37.明けた先には
休校が続いていた学園が再開されたのは、ようやく初夏の気配が色濃くなってきた頃だった。
春の中間考査は当然延期され、生徒たちは「再開初週からいきなりテストかよ……」とぼやきつつも、久しぶりの教室の空気にどこか安堵の色を浮かべていた。
「……考査の結果、また一番だったね」
「土御門くんこそ、そろそろちゃんと実力を見せたほうがいいですよ」
浅葱はひと気の少ない中庭の端で、腰を下ろしている。
その隣に立つの紅子で、彼らは考査の結果をエントランスで見てきた直後であった。
結果は前回と同じで紅子は中等部一位、浅葱は高等部三位だった。
当然の結果だとは思っているが、なぜか紅子は浅葱のその結果に不満を示しているようだ。
「僕の実力は、掲示板通りだよ。同じクラスに、トップの人がいるからね」
「……それでも今回は、きっとあなたが手を抜かなければ一番でしたよ」
「はは……そう言ってもらえるのは、悪くは無いかな」
手を抜いたわけではない。
――そうなのだが、若干だけ、そうしてしまった自覚はあるらしい。
理由としては目立ちたくはないというものであったが、おそらくはクラスメイトの彼に気を遣ったという点もあったのだろう。
「土御門、幸徳井……どちらも、重い名です。……私は、少し前まで幸徳井という名前が嫌いでした」
「……それは、僕もだよ」
「ふふ……私たちは、ちゃんと変われたんですね」
「そうだね」
土御門の重荷を背負いたくなかった浅葱と、幸徳井であることを課せられていた紅子。
彼らはとても似ていたし、だからこそ紅子も盲目的に浅葱をライバル視していた。
現在では、彼女は母の言いなりになることはやめたらしい。
「……そういえば、兄が蘆屋会の残党洗いを秘密裏に行っていたのですが、ほぼ壊滅状態とみて問題ないと教えてくれました」
「そっか……でも、いつかどこかで、その遺志を継ぐ人も出てくるかもしれない。僕も完全に器としては解放されてるわけじゃないし、気を付けておくよ」
「幸徳井家も変わらず力になりますので」
「ありがとう。……それから、個人的にだけど、琳とも仲良くね」
「……え、あ……は、はい」
浅葱は自分のこと以外であれば、勘が鋭いほうだ。だからこそも迷わずそう告げたのだが、どうやら間違いではないらしい。
まだ始まったばかりなのだろうが、紅子はやがて、琳を特別な存在としてみていくのだろう。
――後から分かった話だが、浅葱の両親はやはり蘆屋の者であった。
彼らは浅葱を最初から贄か器として使うために結婚し、浅葱を産んだらしい。
その企みを早い段階で見抜いていた匠の父――浅葱にとっての伯父は、タイミングを狙って浅葱を土御門本家へと引き取った。両親は死んだと聞かされていたが、蘆屋会の思想にのめり込み過ぎて狂気の果てに自害したと聞いた。
その事実に驚きはしたが、最初から両親の記憶が曖昧で愛情すら感じていなかった浅葱にとっては、どこか遠い昔の話ような感覚で真実を受け止めてもいた。
以前に浅葱が調べ物をしていた古書の中に蘆屋の本が混じっていたのが、彼の両親がわざと差し込んだものであったらしい。
今でこそ腑に落ちる件ではあるが、何かに没頭するあまりに道を外すという事は、案外容易くできてしまいものなのかもしれない。
(だからこそ……僕は、しっかりと前を向いて歩いて行かなきゃ……)
浅葱はそこでまた決意を新たにした。
意固地になっていた過去の自分は、もういない――。土御門の者として、浅葱の名を継いだ者として、この先の未来もしっかりと見据えていくつもりなのだ。
◆
幸徳井の屋敷、静柯の部屋にて。
何らかの術が柔らかく弾けて、室内を満たしている光景を、諷貴が黙って見ていた。
「ようやく、戻りましたね」
「……あ、アタシの、体……ちゃんと、戻ってる……」
「藍……!」
傍にいた兄の琳が、抱きついてきた。
いつもは冷静な態度の彼も、やはりこうした場面には弱いのだろう。
「よく頑張りました。あなたの魂そのものが傷ついているわけでは無かったですし、賀茂浅葱がある意味での昇華を迎えたからこそ――あなたを戻せると確信していたのです」
「……ありがとうごさいます、静柯さま」
「これでようやく、颯悦にも会えますね?」
「う……それについては、その……今は触れないでください」
痛いところを突然に突いてきた。
昔からそうであったが、静柯にはこうした空気がある。誰もが忘れかけていた些細なことすら一度も忘れず、こうして笑顔で刺してくるのだ。
藍と颯悦は、恋人同士である。
だが、禁を破った罰のために、彼女は自ら颯悦には会わないようにしてきた。いつかに『話をしたい』と言われていた時も、今は忙しいからと躱してしまい、そのままだったのだ。
「……さて、琳、藍。これであなたたちは自由ですよ。土御門の元に帰るのも良し……」
「あの、静柯さま」
「はい」
「アタシは、このまま……紅子の式神として、正式に契約を結んで、残りたいです」
「僕も同意見です」
藍の視線は、しっかりと静柯を見据えていた。
もう何年も生身の身体の感覚を味わっていなかったというのに、さすがは天描族であると言ったところか。
意思を固めている双子は、同じような姿勢で揃って頭を下げ、静柯の返事を待つだけだ。
「浅葱はそれでいいと言いましたか?」
「僕から、昨夜にお伝えしました。寂しそうにされていましたが、僕たちの意思を尊重すると……」
「そうですか」
かつては浅葱のためにと暴走し、過ちを犯した自分たち。
それでももう一度やり直すことを選びたいと、そう思わせてくれたのは目の間にいる静柯だ。
「わかりました。こちらで受け入れましょう」
「ありがとうございます!」
「ふん……一気に騒がしくなるな。まぁそれも、静柯の予想内だったんだろうさ」
静柯の唯一の式神である諷貴は、壁に背を預けつつ浅く笑った。
主の決めたこと、考えたことには基本的に口を出さない――そうしたほうが、面白いことになると彼は確信しているのだ。
◆
その夜、浅葱は一人、縁側に腰を下ろしていた。
彼の式神たちは、夜間の見回りに赴いていて今は朔羅しか土御門家にはいない。
「……はぁ」
思わずのため息がこぼれた。
色々あって、ようやく落ち着いたと思った矢先に、小さな別れがあった。
琳と藍が浅葱との契約を終えて、幸徳井家へと行きたいと言ってきたためだ。
浅葱はそれに対して笑って承諾したが、いざ印が消えてしまうと、寂しいと思うのも当然だ。
「いつでも会えるよ」
「……朔羅」
朔羅が姿を見せて、そのまま浅葱の隣に腰を下ろした。
彼らの関係は相変わらずだが、浅葱も朔羅もそれで良しとしている。ただ、不意打ちでキスをされてしまうのは、どうしても慣れないようだ。
「でも、これも……僕たちの成長の一つ、なんだろうね。僕は僕で在り続けるし、琳と藍だってきっと……紅子さんのところで、うまくやっていくと思う」
「そうだね。君もきっと、これからも色々あると思う。だけど、僕がいる限りは大丈夫だからね」
「……うん。その、ちゃんと頼りにしてるから」
浅葱がかすかに頬を染めてそう言うのを、朔羅は満足そうに聞いて目を細めた。
そうして彼は主の肩へと腕を回して、自分のほうへと引き寄せる。
浅葱もそれに逆らわずに、朔羅へと身を寄せてから、ゆっくりと瞳を伏せた。
この先もこんな風にして自分たちの距離は縮まっていくのかもしれない――そんなことを考えながら、朔羅と二人きりの時間を大事に過ごしていた。




