四十五日目……煙のように Side:リマーラ&レヴァイア
ヒュリが手を振って部屋を出ていったとき、一瞬、何かが起こる予感がした。
でもそれが何なのか分からなくて、気のせいだと思った――。
コンコンコン
「お客さん、お湯をお持ちしましたよ」
「今開ける」
扉を開け木桶を持った宿の人間を中に入れる。
「そこに置いておいてくれ」
「はいよっと」
湯気の立つ木桶を床に置いた宿の人間が部屋から出ていったところで、さて、と考える。
先に使うべきか、ヒュリが戻るのを待つべきか。
「まあ、すぐに戻ってくるか」
服を脱ぐとなれば鍵をかけなければならないし、待った方がいいな。
そう思いベッドに腰かけようとしたところで、風が窓を叩いた。
――リマーラ……レヴァイア……
「ヒュリ?」
胸がざわりとした。
何故かは分からないが、ヒュリが呼んでいるような気がする。
私は槍を掴んで部屋を飛び出した。階段を一気に駆け下りて、最初に眼についた人間に声を掛ける。
「すまない、私の連れを見ていないか。焦げ茶色の髪と眼の女性だ」
「いやー知らないね」
「ありがとう、邪魔をした」
礼を言って次の人間に話しかける。
「すまない、焦げ茶色の髪と眼の女性を見ていないか」
「ああ、今さっきヘンな鼠を追っかけて外に出てった子かな」
「っ! ありがとう」
口早に礼を言って宿の扉を乱暴に押し開け外に出た。
素早く足跡を観察する。月が雲に隠れていなくて助かった。
「ヒュリの足跡は……」
宿から出ていく足跡はいくつかあったが、どれも宿の裏手か馬小屋に続いている。が、一つだけ宿から真っ直ぐに、何もない雪原へと続く足跡があった。
間違いない。
心臓が早鐘を打っている。嫌な予感なんてものではない。ヒュリの身に何かあったと、確信できた。
「一緒に行くべきだったっ!」
走りながら槍を持つ手に力が入る。どうか間に合ってくれと神に願った。
しかし――確信は現実となった。
足跡の終点、そこには誰の姿も、何の形跡もなかった。争った痕跡も、蹄の跡も、轍も。
まるでヒュリが、ふっ、と消えてしまったみたいに、何もない。
「ヒュリ……ヒュリっ!」
辺りを見回しながら名を叫んでも、返ってくるのは静寂だけ。
後悔があとからあとから押し寄せる。
……違う、後悔なんて後でいくらでもできる。今はヒュリを見つけることだけを考えろ。
どうする? どうする?
「……レヴァイア殿に報告だな」
宿に戻ろうと駆け出し――足を止めてゆっくりと振り返る。
視界に入ったのは、真っ白い雪原に残る、私とヒュリの足跡だけだった。
「ヒュリが消えただと!?」
湯に浸した布で身体を拭き、服を着ようとしたところでリマーラが部屋に駆け込んできた。彼女はひどく動揺しており、俺が上半身に何も身に付けてないせいと思ったが、すぐに違うと分かった。
ヒュリが消えた。
普通なら、雪原のど真ん中で人一人が何の痕跡も残さずに消えることなど不可能だと言い切るのだが……。
ヒュリならあり得るのかもしれないと納得する自分がいる。なにせあいつは正体不明だからな。
「私のせいだ。私が一緒に行けばこんなことにはっ!」
ダンッ! とリマーラが壁を叩く。彼女が感情を剥き出しにするのは、あの将軍と会って以来か。
将軍は親の仇と思っていたのだから当然だが……ヒュリも母親と同じくらい大切な存在ということか。
まあ、俺もそうなのだが。
とりあえず冷静にさせるか。
「……どうだかな」
ベッドに深く腰掛け、苛立つリマーラに視線を向ける。
「どういう意味か?」
「雪原から人をぱっと消せる存在がいるとして、そいつがヒュリを攫ったのなら、誰が傍にいても防げはしなかっただろう。お前や俺がいたところで結果は変わらなかったはずだ」
「…………」
ギリ……。
奥歯を噛み締めるだけで何も反論しないのは、彼女も内心そう思っていたからだろう。
「問題はどう消えたかではない。どう見つけるかだ」
「……分かっている。取り乱して、悪かった」
そう言って俺に頭を下げるリマーラ。顔を上げた彼女はいつもの表情に戻っていた。
「よし……ヒュリはあの小動物を追いかけていったのだったな。アレも見つかっていないのか」
「そう、そうだ。貴方に言われるまで頭から抜け落ちていたが、ナナの姿もどこにもなかった」
「足跡は……あの大きさではまず見つからないだろうな。どこかに隠れている可能性もあるが……ヒュリと一緒に消えたと考えるのが自然だろう。俺が思うに、アレを使ってヒュリをおびき出したのではないか? 誰がそれを可能にしたのかは見当もつかないがな」
「確かに、あのときのナナは様子がおかしかった気がする。……しかし、それが事実だったとしても、ヒュリを見つける手掛かりにはならないな」
リマーラは、ふぅ、と息を吐き出し、備え付けの簡素な椅子に腰を下ろした。




