熟れた果実、青い魔術士
アスグレイの村を、アリシアと共に飛び出したルシエル。
まだまだ幼く青いふたりは、お互いの主張をぶつけ合う。
流れゆく雲。ゆっくりと傾きはじめた太陽。冷えてきたこの寒空の中、ルシエルはこの気まずい空気を何とかしようと軽く咳払いをした。そして、つい先日完成させたばかりの木造平屋建ての家を指さした。それにつられて、アリシアも家の方に視線を送った。アリシアは首を傾げて瞬きを何度かした。
「どうしたの? ルシエル」
「冷えてきたから。風邪を引く前に家の中に戻ろう」
「今日は畑仕事はもうおしまい?」
「あぁ、終わりだ」
ルシエルは鍬を持ち上げれば柄の部分を右肩に乗せ、歩き出した。まだまだ、畑として土地を使うにしては、ほぐされていない。しかし、ルシエルとしては最愛のアリシアの手を煩わせたくはないと考えており、ひとまず家に帰って、冷えてきた身体を温めることを選んだのだった。そこまで冷えた空気というわけではないが、日が沈むのは確実に早くなっている。
アリシアは冷え性だった。女性には多いと聞くが、一ヶ月前に「アスグレイ」の村を飛び出してからというもの、食料不足にも直面してきた。食べるものが乏しければ、それだけ身体を動かすためのエネルギーも不足してしまうというもの。ルシエルは、アリシアの着替え用の服と、食料確保をするために、今出来ることを考えていた。
「ねぇ、ルシエル?」
「なんだ?」
「……また、ひとりで考え事してたでしょ」
「? どういうことだ?」
「どうもこうも……ルシエルってば、最近私のことちゃんと見てくれていない気がするもん」
ルシエルより幾分背丈の低いアリシアは、つぶらな瞳の色を陰らせ、うつむいていた。それを見てルシエルは首を軽く横に振り否定の意を示してから、後を続けた。
「俺は、アリシアのことしか見ていない」
「それじゃあ、ルシエルは鈍感すぎる」
「…………分からないよ、アリシア」
「……分かってる。ルシエルは、そういうひと」
アリシアのその嘆息まじりの言葉に、ルシエルは苛立ちこそ覚えなかったが、何よりも優先にして考えている相手から、そのような言い草をされると、どんな顔をして何を言えばいいのかが分からなくなった。眉間にしわを寄せると、気難しい表情を浮かべ、思考回路の復帰を待った。
「私ね、ルシエルを困らせたいんじゃないよ?」
「……」
「私はただ、ルシエルの力になりたいだけ」
「十分なっている」
「ルシエルは、私をなんだと思っているのかな」
「……?」
「私は、何もできない子どもじゃないし、動けないお人形さんでもないんだよ?」
そこまで言われ、ルシエルはようやくアリシアが言わんとしていることを覚ることが出来た。十五歳という若さのふたりだ。まだ、相手の心情をくみ取って動くにしては、幼いところがあった。
アリシアは、両手で抱えてきた森の中で集めた果実を落とさないようにしながら、家の入口までたどり着いた。木造の素人が造った平屋だが、きっちりとした性格のルシエルが少しのずれもなく木を組み、簡易的なドアだが、きちんと玄関まで用意してある。処女作にしては、十分すぎる完成度だった。ルシエルは、ことごとく完璧な要素を持つ人間であった。
しかし、やはり心の成長面だけは劣るものがある。人と向き合う機会がほとんどなかった為、仕方のないことといえばそれまでだ。五人兄弟であるため、外に出なくとも家の中である程度の小さな社会には触れているはずだった。しかし、他の兄弟から疎まれていたルシエルには、満足のいく付き合いというものが許されなかった。つまりは、心の成長率は低いといえる。
「私のこと。もっと信じてくれたっていいんだよ? 私のこと、もっと頼ってほしいし。私のこと、ちゃんと同等に見てほしいな」
「俺は、別にアリシアを邪険に思っていないし、出来ることは頼んでいる」
そういいながら、ルシエルはアリシアの手の中の果実に視線を落とした。
「ほら、森の中へひとりアリシアを行かせて、食料調達をお願いしている」
「一緒に畑仕事だって、やりたいもん」
「だから、それは大切なアリシアの手に肉刺ができてしまうから」
今度は、アリシアはぷぅっと頬を膨らませ、ルシエルが玄関を開ければすたすたと中へ先に入ってしまった。依然として、ルシエルはどうしてアリシアがこうして怒っているのかを、理解できずにいる。
こういったすれ違いが重なっていくと、恋人同士の絆がいくら堅かったとしても、ほつれはじめてしまうものだ。そして、気づけば取り返すのつかないところまでほつれてしまうこともあるだろう。
「お手伝いしたいのに、させてもらえない私の気持ち。きっと、ルシエルには通じないんだね」
「大変な仕事は、男の俺がやるべきだろう?」
「そういう考え、古いと思うな」
きっぱりと言ってしまうアリシアは、室内に入れば机の上に本日の成果をのせた。よく熟れた実から、甘い香りが広がっている。この辺りでは珍しくない果物だが、野生ではめったにない品種のひとつであった。
「男だから、大変な仕事を。女だから、楽な仕事を。そんな簡単に、割り切れるものじゃないと思うよ」
「それなら、どう分けるべきだとアリシアは言うんだ?」
「男女で持ってる基礎能力というか……力は、やっぱり違うものがあるよ? だけどね、一緒に頑張れるだけ、頑張りたいの。少しでも、傍に居たいって思うんだよ」
「さくっと終わらせたら、その後一緒に居られるじゃないか」
「その短い間すら、大事なんだよ」
「……後悔、しているのか?」
「え? 何を?」
ルシエルの突然の問いかけに、アリシアは反射的に聞き返していた。アリシアの瞳には、やけに元気がなく、落ち込んだ様子のルシエルの姿が映りこむ。アリシアは、そこまでルシエルを追い詰めることを言っていたのかと、自らの発言を振り返っていた。
「アリシアは、アスグレイの村で幸せになるべきだったのかな」
「ちがう、違うよルシエル! 私、そんなこと一言もいってない!」
「だけど、あそこに居ればもっとアリシアに相応しい伴侶と巡り合えたかもしれないじゃないか」
アリシアは、全力で首を横に振った。栗色のくるくるとした巻き髪がゆれる。
「私はルシエルがいいの! ルシエルだから、一緒に来たんじゃない。どうしてそんな、寂しいことばかり言うの?」
「俺は、アリシアには幸せになってほしいから」
「……ルシエルは」
「?」
「自分が幸せにする、とは言ってくれないの?」
アリシアからのその言葉を聞くと、ルシエルは自らが決心したはずのことを、どれだけ忘れてしまっていたのかと省みた。
村から連れ出してしまったのだ。自らが責任を負うこと当たり前のこと。幸せを考えて、「村に居るべきだった」など、どの口が言えたものかと奥歯を噛みしめた。
自覚せざるを得ない。自分は、「青い」と。
「アリシア」
「…………なに?」
「明日からは、一緒に畑を手伝ってほしい」
「!」
ルシエルは、自分の価値観でしか物事をはかっていなかったことに気づけた。そのため、アリシアが本当に願っていることにも気づけず、むしろ、その気持ちから遠ざけるような発言、判断を繰り返していたことにようやっと気づくことが出来たのだ。
まだまだ、熟れないふたりの魔術士。
ふたりでひとりの、半人前。
しかし、だからこそ求めあい、寄り添いあえるのだった。