砂森さん」僕は驚きと緊張をできるだけ隠しながら言う。「いつから、そこにいたんですか?」

「……え?」

「いや、そこにいたの全然気づかなかったので、いつからいたのかなって……」

「…………え?」

「……あ、蒼さん」

「十数分前から、いた」

「切り替えが早すぎる!」


 なんならちょっと食い気味だったし。

 蒼さんね、蒼さん……ちぃ、覚えた。ノット砂森さん、バッド蒼さん。

 そして、その蒼さんの視線が、いつまでも僕の顔からどけてくれない。

 だからちょっと恥ずかしくて。


「……僕の顔見ながら飲んだら、クリームソーダって美味しくなるんです?」

「ならない」

「……さいですか」


 いや、当たり前だけど。


「でも……とても、集中してたから」

「え?」

「君が。だから……気になって」

「そんなもんですか」

「うん」蒼さんはコクリと頷く。「だから……続けて?」


 僕は促されて、再び英単語帳に視線を移す。

 そしてまた頑張ろうと心掛けたけれど、やはり蒼さんの視線が気になって。


「……しゅ、集中できん……!」

「……」


 僕の独り言が、幸か不幸か蒼さんの耳には届くことはなかった。


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