パッシァ
「ペンギン二号さん、ちょっとカメラ持ってそこの氷塊の水の中の様子見てきてくれない?」
「りょー」
どんな仕事にも不平を漏らさずきっちりと期待した成果を持ってきてくれ帰ってきてくれるコウテイペンギン二号さんは素敵だ。ひょこひょこと寸胴な身体(小型のカメラをリュックのように背負っている)を揺らせながら歩いていき、バイカル湖の氷上に開けた穴に飛び込む可愛い姿を見送りながら私はそう思った。とはいえ、いつも二号さんとペアで働いてくれている一号さんは今日は非番であるので、その後ろ姿は少し寂しそうだった。
おっと、こうしていてはいけない。こんな寒い中、健気に頑張ってくれるペンギン二号さんのために私は私の仕事をしなければ。私は測量用の機材を運び込んでいる仮設テントに入ると中継モニターの周波数帯を調節した。数秒調節ねじをひねるとノイズ混じりであるが、氷塊の形状がモニターに映った。大きい。バイカル湖表面の氷の上に飛び出している円錐状の角に似た氷からは想像できないほど、水中から見たそれは氷山呼ぶにふさわしいほどの大きさだった。二号さんのカメラではその全貌を捉えきれない。湖底から浮かび上がってきた太古の氷塊に違いなかった。
「ビンゴ! 二号さん、そのまま氷塊を一周しておおよその大きさを測ってきて!」
マイクに向かって叫ぶ。私の班は最近目立った成果を上げられずにいたが、これほどの規模の太古の氷塊であればこれまでの業績不振を帳消しにして余りあるほどの成果が期待できる。私は吉報を伝えるために事務所の所長に電話をかけるが、通じない。
「もうっ、ウサギさんちょっと所長を呼んできてくれる? 居眠りしているかもしれないから」
「あいあいッス」
そう言ってウサギさんは猛烈な速度で氷上を駆けて行った。車で氷上を走って行くよりも早く事務所についてくれるだろう。
私は再びモニターに目をこらす。ペンギン二号さんの移動に合わせて氷山のアングルが変わっていく。氷山の表面は太陽の光を乱反射させて美しいターコイズの輝きを帯びている。いつ見ても神秘的な輝きだ。
途端、これまで安定していたカメラの向きが大きく変わった。その先には、バイカル湖固有の魚、オームリの影。これまでのゆっくりとした泳ぎから一転、獲物を狙うかのような、いや実際に狙っているのかもしれないが、鋭い羽さばきでペンギン二号さんはオームリめがけて突撃していき、
「あっ」私が声を上げた時にはオームリを咥えたペンギン二号さんが水面から勢いよく飛び出していた。
「うっうー」
魚を咥えた二号さんは嬉しそうに羽をばたつかせながら少し大きなオームリを丸呑みにした。
プルルルル。電話も鳴り出した。
「はい、成瀬ですがどなたでしょうか」
「あ、オレオレ。母さんお金が――」
「私にガキはいない!」ぶつりと切る。こんな時に限って余計な電話もかかってくる。
二号さんがペトペトぺトと近寄ってくる。
「ん、どうしたの?」
「カメラ落とした」フリッパーをばたばたさせてあっけからかんとした調子でいうペンギン二号さん。
「今すぐ取ってきなさい!」
「りょりょー」
再び氷の穴に二号さんを送り出し、モニターに目を落とすと二号さんが水中で落としたカメラからの画像が映っていた。最初、映った白い物が何か分からず、氷点下二十度の外気で凍ってしまった睫毛が目線に入り込んだのかと思ったが、違った。薄暗い水面の下、遠ざかっていく水面の光とは別の、氷山の中に何か光るものがあるのだ。
「宝石?まあ、後で解体してみたらわかるか」
そうしているうちにホバークラフトに乗った所長とウサギさんが戻ってきた。この氷山の発見者権利申請とカメラの回収をしたら日が暮れるだろう。今日の仕事はこの辺で終了になりそうだ。
★
バベルの塔が築かれてからもう四世紀が経った。そんな昔の人類に今でさえ困難であるほどの、かくも巨大な建造物を建てる技術があったこと自体が驚きではあるが、さておき、塔の建設は人類に取って大きな意味があった。
二十四世紀前、最初に作られたバベルの塔は創造主の怒りに触れて粉砕され、長らく人類の言語は不必要に多様化し、文明の発展は著しい遅延に見舞われた。
しかし、そんな混乱の世界が二十世紀続いた後、名も知れぬ救世主が現れ、全ての言語を統一し、再びバベルの塔を建築したのである。その救世主が作り上げた塔は小さく、神の門を目指すものでもなかったためか、或いは他の理由があるのかは諸説あるが、兎に角、今度は創造主の怒りに触れることはなかった。
もう一つバベルの塔が作られたことによってこれまでにない大きな変化があった。人類とその他の動物たちの間に明確な意味でのコミュニケーションが可能となったのだ。もちろん、声帯の大きさの問題もあり、哺乳類や鳥類以外の種の言葉はほとんど聞こえないが、それでも副次的に発生したこれらの種の言語の統一は人類の発展を促進させるものに違いなかった。
勿論、喋れるからといって脳の大きさの差もあるからペンギンさんやウサギさんが機械を巧みに使えるようになったわけではない。しかし、人間と共存していくためのルールを取り決め、労働の賃金体系を決めて単純作業や特殊な作業を彼らに代行してもらうことはできるようにはなった。例えば足の速いウサギは伝令、泳ぎの得意なペンギンはダイバー、鳥は測量や空撮などだ。
そして、私の所属する北極ペンギン事務所はバイカル湖に沈む太古の遺物探索を生業とする、昔で言うところのトレジャーハンターだ。ペンギンさんやウサギさんたちと一緒に日々遺物探索をしている。以前、所長に事務所の名前の由来を訪ねたことがあるのだが、その際には「北極にはペンギンはいない。ここに遺物もあるかどうかも分からない。だから俺たちは北極ペンギンの名前を掲げて伝説を探しに行くんだ!」などとほざいていた。これがまことに可愛らしい我が事務所の名前の由来である。
太古の遺物というのは第一次のバベルの塔建設以前の高度な文明の残り香のようなものだ。今はバベルの塔を維持管理する教会によってこれらの回収が行われている。過去の遺物には今の世界にとって危険なものも多く、協会はそれを回収して封印指定するか、或いは世に広めて広く活用するかを判断する。とはいえ、遺物は広域に広がっており、これを一つの教会で発掘していくのは難しいため、そうした泥臭い作業は我々遺物探索事業者に委託されているのだ。
バイカル湖には沈んだものを氷で包む不思議な性質があり、世界有数の遺物の発掘場所になっている。どうしてそんなことが起こるのかは今の科学では判断がつかないと専門家の人は言っていた。また、千メートル以上の深さにあるバイカル湖の湖底には多くの遺物が氷に包まれて沈んでいるとされているが、そこまで深く潜れる哺乳類はバイカル湖におらず、機械にしても現代の科学技術ではちょっと難しい。なので我々はもっぱら地殻の微妙な変化や地震などによって偶然に浮かび上がってきた遺物を発掘・教会へ申告して生計を立てている。
★
パッシァ(ロシア語:想いびと)と名付けられた氷山の分析は丸一週間かかった。まずその規模があまりにも大きすぎて測量用ダイバーのペンギンが足りなかったため新たにペンギンさんを二十八羽雇った。これまで頑張ってくれていたペンギン一号さんと二号さんをリーダーとして二チームを編成、氷山の測量と成分分析用サンプルのサンプリングをしてもらった。
次に非番のバイカルアザラシさんに出勤してもらい、潜水してもらって氷山底部がどんな状態になっているのかを見に行ってもらった。バイカル湖の深さを考えると水深は二百メートルではきかないほど深いかもしれなかったが、その場合は潜水艇を借りて調べに行かなければならない。潜水艇はぼったくりのようなレンタル費用がかかるため出来るだけ使いたくはなかったのだ。
その結果分かったことがいくつかある。一つは、氷山が円錐の底面を合わせたような構造になっているということだ。見た目にはそんな風には見えないが、超音波で反射波の状態をみたところ、氷の下に人工的な構造物が内包されていることが分かったのだ。間違いなく太古の遺物だ。
二つ目に、体積が桁外れに大きいことが分かった。縦方向に約二百六十メートル(バイカルアザラシさんに少し無理をして潜ってもらった)、横方向に約五十メートル、氷も含めたおおよその体積は一万七千立方メートルにもなる。とてもサルベージできる大きさじゃなかった。
これらのことから導き出せる結論は、とても零細の遺物探索事務所である北極ペンギン事務所では手に負えないという事実だけなのだが、「成瀬くん、これは世紀の大発見かもしれないのだよ? ここは我々の手だけで調査して名誉を独り占め、いや二人占めしようじゃないか!」という強欲の極みのような一言で単独事務所での調査を断行することになった。
「こんな大規模な遺物の調査なんてうちじゃ無理だと思いますよー。全体の調査が終わるまで数ヶ月、表面削っていって内部調査まで完了するのに一年か最悪二年はかかりますって。所長、企業体力って知ってます? 調査している間に潰れますよ、ウチ。ただでさえペンギンさん沢山雇っちゃったんですから」
「オームリでも食べさせておけば満足するのでは?」
「労働法に従って裁かれろクソ経営者」早く失職してくれと心の中で付け加える。
かくして、巨大遺物パッシァの調査プロジェクトが始まった。プロジェクトメンバーはクソ経営者、私、ペンギンさん達(三十羽)、ウサギさん、バイカルアザラシさん、以上。
絶望的だ。
★
表面の画像の解析が終わり、全景の3Dモデル画像が出来上がる頃には一ヶ月が経過していた。かなり急ピッチでデータを取ってもらったからペンギンさん達はもうクタクタになっていて、今はみんなでハドルを作っておしくらまんじゅうしている。水中の画像収集が終わればペンギンさんの仕事は殆ど無いから明日あたりにでも臨時で雇い入れた二十八羽に給料を渡してリリースしよう。
「氷山全体の3Dモデルを見てもらうと分かりますが、構造物の表面は氷に覆われており、氷層の厚みは様々ですけ平均すると約二メートルの厚みになります」
事務所の会議室にあるモニターにパッシァの3Dモデルを映しながら事務所メンバーに説明していく。ペンギン一号・二号さんは時折頭を左右に振りながら何処かを見ているし、ウサギさんは耳をひくつかせながら目を閉じており、バイカルアザラシさんに至っては長期休暇を取って不在。私を除く唯一の人間である所長は分かっているのか分かっていないのか、腕を組みながら不必要に頻繁な相槌を打っている。
「――っで、氷層の厚みにはムラがあり、一番層が薄いのはバイカル湖上に飛び出している円錐状の先端付近になります。これは湖底からの浮上時にバイカル湖表面の氷層と激突した時に剥がれたせいかと考えられます」
「では内部の探索は地上の氷層を削って行えばいいのか?」
「いいえ違います、所長。3Dモデルを見てもらえば分かると思って説明を省いたのですが、この内部構造物の中を探索するためには内部に侵入するための入り口から入る必要があります。以前、報告したとは思いますが、入り口と思われるハッチ状の構造はここ、水深三十メートルの地点にあります。表面がツルツルと光っているので分かりやすくなっています。まずはここの氷層を切除していく必要があります」
「さっきから言い方にトゲがあるような気がするんだが……」
「気のせいですよ。兎に角、水中で除氷作業出来る機器の手配は所長にお任せします」
「えっ? その間成瀬くんは?」
「ここ一ヶ月分の振替休暇を取らせてもらいます。所長の準備が終わったら戻ってきますのでしっかり働いていてくださいね」
「ひどい! 俺だって暫く休みが無かったのに!」
「はいはい、勝手に言ってろ。後で必要機器のスペックをお送りするんで確認しておいてくださいね。ウサギさんとペンギンさん方も所長の仕事が終わるまで休暇ですよー」
「冬眠ー」ウサギさんにそんな習慣があっただろうか?
「繁殖しなきゃ」それはちょっと時間かかるからやめてほしいかなー。
各々勝手なことを言い出すこの事務所メンバー達でどうやってこんな大プロジェクトを成功させればいいのか、私には到底見通しがつかなかった。こんな状況下でもヘラヘラしている所長は実は凄い人物なのかもしれない、と内心馬鹿にした。
「へくしゅん!」
★
予想以上に所長の仕事が早く、私の長期休暇は一週間で終わりを告げた。
二月。ロシアでは冬の寒さの峠は越え、四月にはバイカル湖の氷も溶け始める。湖上に仮設の観測所を構えて作業できる時間はあまり長くない。船を借りて観測機材を積んでもいいのだがそれにはやはりお金がかかるから避けたい。よって遺産ハッチ部の除氷作業は急ピッチで進める必要があった。
所長が取り寄せた除氷機は直径⒈5メートルほどの丸い潜水ポッドに二本の細いロボットアームがついていて、その片手に掘削用のチェーンソーがついた簡単なものだった。表面の色褪せ方とデザインの古さから言って二、三世代は昔のものに違いなかった。
「ほんとにこんな骨董品、動くんですか?」
「動くか動かないかは問題ではない、動かすんだ! 手に入る中で一番安かったとは言え、結構高かったんだからな」
「お幾らー?」可愛らしいペンギン達が首を長くして聞いてくる。
「一ヶ月のレンタルで君らの月収の百倍くらい」
「ひえー給料ドロボー」
「給料ドロボーされたらうちの事務所は破産するしかないんだから、ちゃんと働いてもらうわよ!」
早速除氷機に乗り込んで作業を始めたいところだったがまずは除氷機を水中に入れるための穴を作らなければならない。所長にチェーンソーを渡して横三メートル縦二メートル寸法で湖氷の掘削をお願いして食事と仮眠をとることにした。所長はぐちぐちと不平を漏らしていたが、除氷機の操作はぶきっちょな所長にはできないから必然的に私の仕事になる。軽く破産するなんて言ったが、実際にこの一ヶ月の間に成果を出してお金を稼がないと事務所資産が尽き、給料の配布もままならなくなる。会計を司っている私には事務所存続に関わるデッドラインが見えていた。
もちろん、今回の発見を公表し、スポンサーを付ければデッドラインは先延ばしにはできる。しかし、そのためには事務所の規模や最近の業績などを公開せねばならず、企業体力が尽きかけている今の状況を見たスポンサーの方々に足元を見られた成果報酬を要求されるに違いない。そうなれば我々の手元に残るのは多く見積もっても全体の一割程度の小さな収益にしかなるまい。所長の弁ではないが、一世一代の成功に賭ける私たちに選択肢はなかった。
★
寝て起きて観測所まで歩いて行くと所長がドヤ顔して親指を立てているのが見えた。時計を見ると作業開始から五時間しか経っていなかった。まったく、所長は私が見ていないところでは予想よりも良い仕事をしてくれるから困る。いっそのこと労働の時間帯をずらして私と所長の二交代制で仕事をしていった方が効率的なような気になってくる。
「おー、良い穴できてるじゃないですか!」
「だろう?」褒めてほしそうな所長を無視して除氷機に乗り込む。
「じゃあ、まあ早速作業に移りますかー。一号さん、二号さん目標地点までの先導よろしく!」
「「りょりょー」」
画してパッシァの調査は始まった。
除氷機は古いわりにきちんと動いてくれた。ロボットアームが細く、振動吸収機能もなかったため、かなり除氷作業には難儀させられたが厚さ三メートル、縦横四メートルの除氷は私の活躍の甲斐もあり三週間で完了した。
今、私と所長はダイバースーツを着て入り口と思しきハッチの前に来ていた。ついでにペンギンさん達もいる。ハッチには離れた場所に二つの取っ手があり、取っ手はどうやら回すことができそうだった。所長とタイミングを合わせて回すとハッチはブクブクと泡を出しながら開いた。パッシァが水没してしまわないように開いたすき間からすぐに入り込んでハッチを閉める。
ハッチの中は予想に反して明るく、清潔感のある構造体になっていた。パッシァ内部の空気組成を簡易装置で測定すると地上の大気組成とおおよそ変わらず、毒性物質も検出されなかったため、私はダイバースーツを脱いだ。もし、危ない気体が充満していたらペンギンさん達、死んでいただろうなー、と興味津々で首を長くして辺りを見渡している一号さんと二号さんを見た。無邪気なものである。
ハッチの中は底面と高さが三メートルほどの円柱状の構造になっていた。壁の材質は見た目は何か銀色の金属のようだが、よく見ると表面には透明の層が出来ており、何やら複雑な加工がなされているようだった。天井部と足元には別のハッチがあり、別の区画へと続いている様子だった。円柱の天井部と底面部にはハッチの他に小さな穴があり、手で触ってみると空気が吸い込まれている場所と吹き出している場所があることが分かった。パッシァ内で空気の循環が行われているのだ!
「所長、これすごいですよ。パッシァはいつできたものかはわかりませんけど、今でも動いているみたいです! これだけ高度な構造物が作れたとすれば、これは第一のバベルの塔建設の直前くらいの代物かもしれませんね」
「俺の見立て通りだっただろう?」
「すごいすごーい」
「したり顔しないでください。酷く私の気を害すので」
パッシァの中の構造は直ぐに分かった。見取り図が入って直ぐの壁に貼ってあったのだ。事前に調べたパッシァの外観と構造がぴったり一致したから直ぐにそれと分かった。どうやら今私たちがいる区画は幾つかある外部に繋がるハッチの一つであるようだった。また、見取り図は横向きに書かれており、おそらく、パッシァは横向きに寝たような姿勢が本来の姿であるようだと推測された。一方で、今私がいる区画には壁伝いには梯子が設置されていて、パッシァが縦向きになった状態でも区画間を移動できるようになっていた。何か意図があって作られているのだろうが、私には分からなかった。不思議な構造である。見取り図には区画ごとに何か文字が記されていたが、バベルの塔建設以前のもののようで解読はできなかった。
気がつけば私達が入ってきたときに流れ込んでいた水はなくなっていた。先ほどの穴に吸われて排出されたのだろう。
「上と下、二つのハッチがありますけど、どっちから見に行きます?」
「ふうむ、見取り図からすると上の区画は大体三つしかないから、先にそっちから探索してはどうだろう?」
「あっ、なんか珍しくまともなこと言ってますね。そうしましょうか」
「成瀬くんは俺のこと嫌いなのか? そうなのか?」
「あっ、そうだそうだ。一号さん二号さん、あなた達は梯子登れないからここで大人しく待っていてね」
「りょりょ」
私は物分かりの良いペンギンさんに笑顔を振りまいて、不服そうな所長を尻目に梯子を上った。
★
次の二区画は居住区になっていた。収納式のテーブルやベッド(不思議なことにベッドにはベルトみたいなものが付いていた)、絵画に写真立てなどだ。写真は随分古いものにもかかわらず色褪せず綺麗な色合いを保っていた。
写真には家族と思しき四人の人間が写っている。大人の男女と子供二人。おそらくパッシァの持ち主たちだろう。奇妙な襟の付いた服はこの写真を撮った時代では一般的なものだったのだろうけど、現代に生きる私から見ると奇妙な感じだ。
他には黒いモニターのような電子端末があった。最初は薄っぺらかったから紙みたいなものかとも思ったが持ってみると意外に硬く、また表面の色合いからして偏光フィルムが使われているのは間違いなかった。だとすればおそらくモニターなのだろうが、しかし、厚みは一ミリ程度しかなく、こんな薄いものにどうやって電子回路やバッテリーを詰め込むのだろう? 現代の技術で再現するにはハードルが多くある気がした。
「成瀬くん、これはどうやって使うんだ?」
「私に聞かないでください。メカニックでも太古の技術は専門外なので」
「つれないなー。まあ、君の見立て通りモニターだというのなら何処かにスイッチがあるはず……ほらあった!」
所長が背面にあったボタンを手探りで探し当てて押すとパッとモニターに何かしらの写真付きの文献のようなものが表示された。文字の大きさは何故かところどころ異なっていて、画面一面がびっしりと文字で埋められている。モニターの操作の方法はよく分からなかったが、画面の上で指を動かすと別の文献が現れた。ページが変わったようだ。
「これ、なんでしょう?」
「ふうーむ、どれどれ……んーん、あー! あれだ、新聞記事みたいなものじゃないか? この文字の大きな部分は見出しになっているとすれば今の時代にもある新聞記事そっくりだと思うんだが」
「あーなるほどね。所長、良い勘しているんじゃないですか! 冴えてますね、今日だけ」
「だろう?」
パッシァに関連すると思しき文献を見つけたのは良いが、残念ながら新聞記事の言葉は読めなかった。同じ言語を使えないことがこんなにも不便なのかと、言語統一後の世界の住民たる私はため息をついた。一体全体、バベルの塔建設以前の世界はどんなところだったのか? 昔学校で習った歴史では核戦争が起きて人類のかなりの割合が死滅したとされていた。戦争が起きた理由は分からない。お互いが分かり合えないせいだったとは言われいるが、本当にそれだけなのだろうか?
言葉は分からないとはいえ、写真を辿ってみてなんとなくの事情は察することができた。誰かが演説している写真。武器のようなものの写真。人が黒くなっている写真とユーラシア大陸の地図。何かの細胞を拡大した写真。また誰かが演説している写真と悲しそうにうなだれている写真。後半にいくにつれて記事はどんどん減っていった。多分、この新聞の国は戦争で負けてなくなってしまったんだ。だとすれば、パッシァは大昔の敗戦国の遺物ということになるのだろう。戦時中に作られたとすれば避難所みたいなものなのかもしれない。
「きっとパッシァの所有者は敗戦国の出身なんでしょうね」
「だろうな。成瀬くん、もしこの記事の写真がバベルの塔崩壊以前の核戦争の時代の遺物だとすれば、或いは宇宙船なのかもしれないぞ」
「宇宙船? なんですか、それ?」
「不勉強な! つまり地球から飛び出すための船さ。船の中は真空の宇宙空間でも住めるようなっているのさ。考古学の友人に聞いたことがあるが、核戦争の前時代には宇宙船の一種で播種船というアイディアもあったらしい。仮に戦争で地球が住めなくなっても人間が生活できるような大きな宇宙船を飛ばして人類を存続させるというものだ」
「所長の無駄な知識もたまには役に立ちますね」
「はっはっはっ! だろう? 二千年以上経っても動いている照明、空調設備や排水設備、朽ちない構造物の材質。どれも今の技術では再現できないだろうし、当時の技術としても最高レベルのものだったに違いない。宇宙船だったのか核シェルターだったのかはまだ分からないが、先を探索してみればわかるかもしれない。行こう、成瀬くん!」
グイと手を持って引っ張られるのが気に食わなかったが仕方なくついていく。
次の部屋も生活場所のようだった。一つ前の部屋と同じ様な作りで、ここにもモニターがあった。先ほどと同じ手順で見てみると今度は先ほどの家族の写真がたくさん出てきた。今で言うアルバムの様なものなのかもしれない。
高い建造物が建ち並ぶ巨大都市の街角から撮られた写真。制服の様な一様な服を着た子供達の写真。どこかかしこまった装いの家族の集合写真。一転して長閑な田園に建てられた木造のログハウスで撮られた家族の写真。ピシリとした服を着て緊張した面持ちの父親と思しき男の写真。どれも考古学的には価値がありそうだが、高値で売れそうなものではなかった。
彼らは何のためにパッシァを作ったのか? 私にはまだ掴めなかった。
★
最後の区画は先端に向かって流線形の構造になっていた。先端に近いところには大きな椅子が二つ、その後ろには四つの椅子が並んでいた。大きな二つの椅子の前にはなにやら操作盤の様なものがある。部屋は入口以外は暗く、なにがあるのかよく分からなかったから取り敢えず椅子まで梯子で登って行くことにした。
椅子にたどり着きよじ登る様にして体を持ち上げて座ったところで人心地ついた。
「所長、やっぱりパッシァは横向きが正しい姿勢なんですよ」
「確かにその様だな。ところで成瀬くん、宇宙船はどうやって宇宙に飛び出していくか知っているか?」
「唐突ですね。あれでしょう? 空をどこまでも上に飛んでいけば良いんでしょう?」
「はははっ、成瀬くん、君は何事も自信満々なわりに本当に自分の専門外のことに関する素養が皆無だなぁ!」
「……殴りますよ?」
「いやいや待たれよ! 別に馬鹿にしたわけではないのだよ。まあいい、宇宙に飛び出すには第一宇宙速度と呼ばれる超高速を超える速度の宇宙船で地球の重力を振り切らなければならない。また地球は自転しているから適切な角度で地球の重力圏を抜けなくてはどんどん進行方向が曲がっていってしまうから、打ち上げにはかなり正確な計算と計画が必要になるのだ」
「それで?」
「もっと気の利いた相槌は打てないのかね……? 続けると、パッシァのこの垂直方向を向いた姿勢は宇宙への発車姿勢なのだと考えられる。つまり、打ち上げる寸前の態勢なんだ」
「それってつまり、パッシァは核シェルターじゃなくて宇宙船ってこと?」
「ほぼ間違いなくな。規模から言って播種船としては狭すぎるし、さっきの家族写真から察するに、家族四人で逃げるための船だったのだろう。父親はかなりの資産家だったに違いない」
「核戦争の最中、愛する家族としがらみの無い銀河への逃避行でもしようとしたのか……」
私は一人思案に沈む。世界中が憎み合っている世界というものを私は知らない。たまに悪い奴らはいるけれど、基本的にはみんな同じ言葉を使って話し合い、折り合いをつけながら暮らしている。武器の開発は禁止され、争いを生む様な危険思想も教会によって取り締まられている今の世界では個人間の諍いはあっても集団対集団の戦争は起こりえない。だからかもしれないが、競い合う様に技術開発や発展を推進する人間は殆どいなくなってしまったし、たまにテレビで取り上げられるそういった人間たちは殆ど例外なく教会に取り締まられるという末路を辿っている。もしかしたら私たちが知らないだけで、そういう人たちはもっと多くいて隠れて活動したり、取り締まられたりしているのかもしれない。
なるほど、そう考えるとバベルの塔建設後のこの世界にも多くの制約やしがらみがあるようである。私はメカニックで、世の中の機械のことなら殆ど分かると自負しているのだが、所長がさっき言った宇宙船という機械の事は全く聞いたことがなかった。教科書にもどこにも載っていない知識だから、おそらく考古学的な文献に記載されている禁止技術なのだろう。そのことを咎めるほど私は教会の教義に染まっているわけではないが、所長の抱えている知識の出所を探って私にない知識を吸収して所長をギャフンと言わせたい気分ではある。
「お? このレバーは何だ?」
「え? 所長、余計なことをしないでくだ――」
言い終わる前に、所長は手元にあったレバーを引いていた。途端、これまで真っ暗だった目の前一面が光った。暗くて見えなかったが壁に沿って湾曲した巨大なモニターがあったらしい。モニターは一人で見るには大きすぎたから二人で見るように設計されているようだった。モニターには緑か赤の文字で様々なインジケーターが表示されていたが、それぞれがどんな意味なのかは分からなかった。ただ二、三を除いてどのインジケーターも緑色で表示されていたからおそらく異常なしということなのだろう。画面の中央には白っぽいなにかが映っていたが、よく見ると氷の結晶構造が見えたので多分パッシァのどこか表面にあるカメラの画像のようだった。
「おっ、成瀬くん! レバーを引っ張ったら今度はこのボタンが光ったぞ! これを押してみると……おおまた別のボタンが光った!」
「私が真面目に考えているというのに、この男は全く何をしているのだ!」と憤慨したくなるが私もたまには大人として落ち着き払った態度で接する必要があることを思い出した。
「いや聞こえているから、君の心の声! 自制できていない! ……まあそんなことはいいのだ。成瀬くんどこか光っているボタンはないか? 俺の手元にあるボタンはもう大体押してしまったんだが……」
「ボタンの意味きちんと分かって押しているんですか? きっと所長のことだから考えてもないでしょう?大体――」
言いかけた時、私は自分の座っている椅子の手元、所長からは見えない位置でボタンが緑色に光っているのが見えた。
ふと、突然の思いつき、いやメカニックとしての経験から、所長がさっきから勝手に押して回っている緑に光るボタンは一連のシーケンスになっているのではないかということに思い当たった。ここは制御ルームで最初に動かしたレバーを起点として何かの動作のシーケンス、おそらく発射シーケンスが進められているのだ。
「この点滅しているボタンを押せば宇宙に行けるのかな?」誰となしにつぶやく。宇宙に行けば、退屈で平和だけが取り柄の箱庭のような世界から抜け出せるのだろうか? 所長二人で? そこまで考えても私はフッと笑ってしまった。
「おい、成瀬。どうしたんだ?」
「ふふ、なんでもないですよ、所長。ただ全てを置き去りにして一緒に宇宙に行きたくなるような、そんないいパートナーなんてなかなかいないなーって思ってただけです。……所長、取り合えずここは置いておいて他の区画を探索しましょう? ペンギンさんたちも待ってますしね」
私は最初に所長が引いたレバーを元の位置に戻してから梯子に飛び移った。同時に画面も消える。今はこれでいいのだと思おう。世界に退屈して、後は逃避行にぴったりの魅力的なパートナーに所長が成長したら、宇宙行きはまた考えよう。それまでは上手くこの宇宙船の存在を秘匿しなければならない。
ああ、こんな大きな遺物を教会から秘匿するなんて、また面倒なことになるなーと思いながらも私は内心まんざらでもなかった。言葉がどこまでも通じて、大体のことが分かってしまっているようなつまらない世界に外があることが分かったのだ。多少の労力は厭うまい。
閉じた平和な世界と開いた荒涼とした世界。両者の優劣を比較することは難しい。求めるものによって選ぶ未来は変わってくるだろう。失うものがあるから現状から抜け出すような選択肢を選べない人もいるだろう。
しかし、パッシァの持ち主はそうではなかった。友人も、家も、地位も名誉も、何もかも失っても家族との逃避行を選んだのだ。そしてその途中で何かがあって達することが出来ず、パッシァだけが残った。逃避行は叶わなかったけれど、でも一歩を踏み出したという事実は残ったのだ。
きっと一歩を踏み出す、というのはそういうものなのだろう。
「悪くないですね、そんな人生も」
私は梯子を降りながら文脈もなしに言った。
「だろう?気があうな、成瀬くん!」
きっと何にもわかっていない所長が一から十までのピースが全部揃って勝利を確信した軍師のような確信に満ちた声で返してくれる。私は笑った。私が宇宙に行く日もそう遠くはないかもしれない。
end