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夢月夜 Re:或いは新しいモノ  作者: 星豆さとる
第三章(終章) 継明の暁

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30.白き契り、黒き執念

 霧の立ち込める夜明け前、土御門邸の中庭に、ふわりと空気が揺れた。浅葱は瞬時にそれを感じ取り、自室を静かに出てその場に立つ。

 白雪が、自らの力でこちらに帰ってきた。

 その姿は、かつてと何ひとつ変わらない。新しい衵扇を片手に、艶やかに一閃を描いて顕現する。

 だがその瞳だけは、以前よりも深く澄んだ静寂を湛えていた。懺悔でもなく、悲哀でもない。覚悟の滲んだ気高さだった。


「……おかえり、白雪」


 出迎えた浅葱が、小さく言葉をこぼす。その響きは、確かに彼女に届いていた。

 白雪は深く一礼すると、静かに彼の前へと進み出る。


「主殿よ。妾を、再び召し抱えてはもらえませぬか」


 問うようでいて、それは願いではなかった。自らの足で戻ってきた者の、誓いだった。


「……こちらこそ。僕に、また力を貸してくれますか」

(わらわ)の力の及ぶ限り……」


 浅葱は頷き、小さな笑みを浮かべて片手を彼女に差し出した。白雪の眼差しがわずかに和らぎ、彼女もまた手を差し出す。

 重ねられた手のひらに収められたものは、あの房紐であった。新品同様な設えをしているのは、やはり浅葱の力に寄っての修復だったのだろう。


(妾の傍にあったものが、いつの間にか消えていた……この為だったのだな)

 

 式神の契りは、主の血と霊力にて成される。だが今回は、それを経ずとも良いほどに、二人の魂の縁は深く繋がっているようにも感じた。

 浅葱が白雪が手にしていた衵扇の先に、房紐を結びつける。その瞬間、浅葱と白雪の魂が呼応し合い、深い精神世界の中で再び巡り合えたかのような感覚を得た。波動は波紋のように大きく広がり、他の式神たちやその他の生命体などにも、深く温かいものとして伝わったようだ。


「……再びこの身は、主殿のために……」


 白雪がそう呟きながら、静かに膝を折る。

 そうして浅葱は、彼女の背中側へと歩みを寄せて、自らも膝を折った。


「土御門浅葱の名のもとに命ずる。雪華の姫よ、我の元に再び応じよ」

「……仰せのままに」


 浅葱が手を翳すと、着物越しではあったがその背中に再び光が灯る。

 柔らかな霊光が形を取り、かつて刻まれていた『(キャ)』の梵字が、ふたたび白雪の身に宿った。


「……で、出来た……よかった……」

「感謝申し上げまする、浅葱どの」


 浅葱にとっては、これが初めての契約の儀式ともなった。理屈でない行動を自然と行えたこと自体に、自然と笑みがこぼれてしまう。

 ――再び、共に在れる。

 そう感じられることが嬉しかった。白雪も同様にそう思っており、慈愛の笑みをくれている。

 土御門浅葱は無能に非ず。式神たちの誰もがそう確信している。

 そうして――白雪との再契約が行われたその瞬間に、ほんの一瞬だけではあるが他にも呼応した魂があったのだが、それは今は誰も気づけずにいたのであった。

 

「戻ってきてくれて助かったよ」

「おや、朔羅ではないか」


 その場に送れて姿を見せたのは、朔羅だった。

 彼は最初からその場には居たのだが、敢えて姿は隠していたのだろう。


「これでも、心配してたんだよ」

「すまぬな」

「いや、事情が事情だしね。……でも、僕らのところに白雪ほどの薬師が全く居ない状況下というのは、不安要素が多すぎるよ」

「……そうであるな。妾自身も、それを痛感した。役目を苦痛だとは微塵とて思わぬが、この先もしかと全うせねばな」


 朔羅と白雪のそんな会話を、浅葱は少しだけ離れた場所で聴いていた。

 彼らは旧知の仲だ。その他の式神たちもそうだが、長い歳月の中で築き上げた信頼と絆は、言葉だけでも重みがある。


「これからは万が一のことも色々と考えておこう。僕はそれらも踏まえて、幸徳井(こうとくい)家へと行ってくる」

「まだ早朝ではあるが……まぁ、静柯(しずか)どのなら、もう座して待っているであろうな」

「笑顔で『遅いですよ』って言われそうで、ちょっと怖いよ」

「……、あの、僕も、一緒に行っていい……?」


 冗談めかした会話の中に、浅葱は遠慮がちに割り込んできた。

 白雪も朔羅も静かに驚いていたが、すでに想定内だったのだろう。小さく頷いたあと、白雪は一歩を下がり、朔羅は浅葱へと一歩を進ませてくる。


「そうだね、浅葱さんは静柯さんとは挨拶したことなかったもんね。いい機会だし、一緒に会いに行こう」

「うん、ありがとう……幸徳井さん、えっと……紅子さんにも、逢えたらいいな」

「きっと会えるよ」


 朔羅はそう言いながら、軽々と浅葱を抱き上げて地を蹴った。

 獣族特有の身体能力の高さには、浅葱はいつになっても慣れないままであった。

 


   ◆


 

 魔界と現世を隔てる『境』――その歪みに、一人の青年の影があった。

 かつての『月梅の君』、現在は狭霧学園の一生徒でもある彼は、かの『蘆屋会』とも通じているとされる男だ。

 だがその青年の瞳には、組織的な利害よりも、狂おしいまでの執着があった。


「白雪……結局、あっちに戻っちゃったんだね……まぁ、いいさ。これからは何度だって彼女を抱ける」


 虚空に向かって、独り言を漏らす。

 残念そうな響きには聞こえず、彼の口元を見れば歪んだ笑みが浮かんでいた。


「ある意味では、お前の望み通りではないのか」

「……一時だけだって、最初に言ってあったでしょ? 門番のルールっていうのはね、君たちのような凡人(ヒト)には決して覆せないモノなんだよ。強制力……とでも言えばわかるかな」

「ふん……気味の悪い。だが、まぁいいだろう。堅牢であった賀茂家の均衡が一時でも崩れたのは僥倖ともいえる」


 歪みの中から聞こえた声は、何かを通して声のみを届けているようであった。

 おそらくは、『蘆屋会』の要人の一人なのだろう。

 賀茂家の血筋を根絶やしにする――という彼らの野望自体には、月梅は同意していない。というより、彼自身にとってはどうでもいいことの一つでもあった。

 この蘆屋会に与しているのも、ある程度の利害が一致するのみの話であり、彼にとっては白雪さえ自分の手に落ちてくれれば他はどうなっても構わないと思っているのだ。

 

(……しかし、蘆屋の者たちも回りくどいことをするんだな。かつての賀茂浅葱の復活を望んでおいて、自分の手でその命を刈り取りたい、なんて……)


 月梅は心でそう呟くも、表面上では冷ややかに笑うのみであった。

 賀茂浅葱がどうなろうと、例え人間界が混乱に陥ろうと、知ったことではないのだから。


「さぁ、次のステップに進むとしよう……そなたの空間転移、まだまだ使える余地があるからな」

「……おれは白雪さえ手に入れば、なんでもいいんだけど……まぁ、出来ることはするよ」


 歪んだ愛情を咎めるものはその場には居ない。

 だからこそ彼は、自身の野望のままに一歩を進むのだ。


 

   ◆



「こちらでお待ちください」


 幸徳井家の者に客間へと通された朔羅と浅葱は、緊張した面持ちで清閑な空間に身を縮める――とはいえども、それは浅葱のみだ。


「固くならなくても大丈夫だよ」

「で、でも……さっきの使用人さんだって、すごく冷たい空気持ってたし……」

「まぁ、それは仕方ないだろうね。幸徳井っていう名前を掲げる家である以上、家主の影響っていうのも少なからずはあるだろうし」


(……土御門とは、事実上のライバル同士……紅子さんのお母さんは、かなり厳しい人みたいだな)

 

 浅葱がそんな思考を続けていると、奥のふすまがすらりと開いた。

 その奥から姿を見せたのは、着流し姿の静柯と――その妹である紅子である。


「お待たせしてしまいましたか」

「いや、こちらこそ何の連絡もなくごめん、静柯さん」

「いいえ、もう来るだろうと思っていましたし――遅いですよ、朔羅」

「……、はぁ、言われるとは思ってたけど、……本当に言ってくるなんてね」


 静柯は清楚な見た目の好青年と言った印象であった。

 笑顔も優しいが、言葉の端に冷たさがある。それを感じていると、静柯が浅葱へと視線を向けてきたのだった。

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