寄り添うふたり、訪れる嵐
降り注ぐ雨。
その中、畑を見つめていたふたりの魔術士ルシエルとアリシア。
造っても壊される、その虚しさを抱きながらもふたりは家の中へと戻る。
静かに雨が落ちていた時間は短く、あっという間にザーザー降りへと変わった。雲の流れが速い。速い上に、暗く厚みのある雲が覆っている。いよいよ急がなければ、ふたりはびしょ濡れになる。アリシアはルシエルの服の裾をちょいちょいと引っ張り、家の方を指さした。
「ルシエル、家に戻ろう?」
「……」
「ルシエル?」
よいしょ、と右手でルシエルの胸元を押し、相手との間に距離を置くと、アリシアは少し腰を落としてルシエルの顔を覗き込む。どこか遠くを見ているルシエルのコバルトブルーの瞳は、アリシアを捉えてはいない。風は次第に強くなり、アリシアの長く伸びた癖ッ毛をなびかせた。サイドの髪で前が見えなくなるため、アリシアは左手で髪を抑えもう一度男の名を呼ぶ。
「ルシエル。ねぇ、どうしたの? まだ、何か考え込んでる?」
「……せっかく造っても、自然の前では人工的なものはあまりにも無力だと思って」
「もう! だから、壊れてもまた作ればいいんだよ。何度でも、やり直せる」
アリシアは、ルシエルの両手をしっかりと掴み、ぎゅっと握りそのまま包み込んだ。ルシエルの手は白く細く長い。華奢な女性のような指だが、手のひらにはしっかりと剣だこが出来ている。ルシエルが戦闘訓練を積んで来た証とも言えよう。魔術士ではあるが、ルシエルはそれだけではなく、ありとあらゆる武具の扱いも身に着けており、戦場に置いてたとえ魔術が無力化されたとしても、武器ひとつあれば相手を覆せるだけの武術が備わっていた。いや、武器すら必要ないのかもしれない。どこまでも戦いの神に見込まれた人間だと、アリシアは内心で思う。ただ、決してそれを口にはしなかった。その言葉は、ルシエルを褒めるものではなく、ルシエルを追いこむものだと察しているためだ。
「やり直せるのは、人に与えられた才能かもしれないね」
「才能?」
「うん! だって、他の動物さんたちよりも、私たちはきっと上手くやり直せる」
「……」
「なんとなく、そんな気がするの……」
そこまで言って、アリシアはハッとして辺りをキョロキョロと見渡した。周りに動物が居ないかどうかを確認したらしい。その様子を、ルシエルは不思議そうに俯瞰的位置から確認していた。うっすらと口元が開いたのは、何かを言いかけたのか。それとも気を張り詰めていたルシエルの神経が、ほんの少しでも緩和されたからか。小動物のようにくりくりとした瞳と可愛らしい容姿をしたアリシアを愛おしく思い、ルシエルは握られていた手を解くと今度はルシエルからアリシアのことを抱き寄せた。突然の抱擁に、アリシアは目をぱちくりさせて首を傾げた。
「私……動物さんたちに、失礼なこと言っちゃったかな?」
「そうかもしれない」
「え!? やっぱり!? どうしよう……」
「……いいんじゃないかな。アリシアのうっかりは、世界的に許される」
「ぷっ……なにそれ」
思わず吹き出して、アリシアは笑った。
(この笑顔が傍に居てくれるだけで……俺は、強くなれる)
ルシエルは内心、そう呟いた。
ザーザーと降り注ぐ雨が、肌に触れ弾ける感覚さえ心地よいものに感じていた。しかし、このままではアリシアが風邪を引きかねない。ルシエルは腕を解くと、アリシアの左手を握り、家に向かって足を進めた。
「戻ろう」
「うん!」
駆け足で戻れば、あっという間に家に着く。畑は家の真ん前だ。日当たりのいい南側につくってあった。ルシエルと、途中からアリシアも加わって一緒に開拓した畑だ。窓から外の景色を、アリシアはじっと見つめていた。その頃には、ゴロゴロと雷まで鳴りだしている。本格的に台風……嵐になりそうだ。
「すごい風だね」
「あぁ」
「この家……吹き飛んだりしないかな?」
アリシアがちょっとだけ笑いながらそう話したのは、家を造ったのが大工ではなく、初心者であるルシエルだからだろう。ルシエルは基本的に何でもこなせるし、器用な人だった。それでも、これだけの嵐はまだ経験していない。この家の耐久性はなんとも言えないところにあった。
「グリエスさんは、器用だったからな」
「パパは天才だもん」
「あぁ、そうだな」
否定しなかった。ルシエルから見ても、アリシアの父グリエスは理想的な父親であり、理想的な人間だった。料理や日曜大工の知識は、家族からではなくグリエスから教わったものである。自由時間がほとんどなかったルシエルにとって、グリエスとアリシアとの時間だけが、村で唯一の安らげる場所だった。
(それだけで、満足していればよかったのに……俺は、貪欲だな)
ぽた、ぽた……と髪から水が滴れる。その光景を見て、アリシアは一瞬「泣いている?」と思った。直ぐに駆け寄ることをしなかったのは、もし泣いていたとしたら、安易に踏み込んでルシエルの自尊心を傷つけてしまうかもしれないと危惧したからだ。ゴウゴウと鳴る風の中、ふたりの間には静かな沈黙が訪れる。
ぽた、ぽた……その滴の音だけが、時を刻む。
「……風邪、引いちゃうよ」
「……あぁ、そうだな」
ルシエルはフルフルとかぶりを振って、顔を二、三回パンパンと両手で叩いた。
(覚悟はしたはずだ。俺は、アリシアとの未来のために、村を捨てたのだから)
「ルシエル……」
パタパタと足音を立て、アリシアは一度お風呂場に姿を消した。それから程なくして、再び居間に戻って来る。手にはフカフカの白いバスタオルが用意されていた。
「はい、ルシエル。ちゃんと拭いて?」
「悪い」
「ううん、いいの。この家なら、きっと大丈夫だよ」
「……大丈夫、か」
ぽつり。
短くそう呟いた。
「大丈夫なはずだ。グレイスさん直々に教わった日曜大工の腕、アリシアも見ただろう? きっと、簡単には壊れないさ」
「うん! そうだよね!」
「それに……」
「ん?」
瞬きして、アリシアはルシエルの言葉を待った。ルシエルは、その微笑みに何度救われるのだろうと思いながら、肩を落として眉を下げた。
「壊れたら、また造ればいいんだろう?」
「! うん、そうだね! そうだよ!」
ぴょんぴょんと嬉しそうに跳ねるその様子は、野ウサギでも見ている心地だった。ルシエルはくすっと笑うと、アリシアからタオルを受け取った。そのままワシャワシャと髪をタオルで巻き込んでいく。アリシアも、自分で持ってきたタオルで髪を拭きはじめた。
「くしゅん!」
「大丈夫か? ちょっと冷えて来たな……薪ならあるから、火を焚くか」
「そこまで寒くはないよ?」
「身体も温まるから。そうしよう?」
「うーん」
「俺が、そうしたいんだ」
そう言われては……と、アリシアも微笑む。肩にタオルをかけて、ストーブの方へ移動した。その後ろに続いて、ルシエルもストーブまで歩み寄る。その隣には、幾らかの薪が置いてある。先に準備をしておいてよかったと、ルシエルはホッとする。まだ、冬までは時間があるが、少しずつ冷たい風も吹きはじめていた頃だった。女性は冷え性だとも聞くし、ルシエルとしても暖は大切にしたいと考えていたのだ。
「火を起こすのも、だいぶん慣れたよね。私たち」
「そうだな」
もちろん、魔術なしで火起こしをする。本当は、キッチンなどきちんと整えたいところだが、まだコンロを買ったりするゆとりまでふたりにはなかった。暖炉も薪をくべて石をカチカチ鳴らし、火だねをつくってから暖炉へ移すという原始的なものだ。この世界の文明は、確かにそこまで発展はしていないが、ある程度の不自由は解消されていた。ふたりに足りない物は資金と材料。そして、人脈……といったところか。
本来魔術士なら、魔術で火など簡単に起こせるものだった。特にアリシアは、火の魔力を強く受け継いでいる血筋だった。ルシエル自身はどの魔力にも長けているし、そもそも火を起こす程度のことは、神子魔術士であるふたりにとって、造作もないことなのだ。それをしないのは、「力」に頼らず生きていくと誓ったことにある。魔術士でなければ、こうして石や藁を使って、火起こしをするものだ。「魔術」という特殊な力などなくても、人は生きていけることを、ルシエルは証明したかった。アリシアもまた、その考えには賛同している。
「できた」
パチパチ……火の粉が舞う様子に、アリシアは手を翳しながら見とれていた。
「あったかい……」
「このまま寝るなよ? 着替えはした方がいい」
「うん……分かってる。でも」
「ん?」
よいしょと腰を下ろし、アリシアはルシエルの肩に首を垂れた。頭を付けてゆっくりと目を閉じる。冷え切った身体同士だが、くっつけば温かいものだとルシエルは思った。
「ちょっとだけ……こうしていたい」
「……あぁ」
照れ隠しのため、ルシエルは手元にあった薪をまたひとつ、暖炉の中へ放り込んだ。
赤く染まった頬を、アリシアは見ることなくそのまま静かに寝息を立てる。その様子に半ば満足しながら、ルシエルはアリシアの頭を優しく撫でた。
外は酷く荒れた空。
ふたりの間にだけ、静かで穏やかなひと時が訪れていた。
こんばんは、小田虹里です。
とても久しぶりにこちら、1122の日に更新することが出来ました。
たまたま昨晩、眠れなくてこの作品を読み返していました。
そして、「そういえば、明日は1122の日だ」と思い、この日を迎えました。
いい夫婦の日。
小田は、恋人と子どもたち(ぬいぐるみ)と一緒に、穏やかに過ごしました。
いや、正確に言うと夜までひとりぼっちでしたけど。
あ、ぬいぐるみは居ましたよ!!^^
眠れなくて、朝、恋人を「いってらっしゃーい」と送り出して、
今日は小田は休みだったので、そのまま家の片付け、掃除をはじめ。
洗濯機まわしたり、掃除機かけたり、お風呂掃除したり。
布団干したり……そんなことをしていました。
非常に睡眠不足だけど、充実はした一日でした!!
帰りに恋人を迎えに行き、スーパーに寄って鍋の具材を買い。
帰宅してから恋人に作ってもらいました^^
小田、料理からっきしダメなんですよね(笑)
この「俺の女神さま」は、「最強の魔術士の憂鬱」の主人公ルシエルの、
若かりし頃を描いています。
かなり昔に書きはじめた作品で、細かい設定を忘れがちになっているので、
名称や呼び名がちょっとずつ他作品と見比べて違和感あるところがあるかもしれませんが、
目をつむっていただけるとありがたいです。
なるべく間違えないよう、他シリーズや設定を確認しながらの更新にはしていますが、
やはり時間が経ちすぎてしまっていて。
それでも、ルシエルさまもアリシアも、小田にとってとても大切な存在なので、
これからも大切に育てていきたいと思います。
ちなみに、1122の日にしか更新していなかったこちらの作品ですが、
今後は年1に拘らず、書きたいときに更新したいと思います!
憂鬱の方も、少しずつ書き起こしていきたいので、お付き合いいただけると嬉しいです。
それでは、恋人とご一緒の方、夫婦の方。
家族と一緒の方、今日はひとりの方。
皆さまにとって、素敵な一日となりますように。
2023.11.22 小田