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夢月夜 Re:或いは新しいモノ  作者: 星豆さとる
第三章(終章) 継明の暁

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36.執着の果て

 ここは、市内のいずれかに存在する、ある寺の一角であった。

 空は燃えるような橙から藍へと変わる時刻であり、人気はない。風すら吹かぬその場所に、白雪はとある確信をもって佇んでいた。


「……ここにおるのだろう、月梅の君(つくばいのきみ)


 呼ぶ声に応えるように、境内の影が揺れた。いくらかのひずみを経て姿を見せたのは、名を呼ばれた月梅だ。

 彼はは、白雪を見て口角を上げてから一歩を進んでくる。


「やっぱり来てくれたんだね、白雪。……なんだかもう、これだけでいいかなって思えてきちゃったよ」

「ここにはもう、何も残ってはおらぬはずだ。それでも、まだこの地に執着するのか」

「執着? ……そうかもしれないね。おれは……あの頃の『私』は、この寺で息を引き取った。死ぬことは怖くはなかったけど、あなたを残していくことだけが心残りだったんだからね」

「……そうであったな」

 

 この寺は、再建されたものである。多くの歴史が流れているために過去に何度か火災の被害に遇い、そういった経緯の元でだ。

 『どこかの若君』であった月梅は、この地で眠りについた。それを彼が憶えていたとは、少々驚きだと白雪は思った。

 ――月梅の姿は、かつてよりも薄く感じる。

 白雪のために、様々な無茶をしてきたのだろう。己の持ち合わせる力すら消耗しきり、心だけが残ったようなその様は、どこか痛ましかった。

 だがそれでも白雪は、ひとつも目を伏せなかった。


「そなたの想いは、もはや愛ではない。求めていたのは(わらわ)ではなく、自らの欠けた心を埋めるための幻影だったのだ」

「……そう言われたら、きっとそうなんだろうね。でも、消えてくれなかったんだ。白雪のぬくもりも、声も――全部、ずっとここにいたんだよ」

「…………」


 微笑む月梅の周囲で、影がざわつく。

 その歪みは、彼の心の底にある感情が滲み出したもの。制御できぬ瘴気が形を成し、周囲の空気をひどく濁らせていた。


「……やめよ、自滅するぞ」


 静かに言い放ち、白雪は扇を構えた。

 霊気が冷たい氷風となって、流れ始める。


「妾は、そなたを憎んではおらぬ。あの頃の気持ちも、確かに残っている。ただ、もう……終わらせねばならぬだけだ」

「……やっぱり、あなたのそういうところが……好きだったな」


 月梅は、そのままゆっくりと白雪へと歩を進める。影が集まり、彼の身体を蝕み始めた。


「最後に……君の手で、終わらせてくれるかい?」


 白雪はこくりと頷き、彼へと扇を向けた。舞を興じるかのようにしてそこでパラリと衵扇を広げ、目を閉じて一閃を舞う。


 ――氷の風が舞い、月梅の身体を覆った。

 あっという間に冷えていく体に、月梅が自嘲する。


「……愛しています、白雪」

「妾もだ、月梅の君。いつかまた、別の形で夫婦(めおと)となろうぞ」

「はい……」

 

 月梅の身体が崩れていく。それを見ながら、白雪は涙を流していた。その雫は頬を伝ったあと雪となり、地へと静かに落ちていく。

 この手で終わらせると決めていた事であったが、だがそれでも、悲しくはないと言えば噓になるのだ。


「……白雪」

「っ!」

 

 聞きなれた声がした。

 振り返ればそこには、朔羅を伴った浅葱が立っている。


「……終わったんだね」

「はい。……ようやく、でございます。妾自身も、迷いがなくなったようにも思えまする」

「そう……でも、少しだけ寂しいね」

「そうでございまするな……寂しく、思います」


 白雪の言葉は、微かに震えていた。表情は手元の扇で隠されてしまっていたが、溢れてくる感情には逆らえなかったのだろう。

 浅葱は彼女を心配して手を差し出そうとしたが、それを止めたのは朔羅だ。


「……一人にしてあげよう」

「うん……」


 朔羅は浅葱の肩を抱き、その場を離れていった。家に戻ったというわけではなく、少しだけ離れて白雪の気持ちが落ち着くのを待つつもりらしい。

 主としての姿勢に、白雪は感謝するとともに、少しだけ彼らに甘えた。

 忘れかけていたかつての慕情が、溢れ出てくる。

 それを悲しみだけで終わらせなかった今の自分と、主の存在を改めて誇らしく思うのだった。


 

  ◆



「――あちらでは、一気に色々なことが起こったようだな」

「ですが、空間転移を行う者の気配が消えたことは確認できました。おそらく、これ以上の被害は出ないものかと」

「そうか……」


 王帝・賽貴の屋敷の一室である。

 彼の唯一の配下である鴉と、何故か実兄である諷貴がそろって姿を見せていた。


「それで、兄上は私をからかいに来たのですか」

「……俺がそんなに暇人に見えるか、賽貴よ。せっかくお前の『浅葱』を連れてきてやったのに」

「!?」


 諷貴がそう言うと、立てかけてある几帳の向こうから、姿を見せた影があった。

 ――紛れもない、賀茂浅葱である。


「……、浅葱、さま……」

「はい、……私、です」


 魂だけではない、何かの力を借りて見せている姿でもない。あの頃と変わらぬ着物に身を包んだ――浅葱自身だ。

 褐返(かちかえし)色の長い髪と、碧玉の瞳を見るのはいつぶりだろう。


「兄上、どういうことですか」

「土御門の浅葱が頑張った証拠……とでも言えばいいのか。空から一部始終を見てはいたが、俺にも原理はわからん。ただ、浅葱を諦めなかった感情ってヤツが、こうして成就したんだろうさ」

「……、……」


 さすがの賽貴も、ひどく動揺している。

 様々な背景を知っている鴉は、空気を読んでいつの間にかその場から姿を消していた。

 そうして諷貴も、立ち止まったままの浅葱の背を押してから姿を消す。


「……これからは、あなたの傍に、いられるみたいです」

「浅葱さま、お身体への負担は……」

「そちらも、平気みたい。……よく、憶えていないんだけど……あの子(土御門浅葱)が、そうしたらいいよって……」


 浅葱自身も、どうしてこの場にいられるのかが不思議でならないのだろう。

 転生がかなわぬ身となってしまってから、このまま永遠に生と死の狭間から抜け出せず、いずれは意識さえも朽ちてしまうと思っていた。

 だがそれでも、こうして賽貴の目の前にいる。


「……触れても?」

「うん……賽貴」


 賽貴はそう問いかけながら、浅葱を腕へと招いた。

 確かなぬくもりをしっかりと確かめて、強く抱きしめる。


「……っ、浅葱さま……!」

「賽貴……待たせて、ごめんね……これからはずっと、傍にいるから……っ」


 二人はどちらからともなく、目に涙を浮かべていた。

 互いに強く抱きしめ合い、言葉を紡ぐ。

 この先もずっと一人きりで過ごすかと思われていた王帝の、唯一望んでいた存在が確かに戻ってきたのだ。


 賽貴と賀茂浅葱は、今静かに二人だけの時間を過ごすために、歩み始めた。

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