十日目……握られた手
…………オレノジジョニナレ? 折れ野路所になれ?
いや、野路って何だ、野路って。
“じじょ”って、やっぱり“侍女”のことだよねえ、どう考えても。
どうしよう、また変なオファーされたよ。助手の次は侍女デスカ。
リオンといいミシェイスといい、何なの? イケメンの思考回路はぶっ壊れてるの? 頭のネジ失くしちゃったの?
私、確か眼の前の人に一目惚れしたはずなんだけど――さっき受付前で見たときは確かに胸が高鳴ったんだけど、何故だろう、今はトキメキが薄れてるわー。
「あーー……とりあえず理由を訊いてもいいですか」
「傍に……いや、俺は生誕祭に出席されるリーシェレイグ殿下の護衛を仰せつかっている。俺の侍女になれば、お前を同行させることが出来ると思ってな」
「……なるほど」
そういえばそうだった。彼はルークの兄、第一王子のリーシェレイグと一緒にイシュアヌに行くのよね。
確かにミシェイスの侍女という身分があれば、楽にイシュアヌの王都セデアニーアに入れる。とてもありがたい申し出と言えるだろう。
だが……
「非常に光栄なお話ですが、ミシェイス様が私のような一般人を侍女に雇って、どんな利点があるのでしょう。ご迷惑をおかけするだけだと思うのですが」
当たり前のことだが、侍女の仕事なんてしたことがない。誰かが一から十まで丁寧に教えてくれれば、それなりの働きは出来るようになるだろうが、はいじゃあ明日からよろしくと言われても120%無理に決まっている。それはミシェイスも十二分に分かっていると思うのだが。
「やはり、な」
口元にゆるく弧を描いたミシェイスは、酒を飲み干し、グラスをローテーブルに置いた。
「特務騎士付きの侍女になりたいと思っている女はごまんといる。同様に、聖師グレアス殿とお近づきになりたいと思っている女も数えきれないほどいる。だがお前はどちらにも興味を示さなかった」
「……私の反応がおかしいと?」
「俺の思う“普通”ではない」
普通じゃないってきっぱり言われた……。
「あの日のお前との会話はとても新鮮だった。王都を去ると聞いて、残念な気持ちになった。だが、お前は再び俺の前に姿を現した。胸の中で渦巻いているモノが何なのか知りたかったのだ」
長椅子から立ち上がり、ミシェイスは私の傍に来るとその場に跪いた。膝の上に置いていた私の手を取り、漆黒の瞳を向けてくる。
な、なななななに、なになになにこれ! えっ、なんでこんな状況になってるの!? 私何かした? 侍女には向いてないって言っただけなのに! 意味が分からないんだけどー!
正常に動作していた心臓が、狂ったように暴走し始める。
「遠回しに言うのは止めにする。ヒュリ、お前のことがもっと知りたい。俺の傍にいてくれないか」
…………あ、心臓が破裂したかも。
はいぃぃぃぃ!? なんてことを言い出すのこの人は!? 頭のネジどころか脳ミソそのものが行方不明になっちゃってるんじゃないの!?
困る、困るのよね、そんなこと言われても。私はこの世界の人間じゃないんだから。そりゃ、嬉しいか嬉しくないかって訊かれたら、嬉しいに決まってる。ミシェイスに一目惚れしたんだもの、彼に傍にいてと言われて嬉しくないはずがない。
だけど、私の想いは絶対に一方通行でなければならない。両想いになどなっては駄目なのだ。二人の関係に未来はないのだから。
「……すみません、ミシェイス様のお気持ちにお応えすることは出来ません」
「ディナムと付き合っているからか」
「はぇ? いえ、違いますけど」
私とエルが付き合っているなんて発想、一体どこから……って、そうか鍛錬場。いやでも、一緒にいただけでそんな考えに至るなんてちょっと飛躍しすぎじゃない?
「本当か」
「はい」
眼を見てしっかり頷くと、ミシェイスはそうか、と呟いて小さく息を吐き出した。
納得してくれたよ。あ、でも付き合っていると言ったら、話が早く済んだのかな。
……いやいや駄目だ、確実にエルに迷惑がかかる。それにすぐに嘘だってバレるだろうし。
「では何故」
「それは……」
答えに詰まる。本当のことを言えたらどんなに楽だろう。でも、そんなこと出来るわけがない。
「旅を続けるからです。目的を果たすまで一つのところに留まるつもりはありません」
「目的とは何だ」
「ある人……たちを見守ることです。誰かは言えません、すみません」
ある人とは雷華のこと。彼女たちを陰から見守りながらこの世界を見て回ることが私の目的。目的を果たせば、つまり雷華の旅が終われば、私は私の世界に戻り、一つのところ――自分の家に留まりこれまで通りの生活をする。
嘘ではないが本当のことも言っていない、ギリギリの真実。
「そんな漠然とした理由で諦めろと? 力づくでお前をここに留めておくことなど、狂暴な獣を倒すよりよほど容易く出来るのだぞ」
私の手を握るミシェイスの力が強くなる。痛くて顔をしかめたが、彼は緩めようとしなかった。
「確かにそうでしょう。ですが、その行いにどれほどの価値があるのです?」
無理矢理どこかに閉じ込めて、それで私の心が変わると思っているのだろうか。だとすれば、大きな思い違いをしている。
「さあな……試してみるか?」
ミシェイスは掴んでいた私の手を強く引き、前のめりになった私に唇を押し当てた。