十日目……スパルタレッスンと視線
「しっかり握って、手首はやわらかく、そう、腰をおとして、前に突き出す……良いですね、では何回かやってみて下さい」
「は、はい!」
言われた通り、前に突き出す動作を繰り返す。短剣とはいえ結構重い。だからやってるうちに無意識に手が下がっていくらしく、その都度エルに注意された。
「では今度は違う振り方をしましょう」
エルの指導の下、私は一心不乱に剣を振り続ける。
一時間はやっただろうか。
そこそこ薄暗くなってきたのに終わる気配がない。結構疲れてきたんだけど……何故? もしかしてエルって熱血指導者タイプ? 教わる相手、間違えたかも……。
ナナは、と視線を動かせば、草の陰で活き活きと剣、じゃなくて針を振るっている。体力あるなぁ。
「ミシェイス様がいらっしゃったぞ!」
黙々と鍛錬していた騎士たちがざわつき始める。
ミシェイスって……、え、彼が鍛錬場に来たの? って不思議でもないか。特務騎士でも鍛錬はするよね。
「ミシェイス様、是非剣のお相手をお願いします!」
「わ、私もお願いします!」
散らばっていた騎士たちが一箇所に集まっていく。きっとあの中心にミシェイスがいるんだろう。
「ミシェイス様がこのような夕暮れ時においでになるとは珍しい……あ、ヒュリさん、また腕が下がってますよ」
「は、はいすみません」
うう、腕が……。こりゃ何日か筋肉痛に苦しむこと確実だわ。
「もうすぐ夜になりますし、あと五十回ほど振って終わりに――」
エルの言葉が途中で途切れたと同時に彼の纏う気配が変わった気がして、私は剣を振るう手を止めて彼を見た。
「敬礼……? 誰に……?」
首を動かしてエルの視線を追っていく。辿り着いた先には、黒っぽい服を着た人がいた。
暗くてよく見えないけど、ここで黒っぽい服を着てる人なんて特務騎士しかいないはず。つまりミシェイスなんだろうけど……。
周りにいた誰かの声でミシェイスは違う方を向き、人だかりから少し離れて、剣を抜いて騎士の相手をし始めた。
エルが敬礼をしてからミシェイスが剣を抜くまで、時間にしておよそ五秒ほど。でも私にはその何十倍も長く感じられた。顔が見えない黄昏時なのに、刺すような視線を感じたのだ。
「ヒュリさん、手が止まっていますよ」
「え、あ、はい」
短剣を振りながら考える。あれは何だったのだろうか。
「ご馳走様でした。とても美味しかったです」
真っ白なテーブルクロスが敷かれ、三又の燭台が置かれた四人掛けのテーブル。ワイングラスをテーブルに戻し、私は向かいに座るエルにぺこりと頭を下げた。
「お口に合ったようで良かったです。すみません、わざわざ来ていただいたのに、こんなもてなししか出来なくて」
「いえ、十分すぎるほどです。こんな経験が出来て幸せでした」
私とエルが今いる場所は、何と城内の一室。それもけっこう高い階――何階なのかは歩きすぎて不明――で、王都を一望、は出来ないが王都の半分くらいは眺めることが出来る。
高級感抜群の調度品に囲まれた部屋で、抜群の夜景を眺めながら、抜群の男性と、抜群の食事をとる。
これを幸福と言わずして何と言うのか。
テーブルの上にはナナもいたりするけれど――いま現在もパンをもそもそ食べていたりするけれど、そんなことが気にならないくらい幸せなひとときでした。
「ではそろそろ行きましょうか、あまり遅くなるといけませんから」
「はい。ナナ、いつまで食べてるの。ほらもう行くわよ」
「きゅー!」
口元にパンくずをつけたナナをわしっと掴んで腕に抱くと、崖下に落ちた恋人に手を伸ばす勢いで彼女はパンに前脚を伸ばした。
自分の身体よりも大きなパンを平らげていたのに……彼女の胃はブラックホールにでもなっているのだろうか。
「そうだ、まだ言っていませんでしたね。今日の昼過ぎにアフェダリアの次の領主がファダット子爵に内定しました」
少し暗い廊下を歩きながらエルが思い出したように言う。
一定間隔ごとにある壁にかけられたランプの火が、私たちが通るたびにゆらりと形を変える。
ファダット子爵というと、確か男性に興味がある人だったわよね。
「そうなんですか。って、それって私に言っても大丈夫なんですか?」
「公表するのはまだ先なので、あまり大丈夫ではないです。ですので、内密にお願いしますね」
悪戯っぽく笑うエルにもちろんと答える。やれやれ、こんな笑顔向けられたら大多数の女性がコロリとやられちゃうっての。でもやってる本人は無自覚なんだから、どうしようもないのよね。天然って怖いわー。
何てことはない話をしながらてくてくてくてく歩き、すっかり暗くなった城の外に出る。暗いとは言ってもあちこちに灯りがともっているので、歩くのに支障はなさそうだ。
「宿まで送ります」
「あ、いえここで大丈夫ですよ、辻馬車を探しますから。それに宿も決めてないですし。今日は本当にありがとうございました。では失礼します、お休みなさい」
「……お休みなさいヒュリさん。お気を付けて」
エルに頭を下げ歩き出す。
それを陰から見ている者がいたことなど、私は知る由もなかった。