二日目……早くも壁にぶつかる
「さてと、どうしようかな。とりあえず、町を回ってみる?」
クレイの館を出てソルドラムの大通りまで来た私は、これからどうするかを決めるべく腕の中にいるナナに訊ねた。
タイムリミットはあるものの、それまでにはまだ日数がある。それに、何と言っても私たちには“竜のペンダント(勝手に命名)”があるのだ。行こうと思えばマーレ=ボルジエ以外の国にもすぐに移動することが出来る。素晴らしき便利アイテム。クーアさん本当にありがとう!
だから数日ここでのんびり過ごしても問題はない。と思ったのだが、ナナの思いは違ったらしい。彼女は耳を掻いてから首を横に振った。
「きゅー……」
「おや、あんまり乗り気じゃないみたいね。じゃあどこに行く? ナナは行きたいところでもあるの?」
「きゅっ! きゅきゅ、きゅっきゅ!」
全身を使って説明してくれるナナ。しかし、残念なことに何が言いたいのか全く伝わってこない。阿波踊りとサンバをミックスさせた新しい踊りを踊っているのかと訊いてみたくなったが、引っ掻かれそうなので止めておいた。
「ご、ごめん、ちょっと何言ってるか分かんないデス」
「きゅう…………きゅ!」
何で分からないんだと私のことを睨んでいたナナが、腕から飛び降りて石畳の通りを駆けていく。「ちょっ、ナナ!?」私は慌てて彼女の後を追った。
通りを歩く人にぶつかりそうになる度、すいませんすいませんと謝る。本当は立ち止まって謝罪すべきなのだが、ナナを見失ってしまうため走りながらとなってしまう。ソルドラムの住人の方、本当にごめんなさい。
それにしても、ハムスターってこんなに速かったか? 結構本気で走っているのに追いつかない。やはり元が人間だから一般的なハムスターとは違うということなのか。
道行く人の足元をすり抜けていくナナを見ながらそんなことを考えていると、急に彼女が左に方向転換をして路地に入ったため、危うく角にあった露店に突っ込みそうになった。
「うおぉぉっとおぉっ!?」
持ち前の反射神経――ではなく根性で何とか踏みとどまる。なんだこの女は、という露店の主人の視線を愛想笑いでかわしつつ、細い路地に足を踏み入れた。
木箱や樽が置かれた路地は死角が多く、ナナの姿は見えない。
「ナナ? どこにいるの?」
「きゅきゅっ」
樽の後ろから声が返ってきた。
ナナがいたことにほっとしつつ近づいてみると、樽の後ろで彼女は縫い針を地面に突き立てていた。
「ナ、ナナさん? 何をして……ん? おお、なるほどー!」
おしりをフリフリさせて針を動かしていくなんとも可愛らしい姿に、また新しい踊りでも閃いたのかと思ったが全然違った。彼女は地面に文字を書いていたのだ。
私に自分の意思を伝えるにはこれしかないと思ったのだろう。だが、先ほどいたところは石畳で文字が書けないうえに人の目もある。だから、人目につかず舗装されていない場所まで移動したのだ。
ラ イ カ あ い た い
ハムスター、縫い針、地面、という組み合わせにしては驚くほど綺麗な字で、ナナはこの七文字を書き上げた。
「雷華に会いたいの?」
「きゅう!」
「そっかぁ……うーん、まあ遠くから見るくらいならいいか、な?」
彼女の物語を邪魔しては駄目だが、遠くからこっそりと様子を窺うくらいなら問題ないだろう。
本音を言えば私だって雷華に会ってみたい。彼女だけではなくいろんな人を見て見たかった。
「それじゃ、王都に行ってみますか」
「きゅ!」
*
「……どうしよう」
「きゅー……」
高い壁を見上げて私とナナは揃って額に手を当てた。
ソルドラムから翼竜に乗って王都ユーシュカーリアまで――正確にはその少し手前まで飛び、目立たないところで降りて残りの距離をのんびりと歩いた。
街道があって人や馬車の行き来もあり道に迷うことはなかった。途中、小川の水を飲んでみたりして冒険気分に浸っていた。
気分が盛り上がり過ぎて、モンスター――この世界では人に害をなす鳥獣だが――来るなら来いとすら思った。――実際に現れたら速攻で逃げ出すが。
幸いにして危険な目に遭うこともなく、一時間ほどで王都の外壁が見えてきた。……その前に並ぶ大勢の人と共に。
それを見て思い出したのだ。王都に入るには何らかの証明書がいる、ということを。
身分証でも許可証でも構わないのだが、とにかく自分の立場を証明しなければならない。
だが、私たち――この場合必要なのは私だけだが――は、そんなもの持っていない。クーアに頼めば用意してくれたのだろうが、身分証のことなど全く頭になかった。
「確か、何も持ってなくても入れなくはないんだっけ。でも、身体検査やら荷物検査やら質問攻めがあって、なおかつ不審者として監視される……」
「きゅきゅー……」
「ナナは鼠と間違われて殺処分されちゃったり……いたいいたいいたいっ! ごめん、謝るから手のひらを針で刺さないで! 地味に痛いってば!」
「きゅ!」
ふんっと鼻を鳴らして針を腰に差し、ナナは四つ足に戻った。
彼女には謝ったものの、冗談ではない可能性は高い。正直に友達、もしくは飼っていると言ったところで笑いものになるか怪しいもの扱いされるかのどちらかだろう。
「困ったなあ」
刺されたところを指で揉みながら溜息をつく。
壁の向こうに少しだけ見える城を見ながら、翼竜に乗ったら簡単に王都に入れるのになあ、などと――そんなことをすれば目立ちまくること間違いなしなのだが――考えていると本当に上空に翼竜が現れた。
なんという奇跡! 私は両指を組んで祈りのポーズをとった。ナナが腕から滑り落ちていったが気にしない。
……いや、奇跡ではなくただの偶然だということは百も承知で、ノリでやってみただけなのだが。
「って、すでに誰か乗ってるし。あ、そうか騎士か」
マーレ=ボルジエで、というかこの世界で翼竜に乗ることが出来るのは騎士だけだということを今さらながらに思い出す。例えば、そう、侯爵家の三男坊エルクローレンとか。
「見て見て! 翼竜部隊の騎士様たちよ!」
「なんて運がいいの! ああっ、降りてきて下さらないかしら!」
門前の列から黄色い声、いや悲鳴が上がる。騎士は大人気のようだ。
飛んくる翼竜は五体。三角の陣形を組んでいる。
「あれのどれかにエルクローレンが乗ってたりして。翼竜の名前は……確か」
ヴィシュリ。
私がその名を口にした次の瞬間、三角の頂点にいた翼竜が、突然急降下し始めた。あれま、綺麗な陣形だったのになあ、と呑気に見ていると、どんどんこちらに近づいてくるではないか。
「まさか、ねえ、冗談――じゃないしいぃぃっ!!」
踏み潰される寸前で、私はジタバタ怒っているナナを掴んで地面に転がった。うきゅっ、という声が聞こえてきたが今回は不可抗力なので我慢してもらうしかない。翼竜の足と地面との間でペラペラになるよりはマシと思ってもらわないと。
「あたたたたた……な、何なのよ一体」
「申し訳ありません! お怪我はありませんか!」
「怪我はしてないけど危うく命が終わるとこだっ――!?」
よろよろとナナを掴んでいない方の手で地面を押して身体を起こした私は、顔を上げて固まってしまった。
焦った顔でこちらを見下ろしているのが、真っ白の制服を身に纏った短い緑銀髪の爽やか好青年だったからだ。
「あ、貴方、まさか、エルクローレン……さん?」
「はい。貴女が無事で本当に良かった。ヴィシュリが私の命令に背くなんて今まで一度もなかったのですが……」
爽やか騎士は私の手を取って立たせながら表情を曇らせる。彼の後ろでは翼竜が太くて長い尾をバシバシ地面に叩きつけていた。土けむりがすごい。当たれば一撃であの世に逝きそうな威力だ……。
「落ち着け、ヴィシュリ。何をそんなに興奮しているんだ」
興奮? そうか、ヴィシュリは興奮しているのか。そういえば犬なんかもご主人様に尻尾を振りながら駆け寄って行くな…………はっ、まさか!?
私は服の上から“竜のペンダント”に触れた。
まさか、これを付けている私が名前を呼んだから?
「ヴィシュリ……」
おそるおそる名を呼ぶと、まるで返事をするかのように翼竜はグオオォォン! と咆えた。