2 乳児と前世と現世の親たち
『あら、エルちゃんもういいの?』
つい先日刻まれた黒歴史を思い出して一気に食欲の落ちた俺が口を離すと、母が縦抱っこに切り替え、背中をポンポンとしてくれた。ゲフゥ。
『うふふ、いい子でちゅねー。』
そして、優しくベビーベッドに戻すと、ふんわりとした柔らかい布を掛けてくれる。食事の後はぎゅうぎゅう巻きにはしないらしい。
しばらくそばに居てくれるのか、ベビーベッド横に置いてある母用のソファから立つ気配はない。編み棒を取り出し、何かを編み始めている。時折視線をこちらに向けて、目が合うと微笑みを浮かべる母は聖母の様だ。
いつもはお腹いっぱいになるまで飲んでいるので直ぐに眠くなるのだが、今日は腹八分位で止めたので眠くまではなっていない。周りを見回すと、ぼんやりとだが部屋の様子が見える。多分、普通の赤児よりは前世の記憶がある分視点を合わせ易いのだろうと思う。まぁ、かなり近寄って見ないとハッキリとは見えないが。
子供部屋としては広い部屋だ。
木製の壁が白く塗装されていて清潔感のある部屋だ。ガラスの様な素材の大きな掃き出し窓があり、そこから庭へと出れるので、時折抱っこされて日光浴しに行ったりしている。
前世の家と比べると、ウサギ小屋と牛小屋位の差はあるかと思う。ウサギ小屋が前世で牛小屋が現世だ。分かりにくいか……そうか。今一つスタンダードが分からないので説明に困るが、かなり上流家庭のお家な気がするってことで濁しておこう。セレブリティがどんな生活なのかもよく分からないしな。
今の自分では寝返りも苦労するので、早く家の中や外を見て回りたい。
うごうごと動ける範囲で身体を動かしてトレーニングしているつもりだが、正直身になっている気がしない。
まぁ、暫くは寝て過ごすしかないのだろう。
ぼんやりと母の姿を見ていると、ふと前世のことが思い浮かんだ。
前世の俺は新卒で採用された会社での研修期間を終えたばかりで、これからが本番だという所で事故死してしまった。大学院まで行かせてくれた親には本当に申し訳ないと思う。7歳下の弟が高校3年生だったので、これから受験だという大事な時だったから更に。
俺自身は中学から他県の中高一貫の私立で、その後そのまま家に帰ることなく他県の大学へ進学、そのまま就職、だったので、長いこと親とは盆正月くらいしか直接会うこともなかったからか、前世の家族を懐かしくは思うけれど、恋しがるほどの強い気持ちがあまりない。
こんなに薄情な性格だったかな、と自分でも疑問に思う。が、あまりに前世が恋しいと、精神を病んでしまうと思うので、もしかしたら、防衛本能的なものが働いて、心を守っているのかもしれない。
思い出す記憶は懐かしく、母も弟が生まれてからは子育てや仕事が大変そうであまり構っては貰えなかったが、決して親の愛情を疑うような冷えた関係ではなかった。むしろ、家族仲は良い方だったと思う。
父は厳しい時もあったが普段は温厚な人で、母はよくしゃべりよく笑う明るい人だった。
そんな前世の母は小柄ではあったが、少しふっくらした体型でおっぱいが大きく、里帰りの度にハグしていたら、高校に入った辺りから殴られるようになった。前世父に。
「母さんのおっぱいは父さんのものだ。赤ん坊の頃は貸していただけだ。」
そう、真顔で宣言した直後に母に蹴られていたが。
ハグしてるふりでその柔らかさを堪能していたのがバレていたらしい。
「親父も兄貴もキメェよ。家入ってしろよ、ご近所さんに見られたらドン引きされるぞ。」
父によく似た顔立ちのクールな弟は、兄貴は頭も顔も良いのに変態だからしょうがねぇ、と呟いていた。
ずいぶんと口が悪く育ってしまっていたな。
元気かなぁ。
じんわりと、胸の奥が痛んだ。
ふわりと、ホタルの様な精霊達が寄り添ってくる。
暖かい日差しの様な心地いい光を感じ、心がすこし軽くなった気がした。
『リリィただいま!エルー!お父さんだよ!帰ってきたよー!!』
と、突如乱入してきた父(仮)が何かを叫びながら俺を抱き上げちゅっちゅしはじめた。やめい。
『あなた、おかえりなさいませ。お仕事お疲れ様でした。』
母が手にしていた編み物をサイドテーブルに置き立ち上がると、父(仮)は母の腰を引き寄せ頬に優しくちゅうをする。そして、母がお返しにちゅうをする。リア充共め爆発しろ。
苦い顔をしているであろう乳児の表情など気にも留めずに二人はラブラブオーラ全開である。何?1週間位会ってなかったの?いいえ、数時間前にこの世の別れかというような『行ってきます』をしていました。それが毎日です。爆発しろ。
『アレクアルト様、エリエルド様が苦しそうです。』
『え!?そうかい?ごめんねエル。』
父(仮)の後ろから付いて来ていた淡い青銀色の髪の少年が父(仮)に何かを話しかけると、慌てた様子で母に俺を渡して、父(仮)が俺の顔を覗き込んできた。
ちょっとね、お年頃の息子(仮)に両親(仮)がラブラブしている所を見せつけるとか教育に悪いと思いませんかね!少しは慎んでいただけるとありがたいのですがね!と、文句を言う。
「あぶあうあううあー!ぶうあうあー!」
『みて!エルが私に何か話しかけてくれてるよ!!何て言っているのかなぁ。おかえりなさい、お父さまかな?感動だね。』
しかし満面の笑みで嬉しそうにする父親(仮)。Mか。
コミュニケーションとは一朝一夕には取れないものである。ここにこそチートの出番じゃないのかね。言語習得のスキルとかないのかね。……ないのか。
『違いますよ、アレクアルト様。エリエルド様はご両親様方の愛溢れるご挨拶はもう少し控え目になさって欲しいとおっしゃられているのですよ。』
先程の少年が何かを父(仮)に話している。
雰囲気的にツッコミかな。とりあえず、うんうん、と頷いておく。
『おお、君達初対面だというのにもう心が通じ合っている様だね。これは心強いね。』
いい加減(仮)が面倒になってきた。父(仮)は父としよう。少し混乱したがこの態度は父親でしかない。
少年は俺に向き直ると少しだけ微笑んで片膝をついて見上げてきた。先程まではヒンヤリと涼し気な雰囲気だったのに、微笑むと途端に柔らかな空気になる。ん?水色の精霊達(?)が纏わり付いているな。水属性か?なんちゃって。そういえば、母には金白色と茶色の精霊がよく纏わり付いている。父にはどの色もあまり近づかない様だ。何かあるのか?
『初めましてエリエルド様。私はエレンディル。貴方の従者になる者です。』
「あぶう。」
なんだか自己紹介されたような気がするので、よろしくと返しておく。
『はい、正式な従者となるにはまだ勉強途中ですが、早くお側に上がれるように頑張りますのでよろしくお願い致します。』
『ディルは優秀な子だからね、エルも頼りにすると良いよ。これから毎日顔を合わせるから仲良くね。』
父がなにやら威厳らしきものを醸し出しながら喋っている。何を言っているのかわかりません。が、態々紹介しに連れて来たって事は、俺に関わることになる子なんだろう。お世話係かな。
仲良くしておいて損はないだろうと手を少年に向けて伸ばすと、意を汲んでくれたのか、母が少年に俺を渡してくれる。赤ちゃんにはまだ慣れていないのか緊張で固くなっているが、優しい手だ。クールな印象の美少年だが、今は頬が赤くなっていて背後に花が咲きそうな雰囲気だ。
この日から1日に1〜2時間だけ少年と遊ぶようになった。
まぁ、遊んでるつもりなのは俺だけなんだけどね。お世話されてます。
とりあえず、俺達の様子をうんうんと微笑ましく見ながら、母の腰や尻をなでなでしている父は爆発すればいいと思う。
そんな事を考えていたからなのか、何かあったのか……
次の日、出勤前のちゅうをしに来た父の黒髪サラサラ頭が、アフロになっていた。
※ディル君のフル名前をすでに出していたのを忘れていて、違う名前で後に出していた事に気付いたので、修正しました。 ディルハルト× エレンディル○