少年少女のふたり暮らし
COMRADEシリーズ本編主人公ラナンたちが、レジスタンスを立ち上げるよりもずっと昔。
最強の魔術士ルシエルが、まだ、少年だった頃のストーリーです。
空は青い。ウロコ雲に秋を感じながら、少年は額から汗を流していた。もう、暑いという季節は過ぎている。直にもっと空気は冷たくなり、霜がおり、この近辺にある湖には氷が張られる頃だった。
アスグレイの村を飛び出してから一ヶ月。少年は、一緒に連れ出した少女とのふたり暮らしを、満喫していた。
少年の名は「ルシエル」という。世界と運命に選ばれた逸材と謳われる、天才魔術士だった。しかし、天才には天才なりの苦労と、不自由な生活があった。ルシエルは、その苦痛から逃れるために、すべてを……いや、唯一の自身の癒しであった「アリシア」だけを選び、残りを捨てて名も無き森の片隅で、自由を謳歌していた。
「こういう仕事は、俺の仕事じゃなかったからな」
愚痴のように聞こえるセリフだが、少年の目は優しく、口元にも笑みを浮かべていた。手には、鍬がある。つい五日前に完成した、木造の小さな平家も、ほとんどこのルシエルひとりが手作りしていた。裕福な家で育ったルシエルだったが、彼自身は金銭類や金目のものは、所持していなかった。そのため、一文無しでアリシアを養わなければならなかった。それは、承知の上で家を、そして村を飛び出してきたのだから、後は自分たちで力を合わせて、何とかしのがなければならなかった。
幸い、周りに資源はたくさんあった。森の中なので、ルシエルは魔術を用いて木々を加工できるよう、材木へと切り裂いていった。鉄は、土の中の砂鉄を化合していく。飲み水は、この時代には工場というものもなく、酸性雨などという問題も発生してはいない。ときは西暦で数えれば七千百年ほどだ。ただし、一度すべての文明も生物も滅びた世界と言われ、この世界は「ライエス」という神によって創生されたと言い伝えられている。正しい星の暦は、不明とした方がよいかもしれない。
黒く、少しゆとりのあるズボンに白いシャツを着たルシエルは、色素がやや薄い茶系の髪。ストレートで癖もなく、線も細い。耳を隠したボブスタイル。瞳は、海を想像させるような深い青。その青い瞳で今、捉えているのは雑草の茂った大地だった。
「ルシエル! 果物、集めて来たよ! 一緒に食べよう?」
「あぁ、アリシア……ありがとう。もう少し頑張ったら、休憩にするよ」
「そんなに汗だくで、大丈夫? がんばり過ぎは、良くないよ?」
森の奥から、両手で持てるサイズの籠に赤く熟れた果物を幾つか入れて、少女が歩み寄ってきた。彼女こそが、ルシエルが唯一「大切」だと認識していた、「アリシア」だった。ルシエルとは対照的で、栗色の髪に癖が強く巻き髪になっているアリシア。瞳は「青」だが、ルシエルよりも若干明るい色をしている。それでも、スカイブルーというほどの色ではない。光の加減によっては、同じ瞳の色にも見える。アスグレイの村では、基本的には皆「青い目」だった。
アリシアは、白いワンピースを着用していた。着替えも特にないため、森の中を散策すると、膝あたりの丈の服だが、土汚れしてしまう。ルシエル自身は、一張羅でも構わないが、アリシアの着替えくらいは、こしらえたいと思うところではあった。
「ねぇ? 鍬をもうひとつ作って?」
「どうして?」
「そうしたら、私も手伝えるでしょ?」
「…………」
アリシアにそう言われると、ルシエルは言葉を止め、ふっと息を吐いた。そして、作業を止めるとアリシアの目を見ながら言葉を続けた。
「そう言われると思って、ひとつしか作っていないんだ」
作業道具も、ルシエルの手製のものだった。日曜大工が得意だったわけではないが、アリシアの父親がそういうものが得意だった為、隣の家に住んでいたルシエルは、度々作業を覗き見し、ときには手伝わせてもらっていた。それが幸いし、今、存分に役立たせているというわけだ。
鍬を使ってルシエルは今、アリシアがこうして森の中を散策して果物などの食べ物を探し歩かなくても済むように、畑を作ろうとしていた。しかし、赤土ではなくあまり畑には適していなさそうな地面だった。そのために、イネ科やカヤツリグサ科系の雑草しか生えてこないのだろう。いや、雑草でも育つならば、何かしら種を蒔けば何とかなるのではないかという、プラス思考でルシエルは今、働いていた。
「ひとりでやるより、ふたりでやった方が早いのに……」
むぅ……と、アリシアは頬を膨らませる。自分だけ何もしていないようで、申し訳なくなっているのだ。しかし、ルシエルはそんなアリシアの心境にまるで気づく様子はない。
魔術の才能は誰よりもあり、大人も歯が立たない……まさに、神業。何万倍もレベルの違うルシエルだが、女心などには完全に疎く、「ひと」として大切な「こころ」が、幾らも欠けているのが青いというところだった。
「アリシアの綺麗な手に、肉刺ができるよ」
「そんなの、いいよ! ルシエルひとり、がんばるなんて……」
「俺はいいんだ。これくらいないと。アリシアを、こんな何もないところに連れ出したのは、俺なんだから」
「ついて来たのは、私の意思だよ? ルシエルのことが…………好きだからだよ!」
「…………あんまり、恥ずかしいことを言うなよ」
真っすぐ過ぎるアリシアを前に、ルシエルは顔を赤く染めないはずが無かった。自分の手が今、土でまみれていなかったら、思わず抱きしめていたところだろう。しかし、潔癖とまではいかなくとも、綺麗好きだったルシエルは、それをぐっと堪えた。アリシアとしては、土がつこうとも、ルシエルの温もりを感じたかった。双方で、価値観にズレがあることを、アリシアは感じていた。こういうところは、女性の方が多少は感強いというものがある。
「ルシエル。魔術で地面を抉ったりは出来ないの?」
「? 出来るけど…………何で?」
ルシエルは、急な提案に首を傾げた。しかし、アリシアは逆に聞き返されたことを不思議に思ったようで、地面を指さした。そして、「見て、見て」という言葉を詠唱にし、地面の表面を、軽く抉ってみた。それを見たルシエルは、アリシアが何を言わんとしているのかを理解した。
アリシアは、魔術で片付けた方が効率も良く早いと言いたいのだ。
「ダメだよ、アリシア」
「なんで?」
「魔術は…………使いたくない」
「……ルシエル」
ルシエルの青い瞳に陰りが見え、アリシアはすぐにしゃがみこみ、手で地面をサササ……っと、慣らした。自分が魔術の力で抉った部分を、平地に戻したのだ。今度は、魔術を使わずに……。
ルシエルは、「魔術」に頼ることを快く思っていないようだ。出来る限り、使わずに生活したいのだと、アリシアは気づいた。
魔術は、使えば使っただけ上手くなっていくものだ。依存してしまうものでもある。そうなりたくないと、ルシエルは思っているようだ。
ルシエル、アリシアともにまだ齢十五。まだまだ、成長するにはこれからという年ごろだった。






