四日目……希望の空に願う
雨はすぐに勢いを増し、私たちの服や体を濡らした。
エルは兵士を呼んで、サキューズと私兵をどこかへ連れて行った。後でまた来ると言っていたが、いつ来るのかは言わなかった。イリエラたちから詳しい事情を聞いたりする必要があるのだろう。
私とナナ、それにザンはすぐに孤児院に入ったが、イリエラはしばらく雨に打たれたまま空を見上げていた。病み上がりの身体には良くないと言っても、もう少しだけと動かなかった。
理不尽な苦しみから解放された喜びの感情のままに、雨に紛れて泣いていたのかもしれない。
ずぶ濡れになって中に入ってきたイリエラの少し赤くなった眼を見て、そう思った。
「ずっと見てたんならなんでもっと早く出てこなかったんだよ」
濡れた髪を拭きながらザンが睨んでくる。本気ではないようだが、多少は怒っているようだ。
「言い逃れできない状況になるのを待ってたのよ。怖い目に遭わせて悪かったと思ってるわ。あ、ちょっとナナ! まだ拭き終ってないのにどこ行くのよ!」
私の手から飛び出し、ナナは廊下を駆けていく。彼女が向かった先にはアイリーとヴァル、それにシビィがいた。
「ねえねえ、きしさまが来てたってほんとう? ヴァル兄ちゃんが見たって言うの」
「ヴァルお前、先生から外に出たり窓から顔を出したりするなって言われてただろ」
「ごめんなさい、どうしても気になってちょっとだけこっそり覗いたんだ。そうしたら剣を持った白い服の人が見えたんだよ」
言いつけを破ったことを悪いと思っているのだろう、俯きがちにヴァルが話す。
ザンが「ったく……」と溜息まじりにこぼす。それ以上怒らないのは、自分もイリエラの言うことを聞かないことがあるからに違いない。私はこみ上げてきた笑いを咳で誤魔化した。
「そっか。先生との約束を守れなかったのはいけないことだけど、でもまあ気になるよね。そう、ヴァル君が見たのは騎士よ。君たちが困っているのを知って助けに来てくれたの」
「それほんと!? ほんとに騎士様が俺たちを助けに来てくれたのか!?」
「ええ、本当よ」
「うっひゃー! 信じらんねえ!」
「うきゅ!?」
すっげえすっげえ! と言いながらシビィが飛び跳ねてはしゃぐ。踏まれそうになったナナは、慌てて彼の足を避けた後、湿ったままの毛を逆立てて怒っていた。
「あのおじさんはもう来ないの?」
「そうよアイリーちゃん、あの髪型の変なおじさんはもう来ないの。イリエラ先生が悲しむことももうないわ」
屈んでアイリーの眼を見て頷くと、彼女はぱっと顔をほころばせた。花が咲いたように笑うとはこういうことを言うのだろう。あまりに可愛かったのでつい頭をなでなでしてしまった。
「ヒュリさん」
呼ばれて振り向くと濡れた服を着替えたイリエラが立っていて、少し話があると言って子供たちを二階へ行かせ、私を食堂へと促した。
「何か飲みますか?」
「いえお構いなく。それでお話とは……って、今さっきのことに決まってますよね」
「はい。……助けていただいてありがとうございました。知り合ったばかりだというのに、本当になんとお礼を言えばいいのか」
そう言って膝に額が付きそうなほど頭を下げるイリエラ。私は慌てて頭を上げてもらった。
「お礼なんて必要ありません。私が勝手にしたことなんですから。ほんと、気にしないで下さい」
「でも……」
「感謝の気持ちならエルさんに伝えて下さい。男爵を捕らえたのは彼です」
「それは、ええ、もちろんですわ」
イリエラは胸の前で手を握り、何度も頷く。微かに頬が赤くなったような……。もしかしてエルに一目惚れした? まあ騎士だし恰好いいし命の恩人だし恰好いいし、当然と言えば当然なのかな。
お似合いの二人だとは思うけど、あ、でもエルはこの先…………深く考えるのはやめよう、胸が痛くなってくる。はあ、未来を知っているというのは結構辛いものね。
「あら、雨が止んでる。良かったー、宿まで濡れて行かなきゃいけないと思って憂鬱だったのよね」
「きゅきゅ!」
暗かった部屋が明るくなった気がして窓の外を見ると、さっきまで勢いよく降っていた雨が止んで、灰色の雲の隙間から陽光が差し込んでいた。濡れた草木がキラキラと光を反射している。
「毎日見ているはずなのにどうしてかしら、とても新鮮な光景に見えるのは」
「きっとずっと悩みの種だった男爵がいなくなって、気持ちが生まれ変わったからですよ」
「きゅっ」
イリエラと窓の外の庭を眺めていると、天井からバタバタと複数の人が走る音が聞こえてきた。続いて階段を下りる音に変わり、廊下を走る音になる。
私たちが見ている庭に子供たちが飛び出し、空を見上げてはしゃぎ始める。
何があるのだろうとイリエラを顔を見合わせ、彼女とナナとで外に出て驚いた。孤児院のちょうど真上を通る大きな虹が、空に架かっていたのだ。
「小さな奇跡、かな」
もちろん偶然だということは分かっていたが、もしかしたら彼女たちの眼にはそう映っているのかもしれないなと思った。
この孤児院に住む人たちに幸せな人生を。七色の空を見上げ、私はそう願った。