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蓮花が枯れる頃にキミを愛せる  作者: 時田とき子
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袖触り合うも他生の縁 陸

「納得がいかないわ」


 ボソリと呟いた声は群衆に押し潰されてしまうかと思ったが、耳ざとく聞きつけた隣の男は「うん?」と笑いながら尋ね返してくる。

 あの後結局何も言い返せなかった咲は、仕方なく縁に連れられて神社を後にしていた。石段の上から眺めた江戸の町に自分も混ざり、すぐ隣を時代劇の中と思わせる群像が通り過ぎていくことは不思議な感覚があった。

 蛟から羽織を借りたとは言え、その下には洋服を着ている咲を人々は奇怪な目で見てくる。だが隣に自分と同じくらい奇抜な服装の縁がいることを目に止めると、どこか納得した顔をしてまた群像の一部へと戻っていった。そのことを考えると、少なくとも時代考証からはそぐわない奇抜な格好をし、【妖退治】が仕事だと名乗る彼らは当たり前に受け入れられているのかもしれない。

 そんなことを考えながら、咲は隣を歩く縁を見上げ「少しお聞きしたいんですが」と、口の周りの筋肉だけを僅かばり動かして問うた。


「蛟はどうしてあそこまで私にこだわるんですか? 私が神様にとって大切な存在で、勝手にここに連れられてきて、神様を呼び戻すことに必要な餌だからっていう理由だけじゃないですよね」

「うーん、そうだねえ。それは僕にも心を開いてくれたら教えようかな」

「は?」

「とりあえずその敬語をやめていいよ。丁寧なお嬢さんも素敵だけど、咲さんとはもっと仲良くなりたいからね」


 十分細い瞳をさらに細め、縁はキザったらしく囁く。そんな彼に今度は感心することは出来ず、むしろ心底面倒くさいという思いで顔を顰めた。


「……じゃあ縁」

「何でしょう、麗しの姫君」

「貴方達が何者なのか教えて」


 真っ直ぐに彼の瞳を見上げながら問えば、彼は待ってましたとばかりに口元を歪めた。


「言ったでしょう、僕らは妖退治がお仕事なの。山伏(やまぶし)声聞師(しょうもんじ)とか時代によって色んな呼ばれ方をしてきたけど、今は【祓い師】って名乗ることが多いかな」


 人差し指と中指を立て、わざとらしく片目を瞑る男に「祓い師……?」と尋ね返す。一回二回と目を瞬かせ、言葉の意味を理解すると途端に胡散臭さが増してきた。

 隠すことなく怪しむ目で縁を見れば、彼は気分を害した様子もなく微笑んでみせる。


「蛟君からあらかたの話は聞いてるけど、咲さんは先の時代から来たんだよね。その様子を見るに、君がいた場所では神様も妖も身近なものじゃなかったのかな」

「そうね、少なくとも私の周りはそうかしら」

「じゃあ妖の説明でもしようか。僕ら祓い師はだいたいが陰陽道の流れをくんでいるんだけど、その思想のひとつにあらゆる万物は(いん)(よう)のふたつにわけられるというものがあるんだ。陽があるから陰があり、陰があるから陽があるってな感じで、この二つは対の存在になっているんだよ」


 うたうように説明されるが、わかるようなわからないような話に首を傾げる。そうすれば「よく言われるのは太陽と月、男と女とかかな」と付け加えられた。


「ここで質問です。万物に陰と陽があるならば、人間の対なる存在とはなんでしょうか」

「……それが妖?」


 低く尋ねれば正解とでも言いたげな満面の笑顔が返ってくる。だがまさか、こんな誘導尋問で妖がいると納得出来るわけがなかった。


「人が昼の世界を、妖が夜の世界を支配しているなんて言われることもあるんだけど、妖は世の中に溢れている憤怒や悲哀、怨恨が固まって生まれる存在なんだ」

「はあ……」

「あ、その反応は一切信用してないね」

「そんな説明で納得出来るわけないでしょ」


 不満を言うために縁を見上げたせいで、すれ違った男と肩がぶつかってしまった。男は一瞬よろけた咲を振り返り、「悪いな、嬢ちゃん!」と言い残すと足早に通り過ぎていく。

 縁が自分の歩幅に合わせてくれていたとは言え、舗装されていない地面はかなり歩きにくく、さらにはカゴや天秤棒などの大荷物を抱えている人がいる中を歩くことは気を使うのだ。

 何とか体勢を立て直して縁を追いかけようとすれば、咲と同じように立ち止まっていた彼は、何を思ったか笑顔で左手を差し出してきた。意味が分からずポカンとその手を見つめれば、彼は満面の笑みで手を振ってみせる。


「今日はいつもより人が多いからね。知らない土地で迷子になると困るし手を繋いで歩こうよ」

「子供じゃないんだから結構です」

「君が心配なだけじゃなくて僕のためでもあるんだよ。何せ僕は咲さんを守るよう蛟君から仰せつかっているんだからね。手を繋ぐのが嫌なら僕の袖でもいい、どうか僕を安心させてくれないかな」


 そんなことを言われれば嫌だとは言えなくなる。咲は唇を真一文字に結ぶと、難しい顔をして低く唸った。だがすぐに諦め、仕方なく縁の左手を取る。


「帰りは絶対に繋がらないからね」

「きちんと蛟君の所に帰るっていう意思が聞けただけで安心だよ」

「……やられた」


 自分の墓穴に気づき低く囁くが、縁は面白そうに笑っているだけで深追いしてこない。咲の意思を尊重した上での諭すような言い方と言い、口は軽い癖に自分よりも歳上だと思わせるその言動がどこか心地よくもあった。

 男友達など出来た試しがない咲にとって、近しい異性など父親くらいであった。その父親ともこの七年近く会話らしい会話をしておらず、手を繋いだことだって随分と古い記憶の中でだけだ。

 咲よりも一回りも大きく、ゴツゴツとした手のひらは温かかった。力強いその手に握られ意味もなく心臓が早くなってくる。


「咲さんはさ」


 だからこそ突然名前を呼ばれ、「な、なにっ?」と声を裏返してしまったことは仕方がないであろう。

 口にした瞬間しまったと思ったが、見上げた先の縁はパチクリと目を瞬かせ、すぐに喉の奥で笑いを堪え始める。


「き、急に話しかけるから驚いただけでしょ、そんなに笑わないでっ!」

「いやあ、ごめん。ははっ、初めて君の年相応な顔を見れた気がしてさ」

「初めてって……」

「だって咲さん、こんな訳のわからないことに巻き込まれたっていうのにずっと澄ました顔をして、挙げ句助けてやるって言う蛟君を突っぱねたでしょ? 普通だったら藁にもすがる思いで頼ると思うけどなあ」


 そう思うのは自分だけかと、尋ねるように見下ろされる。

 縁の言いたいことはよく分かる。咲だって素直に他人を頼れないのは、可愛げのない性格とは別に思い当たる節があった。だがそれを素直に言うことははばかられ、誤魔化すように視線をそらす。


「昔からよく冷めてるって言われるの。そのせいじゃないかしら」

「ふうん、冷めてるって?」


 そこで深追いしてくるかと思わず縁を睨む。だが彼は咲の言葉を促すよう、ただ黙って言葉を待っていた。

 話すまで折れないという縁の姿勢に根負けしたのは咲であり、彼女は負けを示すよう溜め息をこぼすと歯切れ悪く口を開いた。


「また笑わないでよ? 自分でも変だって分かってるけど、こう、景色がどこか遠くに見えるのよ」


 そう思うようになったのは母親が死んでからだと思う。母親が死んで、妹に責められ、幸せだった家族を壊したのは自分だと思うようになり。それからはいつだって、自分がここではないどこかに立っているような感覚に見舞われ続けていた。

 いつだって周りの世界が自分とは関係ない、どこか他人事のように見えてしまうのだ。

 だからきっとこんなことに巻き込まれたって、冷静な自分が常に頭をもたげ続けているのだろう。


「当ててあげようか」


 とは縁の言葉であった。視線を向ければ、いつだってにこやかだった彼の顔から笑顔が消えている。代わりにどこかほの暗さと嫌悪を含んだ顔で瞳を細めた。


「咲さんは自分にも他人にも興味が持てないんでしょう? だから自分がどれだけ危機迫った状況にいるかも理解出来てないし、自分の命にも関心が持てない。信用出来ないって言って蛟君を言いくるめようとしたのも、他人と関わるのが面倒くさくて言った方弁だよ」

「……私よりも私のことに詳しいのね」

「僕もそうだった頃があるからよく分かるのかも。だからこれは忠告的な意味でもあるんだけどね」


 そこで言葉を切る。咲も黙って続きを待てば、縁は歪な形に口角をつり上げた。


「幸福の上に胡座をかいて幽霊みたいに生きてると、そのうち本当に大切なものすらなくしてしまうよ」


 縁の言葉に、そんなもの遅すぎる忠告だと心中で悪態をつく。

 本当に大切だったものはとっくの昔になくしてしまった。なくしてしまったから、自分はこんな生き方をしているのだ。

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