32.一閃の誓い
浅葱たちの通う狭霧学園南の、旧校舎跡。平屋の建物は特別校舎として残されていたが、数年前に地震が起こり現在は平地となっている。
学園長でもある浅葱の伯父が帰国後、妖魔の出現ポイントとして悪用されないためにと封印を施した場でもあるが、そこに異様な気配が突如現れた。
「……やはり、賽貴殿の懸念どおりか」
小さくそう呟いたのは、周囲の見回りを行っていた浅葱の式神、颯悦であった。彼の瞳には光は宿らないが、その分歪な空気を誰よりも先に感じ取ることが出来る。
しばらくの間、学園内やその周辺の警戒を怠らないでほしいと、賽貴から聞いていた。だからこそ立ち寄ったのだが、まさに当たりと言わんばかりの状況である。
「濃い瘴気……あの時の、襲撃と同じ……!」
すぐに刀を抜き、間合いを測る。影は三体――だが、ただの妖魔ではない。動きは早く、それでいて気配が重い。
幾重にも重ねたかのような――歪のモノの影だ。
「数で押す気か? いい度胸をしている」
刃の無い刀に、風の力が宿った。空気を刃とする颯悦の武器は、精神統一と共にでしか発揮が出来ない。
その颯悦が深く呼吸をした直後、次の一歩を出そうとしたその瞬間に、横合いから風が奔った。
「……!」
ひと振りの扇。そこから生まれる風の斬撃が、影のひとつを弾き飛ばす。
「――遅い」
小袿の裾をスッと払い、凛とした声を発したのは白雪であった。目は据わり、迷いの影は一切ない。
「まだ休んでいなくて良かったのか」
「おぬし一人では心配でな」
「……揶揄いの言葉が出るとは、安心した」
「ふふ。……さぁ、残りを仕留めようぞ」
二人はそんな会話を交わしながら背中を合わせ、同時に妖魔の影へと突っ込んだ。
空を裂く風と刀の連携は絶妙である。颯悦の一撃で動きを止め、白雪の扇がその身を吹き飛ばす。数瞬で決着がついた。
そして、静寂が戻った――と思ったその時だ。
「――ふぅん、さすがだな。やっぱり『おれの』白雪だ」
声が上空から降る。
校舎側の屋根の上に制服の男――月梅が、嘲るように笑って立っていた。
「……来たか」
「……、……」
白雪は一歩前へ出た。
颯悦が止めようと手を伸ばしかけたが、彼女の横顔を見て、何も言わなかった。
「そなたは何を思いこの行動をとるのだ? 歪められた妖魔を戯れに弄んで、愉しいか」
「別に。こうしろって言われたからやってるだけで、おれは白雪以外はどうでもいいんだよ」
「それは『愛情』だと言うのなら……。妾はそなたを拒絶する」
「――そうやってまた、拒むんだね」
月梅の顔から笑みが消えた。気配のみでそれを感じていた颯悦が、眉根を寄せる。
歪み方は朔羅と似ているが、それ以上に――彼の白雪への執着が盲目的だ。
(なんと、危うい……積年の一途な想いが、このような形として現れるとは)
颯悦とて思慕を知らぬわけではない。彼にも特別な存在がいる。現在は紅子の式神として収まっている藍がそうだ。
琳と藍が過ちを犯し、体を共有しなくてはならなくなったあの時から、颯悦は一歩を引かざるを得なくなった。藍自身が嫌だと拒絶し、颯悦自身も無理強いはせぬと決めて、距離を置いている。
だがそれでも、彼女を想う気持ちは少しも揺らいではいない。
「……気をつけよ、颯悦」
「!」
月梅が動く気配がした。
彼が手をかざすと、影が再び沸き出す。しかしその形は、白雪自身――かつて彼女が最も傷ついた時の姿だった。
悪趣味にもほどがある。
「歪のみかと思うたが……姑息だな」
「『あなたの心』から引きずり出したんだ。どれだけ否定しても、これは『あなた自身』だよ」
幻が唇を開き、静かに囁いた。
『月梅の君の腕に収まった瞬間、そなたは悦んでいただろう? 心にいつまでも残り……永遠にこの悦楽に浸っていたいと思うたはずだ』
「…………」
白雪は、目の前の自分が零す言葉に、少しも動揺を見せていなかった。
心では多少のブレはあるものの、表には決して出さぬという気概はしっかりとあるようだ。
『――すべてを捨て、妾に戻るがよい。月梅の君だけは、そなたを裏切らぬ……』
幻影の自分が、すらりと手を伸ばしてきた。
おそらくこの手を取れば、彼女は再び月梅の君に堕ちてしまうのだろう。
だが彼女は、これ以上堕ちはしない。
「……確かに、妾の中にある唯一の後悔と迷いだ。だが、妾はそれを抱いて生きてきた。消し去りもせぬし、飲まれもせぬ」
閉じた衵扇を影に向けて、白雪は言い切った。
すると、幻影の影はゆらゆらと形を保てなくなり、ぐしゃりと変容してしまう。黒い大きな塊の、歪な妖魔に戻ったそれは、弱々しくも見えた。
「やはり、心の隙をつくための幻であったか。妾は容赦はせぬ」
白雪の扇が、幻を両断した。妖魔は声すら上げられずに、その場で四散する。
その様子を見ていた月梅が、一歩を後ずさった。
「……白雪。あなたは、変わってしまったんだね」
「そうではない。変われぬのは……そなたのほうだ、月梅の君」
「っ!」
変化は場合によっては必要なもの。
愛情と混同してしまえば、曖昧にもなってしまう。
だからこそ白雪は己の心を戒め、かつての想い人にひるむことなく対峙した。
――それを許さなかった月梅は、悔しそうな表情を浮かべつつ、その場から姿を消した。




